第一章②
ごそごそ、もそもそ。マローネは、腹ばいで壁の穴を
見回りの兵士に見つかればすぐさま
完全に壁を抜けると、目の前に広がったのは庭だった。中央に、大きな木が一本生えている。枝葉のおかげで
背中に流したままの絹糸のような長い髪に、首元から足先までを隠す、ゆったりとしたドレス。
「サフィニア様!」
呼びかけに、相手が
「どうして、あなたがここに?」
どこか
「お待ちを! わたしは、怪しい者ではありません!」
マローネは慌てて立ち上がると、
「わたしは、サフィニア様に剣を捧げたい騎士であります!」
「……騎士……?」
「はい! マローネ・ツェンラッドと申します! 実は、以前サフィニア様に……」
子どもの
「ヨハン、
「え、違います! わたしです! 昔、あなたに遊んでいただいた――ぎゃっ!?」
突然首根っこを摑まれ、引っ張られる。首をひねれば、
「まったく……! 一体どこから入ったんですかね、門は閉めたのに」
「塀の一部が
「はい、サフィニア様。その前に、この子を外に放り出してきますね」
「……お任せします」
マローネの頭上で、会話は進む。
「待って下さい! わたしは、サフィニア様に剣を捧げたいのです! あなたの騎士にして下さい!」
「…………」
サフィニアが、マローネを見た。
幼い頃のキラキラ輝いた笑顔はどこにもなく、空っぽの表情がそこにあった。
「騎士、だなんて。馬鹿なことを」
冷たい
「はい、時間切れ」
「――っ」
相手は、さぞや勝ち誇った顔をしているだろうと思ったマローネが悔しく見上げれば、ヨハンと呼ばれた青年はなぜか苦笑いを浮かべていた。
「
「勝手に決めないで下さい」
「これは、親切心からの忠告。あの人の心には誰も入り込めない。五年間、ずっとだ」
五年という数字がなにを意味するのか分かり、マローネは食い下がるのをやめた。
「いつか、君に似合いの主が見つかるさ。そう気を落とさないで、他を当たりな」
門の前で解放されたマローネは、
「わたしの主は、サフィニア様ただおひとりです。ずっと前から決めていました」
「だから、無理だって」
格子の門を開きながら答えるヨハンの返答は、やはり
「諦めません。そしてあなたにも負けません!」
「――オレ?」
「あなたはサフィニア様に信を置かれている方だと判断いたしました。よって、あなたこそわたしの目標であり、乗り越えるべき壁……! 本日は、これで失礼いたします!
サフィニア様には、マローネが非礼を
一礼し、マローネは走り出す。
「またって……二度と屋敷には入れないから、来るだけ無駄だよ!」
(わたし、変わりましたよ、サフィニア様。昔のように、泣いているだけの子どもではありません。わたしは、あなたを守ることができる騎士になったんです!)
マローネは、今のサフィニアに、どうしてもそう伝えたかった。
翌日。マローネは背中に木箱を背負って、屋敷の
(ですが、この程度で諦めるわたしではありません!)
