第一章②

ごそごそ、もそもそ。マローネは、腹ばいで壁の穴をもぐろうとしていた。つまみ出された後、とっこうはないかと塀の周りをウロウロしていたところ、ぐうぜんにも穴が空いているしょを発見したのだ。大人が通るにはキツいが、がらなマローネならばとおり抜けられそうな大きさであったため――つい、が差した。

 見回りの兵士に見つかればすぐさまつかまりそうな状態だが、この屋敷は警備の順路から外れている。王女が住まう屋敷なのにおかしな話だが、おかげで誰にもとがめられず、あやしい行動をとれた。

 完全に壁を抜けると、目の前に広がったのは庭だった。中央に、大きな木が一本生えている。枝葉のおかげでかげになっている木の根元にはが置かれていて、そこに誰かがこしけていた。

 背中に流したままの絹糸のような長い髪に、首元から足先までを隠す、ゆったりとしたドレス。ひざの上に置かれているのは、読みかけの本だろう。そよ風によってパラパラとページがめくられていくのを気にもとめず、その人はきょうがくの表情でマローネを見ていた。

 あわい金色の髪に、新緑を思わせるそうぼうまばたきするのも惜しいほどに整ったぼうおくよりも大人びているが、彼女こそが長年会いたかった相手――サフィニアだと確信したマローネは、パッと顔を輝かせた。

「サフィニア様!」

 呼びかけに、相手がはじかれたように椅子から立ち上がり、そのひょうに本がすべり落ちる。

「どうして、あなたがここに?」

 どこかおびえているような姿に、マローネは自分の状態を思い出す。不審者丸出しだ。

「お待ちを! わたしは、怪しい者ではありません!」

 マローネは慌てて立ち上がると、ふところにしまっていた書簡を取り出す。

「わたしは、サフィニア様に剣を捧げたい騎士であります!」

「……騎士……?」

「はい! マローネ・ツェンラッドと申します! 実は、以前サフィニア様に……」  

 子どものころ助けていただいたのですと話そうとした。だが、サフィニアがわずかに先に、かすれた声でさけんだ。

「ヨハン、くせものです……! 今すぐつまみ出しなさい……!」

「え、違います! わたしです! 昔、あなたに遊んでいただいた――ぎゃっ!?」

 突然首根っこを摑まれ、引っ張られる。首をひねれば、うすべにいろの石をつないだ、不格好なうでが見えた。さらに視線を上げれば、先ほどていよく自分を追い払った、若い男の顔をかくにんできる。

「まったく……! 一体どこから入ったんですかね、門は閉めたのに」

「塀の一部が れていたようです。すぐにふさいで下さい」

「はい、サフィニア様。その前に、この子を外に放り出してきますね」

「……お任せします」

 マローネの頭上で、会話は進む。

「待って下さい! わたしは、サフィニア様に剣を捧げたいのです! あなたの騎士にして下さい!」

「…………」

 サフィニアが、マローネを見た。

 幼い頃のキラキラ輝いた笑顔はどこにもなく、空っぽの表情がそこにあった。

「騎士、だなんて。馬鹿なことを」

 冷たいこわつぶやいたサフィニアは、すっとマローネから視線を外すとそのまま屋敷の方へ歩いて行く。

「はい、時間切れ」

「――っ」

 相手は、さぞや勝ち誇った顔をしているだろうと思ったマローネが悔しく見上げれば、ヨハンと呼ばれた青年はなぜか苦笑いを浮かべていた。

ねばりは認めるけど、無駄だよ。サフィニア様は、誰も必要としていない」

「勝手に決めないで下さい」

「これは、親切心からの忠告。あの人の心には誰も入り込めない。五年間、ずっとだ」

 五年という数字がなにを意味するのか分かり、マローネは食い下がるのをやめた。

「いつか、君に似合いの主が見つかるさ。そう気を落とさないで、他を当たりな」

 門の前で解放されたマローネは、なぐさめるような言葉をかけてきたヨハンを見上げる。

「わたしの主は、サフィニア様ただおひとりです。ずっと前から決めていました」

「だから、無理だって」

 格子の門を開きながら答えるヨハンの返答は、やはりようしゃない。

「諦めません。そしてあなたにも負けません!」

「――オレ?」

「あなたはサフィニア様に信を置かれている方だと判断いたしました。よって、あなたこそわたしの目標であり、乗り越えるべき壁……! 本日は、これで失礼いたします!

 サフィニア様には、マローネが非礼をびていたとお伝え下さい! では、また明日!」

 一礼し、マローネは走り出す。

「またって……二度と屋敷には入れないから、来るだけ無駄だよ!」

 おどし文句ではないだろう。明日、門は閉ざされているだろうし、見つけた穴も塞がれているに違いない。だからといって、泣いて諦めて、終わりにはしない。

(わたし、変わりましたよ、サフィニア様。昔のように、泣いているだけの子どもではありません。わたしは、あなたを守ることができる騎士になったんです!)

