第一章 私をお食べください①



 海があって陸がある。

 

 海には船のつどう港が、陸には道のこうする街があり、それぞれあまの人の生活の場となっている。

 そんな当たり前の世界で、ただひとつ風変わりなのが、りゅうと呼ばれる強大なかいぶつの存在だ。

 竜は人をらう。人の持つ思念やたましいを取り込んで力にするためだ。

 だが、しんばんしょうかんしょうできるほどの力ある竜ともなれば、人の血肉や魂そのものよりも、強いおもいをめてかなでられる、特別な歌やがくを好んだ。

 そこでいにしえの人は、力ある竜たちをまつしん殿でんをつくり、そこで日夜彼らにそうがくささげる代わりに、もろもろのてんぺんや楽のかいさぬきょうぼうあくりゅうから、自分たちを守るよう持ちかけた。

 神殿とのけいやくを受け入れた竜は〝りゅうじん〞と呼ばれ、おのれが守護する土地でそれぞれにそんすうを集めている。

 竜神をなぐさめる特別ないろは、不思議なことに、ほんのひとにぎりのてんの才を持つ女性にしか出せない。ただびとのそれでは竜のかてたりないのだ。また、美しくまされた音ほど、く竜神に届くとも言われている。

 竜神に仕える乙女おとめたちは、幼いころから神殿に入り、楽のうでみがき、あるじを喜ばせることにしょうがいをかけてつとめる。そして、おのおのが適した奏楽の種類によって、うたひめふえひめことひめなどと呼ばれる。

 ぎょうと通じ合い、神殿に仕えて人々を守る乙女のそうしょうを、『聖女』という。

 



 大陸とうたんに位置する交通のようしょう、カメレア。

 に雪をいただしゅんけんなエウリュディスをさいこうほうに火山群で囲まれたそのまちは、みどりに水をたたえる広大なセゲーレ湖のほとりにある。湖水に似せたへきかわらを持つ白い家々は、カメレア市街地の代表的なながめだ。

 そして、都市のしょうちょうでもある――小高いきゅうりょうの上にそびえ立つ、カメレア神殿。

 白輝石ペンテリコンきょちゅうが整然と並ぶだいしん殿でんの優美なたたずまいは、遠方からおとずれる旅人や商人たちにもたたえられていた。

 しかし、カメレア神殿で何より有名なのは、たおやめぞろいとうわさされる聖女たちだ。

 見習いもふくめて、実に千人あまりの聖女が、日々あるじたる竜神へのいのりを捧げている。

 だが、純白のせいじょに身を包み、毎朝いちどうかいして竜神に楽をほうずる彼女らの姿は、めっに人目にれることがない。

 それがなおのことその神秘性を増し、竜神に生涯を捧ぐ乙女たちは、劇団やぎんゆうじんたちの手で、こぞって題材にられている。

 そして、詩人たちが、――今度はを込めて――うたげるものがもうひとつ。

 乙女たちのかなでる調べとえに、カメレアの地を昔から守り続けているとされる、おそろしいりゅうの存在である。

 火竜がねぐらにするのは、セゲーレ湖のさいおうにある活火山エウリュディス。

 こうしんられてひとたびみさきに近づき、あるいは山に立ち入ったが最後。

 帰ってきた者は一人もいないと言われている。

 

――が。


「あの! 竜神さま、いらっしゃいませんか」


 さんろくにある、無人の奥神殿の前で、ルーチェ・ルリジナ――ルーは大きく息を吸って呼びかけた。

「竜神さま! お願いがあって参りました」

 さらに声を張り上げると、頭上をおおって陽光をあつさえぎる木々から、ぎゃあぎゃあと声を立てて鳥たちが飛び立っていく。

(今はお留守かしら。ここに来れば竜神さまに会えると思ったのだけど)

 なお、ここまでルーを連れてきた、きんぱくしのごうしゃよめ輿こしかつは、とっくの昔にかえってしまっている。ゆえに、今いるのはルーひとりだ。

 しかし、この奥神殿にたどりくまでが大変だったのである。

 道とすら呼びがたいけものみちき、どくへびや野犬におそわれかけ。なんなら運ばれるばかりでは申し訳なくなったルーも輿を降りていっしょに担ぐという、「どうしてそうなった」の連続だった。

 ……まあ、なかなかな目にったけれど。

(あら。本当にいらっしゃらない?)

 ルーは、あわいスミレ色のひとみかげを落とすまつげを、ぱちぱちと上下させる。

 首をかしげると、しろやカスミソウをあしらったかんと、のようにせんさいしゃのヴェールがつられてれた。まっすぐびたしろがねの長いかみからは、菩提樹フィリーラはなこうがふわりとかおる。古来のならわしに従ったしょうは、着慣れていないので少し動きにくい。

 自分の見た目が、竜神にとってどう映るのか、いちおうルーなりに予想はついている。

 小さいし、がりがりに細っこいしで、まあ、平たく言えば『ひんそう』のひと言にきるだろう。あとは全体的に色素が足りていないので、味もうすめかもしれない。

 要するに、さして食いで・・・はなかろう。ただし、筋肉が少ない点に関してだけ、わずかに残された身の部位が、やわらかそうに見えるかもしれないと一縷いちるの望みをかけている。

「ちょっと骨は多いかもしれませんが! 肉は柔らかく、あぶらすじは少なくたんぱくで、まるまる食べても胸やけしにくいと思います」

 胸の下をめつけるはばひろきんたいゆるめ、たっぷりとドレープをとった白いはなよめしょうすそを地べたに引きずらないよう注意しつつ、『売り込み文句』を考え考えさけび、ルーは奥神殿のさらに近くにを進めてみた。それから、あたりをきょろきょろ見回してみる。

 相変わらず、うっそうと森の木がしげるばかりで、時おりこずえに現れるリスや小鳥のほかは、なんの気配もない。

(どうしようかな……)

 迷いつつ、ルーはさらに声を張り上げる。

「あの! 竜神さま」  

 ここは、カメレア都心にあって聖女たちが祈りを捧げる大神殿からは遠くはなれた、竜神が実際にいますとされる奥神殿だ。これでもしお出ましがなかったら、いっそ、竜神が深くもぐって休むというセゲーレ湖に身を投げてみるしかないだろう。

 おなかに思いっきり力を込め、ルーは再びありったけの大声を出した。

「私! あなたさまのいけにえに! なりに来たんですが!! わりとがんって来たからには、ぜひともがっていただきたいです! しょうじんけっさいは欠かしておりませんし! そんなに不健康でもないので! たぶん、おそらく、マズくはないはずなんです……!」  切実な願いは、「はずなんです」部分だけをやまびこがかえしつつ。

 悲しくも、やはり鳥たちの声にされていったのだった。



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