いつでも全力を掲げるマローネは、視線を上へ向けた。
「壁とは、乗り越えるべきもの」
不敵な笑みを浮かべ木箱を下ろす。
「サフィニア様! 再び、あなたの騎士が参ります!」
そして木箱を足場に、必死に塀をよじ登って上に
「あっ!」
「――なっ」
「サフィニア様 !! 」
目が合い、マローネは思わず
「……あなた、
「昨日は大変失礼いたしました! 本日は改めて――おっと……!?」
「馬鹿! 手を離したりしたら……!」
一礼しようとしたマローネだが、不意に風が
「危ない!」
「――わ、わあっ !? 」
騎士たるもの、受け身がとれて当然。慌てる事態ではない。
「大丈夫ですか……!?」
昨日は細く小さな声で話していたというのに、マローネのことを心配してか大きな声で呼びかけてくれる。とても格好悪い姿を見せてしまったが、再会した友達の変わらない
「はぁ〜サフィニア様、やはり
「…………。怪我はしていないようですね。人騒がせな」
すぐ近くまで来てくれたサフィニアに、
「いつまでそうしているつもりです? さっさと起きて、出て行ってくれませんか?」
キラキラと輝く淡い金色の髪。長いまつげに
「聞いているのですか? ……もしかして、打ちどころが……?」
サフィニアが眉をひそめたところで、マローネは我に返り、慌てて起き上がった。
「い、いえ、大丈夫です! ご覧の通り、問題ありません!」
マローネがぴょんぴょんと軽く
「怪我がないのでしたら、今すぐ帰っていただけませんか?」
素っ気なく言われて、マローネは慌てて懐から書簡を取り出す。
「え? お待ち下さい! それはできかねます! こちらの書簡にお目通しいただき、あなたに剣を捧げるまでは!」
これ以上相手をするのが
彼女が自分の目の前で書簡を読む姿を、マローネは
「……なるほど。たしかに、正式なものですね。……
「はい! ですので、父とは数年間会っていません!」
父は、マローネがサフィニアを追いかけることをよく思っていなかったので、五年前に騎士としてサフィニアのそばに行くと打ち明けた時は
「早く家に戻りなさい。あなたのお父様も、勘当など本意ではないでしょう」
「でも、わたしはあなたの騎士に……!」
「どうしても騎士ごっこがしたいのならばよそでどうぞ、
「ヨハン!」
「大声出して、どうしま……――え、昨日の? 噓だろ!?」
屋敷から顔を出したヨハンは、すぐにギョッとした表情を浮かべ足早に近づいてくる。
「つまみ出しなさい」
「
サフィの大好きな人はこの青年だったのだと、マローネは
だが、別れから五年。
「サフィニア様――この腕輪の約束を、守らせて下さい!」
マローネの手首には、
ほんの一瞬だったが、サフィニアの両目が見開かれた。
その
「泣き虫だったわたしを変えてくれたのは、あなたです! 子どもの頃の恩返しをさせて下さい!」
必死のマローネと、反応しないサフィニアを見比べて、ヨハンが
「約束? 恩返し? え、知り合いですか? オレ、そんな話聞いたことないけど」
「ヨハン、あなたが気にとめることではありません。早く、連れ出して下さい」
ハッと我に返ったようにサフィニアはヨハンを
「サフィニア様とわたしは、秘密の友達だったのですから、誰も知らなくて当然です!」
「秘密の?」
ヨハンの
「あなたのようなうるさい方など、私は知りません」
「わたしは恩人であるあなたを、一日たりとも忘れたことはありません。わたしが変わる切っ掛けをくれた、大切な友達です」
「…………」
緑の瞳が、再びマローネの方を向く。視線は、気落ちして引きこもっている王女とは思えないほど
「あの、サフィニア様。ここまで言うんです、話くらい聞いてやったらどうでしょう?」
「ヨハン、あなたは
取りなすようなヨハンの物言いを不快に感じたのか、サフィニアはにべもなく切り捨てる。しかし、マローネが
「この子のしつこさ、見たでしょう? ここで追い出しても、絶対明日も来ますよ。
ヨハンの言葉に、マローネは激しく首を縦に振る。すると、サフィニアから疎ましそうに見下ろされた。
「どこから
「え、心配して下さるのですか!? 大丈夫です! わたし、とても
マローネの発言に、サフィニアが遠い目をした。ヨハンが頭上で「それは安心どころか、
「……なんて
毎日押しかける宣言したマローネを、サフィニアはいい加減持て余したようだった。
だが、ここで行動を起こさなければ、いつまでも彼女の護衛騎士になれない。マローネは、さらに自分を売り込む。
「サフィニア様! わたし、護衛だけでなく、下働きでもお使いでも、なんでもいたします! どうかおそばに置いて下さい!」
「…………――――分かりました。あなたを、一時預かりといたしましょう」
「え?」
「あいにく、私にはヨハンがおります。正式な騎士でなくとも、ヨハンほど
サフィニアは笑った。ただ、それはとても冷たい笑みだ。
「もちろん、期日前に
あとはマローネに目を向けることなく屋敷の中へ戻っていく。
「サフィニア様!」
その
「ありがとうございます!」
――一瞬だけ止まったサフィニアの足と、
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