 マローネは、今のサフィニアに、どうしてもそう伝えたかった。

 翌日。マローネは背中に木箱を背負って、屋敷のそとべいの前にいた。当然、門は閉ざされていたし、空いていた穴も中から塞がれている。

(ですが、この程度で諦めるわたしではありません!)

 いつでも全力を掲げるマローネは、視線を上へ向けた。

「壁とは、乗り越えるべきもの」

 不敵な笑みを浮かべ木箱を下ろす。

「サフィニア様! 再び、あなたの騎士が参ります!」

 そして木箱を足場に、必死に塀をよじ登って上にとうたつした。昨日見た大木のある中庭が見渡せる。大木をはさんで向こう側には屋敷が見え、ちょうど人が出てくるところだった。

「あっ!」

「――なっ」

「サフィニア様 !! 」

 目が合い、マローネは思わずはずんだ声で名前を呼ぶ。相手は一瞬驚いたものの、すぐにじゅうめんを浮かべた。

「……あなた、しょうりもなく……」

「昨日は大変失礼いたしました! 本日は改めて――おっと……!?」

「馬鹿! 手を離したりしたら……!」

 一礼しようとしたマローネだが、不意に風がき、体がれた。サフィニアを見つけた 嬉しさで身を乗り出していたのが悪かったのか、そのまま塀の上から落下してしまう。

「危ない!」

「――わ、わあっ !? 」

 騎士たるもの、受け身がとれて当然。慌てる事態ではない。しばの上に落下したマローネは、騎士学校で学んだ通りにかんぺきな受け身をとったため、なんの問題もなかったのだが、サフィニアはそんなことまで気が回らなかったようで、慌ててってきた。

「大丈夫ですか……!?」

 昨日は細く小さな声で話していたというのに、マローネのことを心配してか大きな声で呼びかけてくれる。とても格好悪い姿を見せてしまったが、再会した友達の変わらないやさしさを目にすることができて、マローネは思わず口元をゆるめてしまった。

「はぁ〜サフィニア様、やはりがみ……!!」

「…………。怪我はしていないようですね。人騒がせな」

 すぐ近くまで来てくれたサフィニアに、まりのない笑みを見られてしまったらしい。頭上から聞こえた声は、再び静かで冷たいものに戻っている。

「いつまでそうしているつもりです? さっさと起きて、出て行ってくれませんか?」

 あおけに転がったまま、マローネは自分を見下ろすサフィニアにれていた。

 キラキラと輝く淡い金色の髪。長いまつげにふちられた緑色のひとみせんさいな美貌には女神のような微笑ほほえみがよく似合うが、残念なことに今のサフィニアは見る者をこおりつかせるような冷ややかさをまとっている。

「聞いているのですか? ……もしかして、打ちどころが……?」

 サフィニアが眉をひそめたところで、マローネは我に返り、慌てて起き上がった。

「い、いえ、大丈夫です! ご覧の通り、問題ありません!」

 マローネがぴょんぴょんと軽くねてみせると、サフィニアは一歩下がりきょをとった。そして、視線をそらしてしまう。

「怪我がないのでしたら、今すぐ帰っていただけませんか?」  

 素っ気なく言われて、マローネは慌てて懐から書簡を取り出す。

「え? お待ち下さい! それはできかねます! こちらの書簡にお目通しいただき、あなたに剣を捧げるまでは!」

 これ以上相手をするのがめんどうだったのか、しぶしぶサフィニアは受け取ってくれた。

 彼女が自分の目の前で書簡を読む姿を、マローネはきんちょうしつつ見守る。

「……なるほど。たしかに、正式なものですね。……はくしゃくの一人娘ですか。《隠れ姫》の騎士になりたいなんて、反対されそうなものですが?」

「はい! ですので、父とは数年間会っていません!」

 父は、マローネがサフィニアを追いかけることをよく思っていなかったので、五年前に騎士としてサフィニアのそばに行くと打ち明けた時はめた。とうとうかんどうするとまで言われてしまいしょうどうてきに家を飛び出して騎士学校に入って以降、れんらくも取らずにいる――マローネが話し終えると、ため息をついたサフィニアから、折りたたんだ書類を突っ返された。

「早く家に戻りなさい。あなたのお父様も、勘当など本意ではないでしょう」

「でも、わたしはあなたの騎士に……!」

「どうしても騎士ごっこがしたいのならばよそでどうぞ、悪戯いたずらが過ぎるおちびさん」

 きょぜつされ、ぼうぜんとしているマローネをよそに、サフィニアは屋敷の方に向かって叫ぶ。

「ヨハン!」

「大声出して、どうしま……――え、昨日の? 噓だろ!?」

 屋敷から顔を出したヨハンは、すぐにギョッとした表情を浮かべ足早に近づいてくる。

「つまみ出しなさい」

おおせのままに。しつこいね、君は。ほら、行くよ」

 へきえきした様子のヨハンが、今日も似合いもしない薄紅色の腕輪をはめた腕を伸ばしてくる。作り手の不器用さが分かる腕輪に、マローネは見覚えがあった。――結局、完成品を 目にすることはなかったが、大好きな友達があくせんとうして作っていたあの腕輪だ。

 サフィの大好きな人はこの青年だったのだと、マローネはなっとくとともにたいこうしんを覚えた。

 だが、別れから五年。おくられた腕輪をはだはなさず身につけているのは、彼だけではない。マローネはヨハンに摑まれながらも片腕をまくる。

「サフィニア様――この腕輪の約束を、守らせて下さい!」

 マローネの手首には、わかぎわにサフィがくれた緑色の石を連ねた腕輪がある。

 ほんの一瞬だったが、サフィニアの両目が見開かれた。

 そのすきに、マローネはたたみかける。

「泣き虫だったわたしを変えてくれたのは、あなたです! 子どもの頃の恩返しをさせて下さい!」

 必死のマローネと、反応しないサフィニアを見比べて、ヨハンがまどった声を上げた。

「約束? 恩返し? え、知り合いですか? オレ、そんな話聞いたことないけど」

「ヨハン、あなたが気にとめることではありません。早く、連れ出して下さい」

 ハッと我に返ったようにサフィニアはヨハンをかすが、そうはいくかと足を踏ん張り、マローネは昨日の仕返しのようにヨハンに向かって叫んだ。

「サフィニア様とわたしは、秘密の友達だったのですから、誰も知らなくて当然です!」

「秘密の?」

 ヨハンのこうそくが弱まり、マローネの言葉に食いついてくる。対してサフィニアは、心底かいそうに言い捨てた。

「あなたのようなうるさい方など、私は知りません」

「わたしは恩人であるあなたを、一日たりとも忘れたことはありません。わたしが変わる切っ掛けをくれた、大切な友達です」

「…………」

 緑の瞳が、再びマローネの方を向く。視線は、気落ちして引きこもっている王女とは思えないほどするどい。けれど、ここでそらしたらしんけんさが伝わらないと考え、マローネも、じっと見つめ返す――続くちんもくえかねたのは、ヨハンだった。

「あの、サフィニア様。ここまで言うんです、話くらい聞いてやったらどうでしょう?」

「ヨハン、あなたはだまっていて下さい」

 取りなすようなヨハンの物言いを不快に感じたのか、サフィニアはにべもなく切り捨てる。しかし、マローネが好敵ライバル手と目した相手は、こたえた様子もなく続けた。

「この子のしつこさ、見たでしょう? ここで追い出しても、絶対明日も来ますよ。けてもいいです」

 ヨハンの言葉に、マローネは激しく首を縦に振る。すると、サフィニアから疎ましそうに見下ろされた。

「どこからしのび込むつもりですか? 今回は無傷でも、次も無事とは限りませんよ」

「え、心配して下さるのですか!? 大丈夫です! わたし、とてもがんじょうなので、ちょっとやそっとじゃ、ビクともしません! お許しがいただけるまでは、あらしが来ようがやりが降ろうが日参いたしますので、どうぞご安心を!」

 マローネの発言に、サフィニアが遠い目をした。ヨハンが頭上で「それは安心どころか、いやがらせだよ」と呟いている。

「……なんてめいわくな」

 毎日押しかける宣言したマローネを、サフィニアはいい加減持て余したようだった。

 だが、ここで行動を起こさなければ、いつまでも彼女の護衛騎士になれない。マローネは、さらに自分を売り込む。

「サフィニア様! わたし、護衛だけでなく、下働きでもお使いでも、なんでもいたします! どうかおそばに置いて下さい!」

「…………――――分かりました。あなたを、一時預かりといたしましょう」

「え?」

「あいにく、私にはヨハンがおります。正式な騎士でなくとも、ヨハンほどたよりになる者はおりません。……おちびさん、あなたは半月以内に自身の有用性を私に示して下さい。ヨハンよりひいでているものが、あなたにあれば……の話ですが」

 サフィニアは笑った。ただ、それはとても冷たい笑みだ。

「もちろん、期日前にげ帰ってもらっても結構です」

 あとはマローネに目を向けることなく屋敷の中へ戻っていく。

「サフィニア様!」

 そのぐ伸びた背中に、マローネは呼びかけた。彼女はもちろん振り返らないが、今はそれでもかまわない。短期間でも、近くにいることを許してくれたのだから。

「ありがとうございます!」


――一瞬だけ止まったサフィニアの足と、ふるえた背中。それは拒絶か、別の感情があったのか、今のマローネはまだ分からなかった。


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