(何ごともなく進めばいいけれど……でもそうじゃなかったら?)

 乙女ゲームとして完全にたんしてしまったら、シナリオのおくというアドバンテージが意味をなさなくなり、レティーツィアの将来の見通しが立ちづらくなってしまう。

 だからこそ、なんとか主人公がゲームを進められる状況まで持って行きたいのだけれど、これがなかなかうまくいかない。

「つらくなったらすぐに言うんだよ。リヒトに言いづらいなら、私でもいい。イザークでも、ラシードでも、最近仲良くしているレア嬢にでもいいから」

「お気遣いいただき、本当にありがとうございます。大丈夫ですわ」

 本当に全然気にしていないし、むしろマリナの印象が悪くなることのほうが問題なため、にっこりがおでお礼を言う。

「それより、どうかなさったのですか? 二年生の教室にいらっしゃるなんて」

「ああ……実はノクスをさがしていてね」

「またか!」

 セルヴァが困ったようにまゆを下げ、少しおどけた様子で両手を広げたしゅんかん、ラシードがムッと眉を寄せる。

「お前んとこの側近はいったいどうなってるんだ。ちょいちょいゆく不明になりおって。今週、これで三回目だろう。ヤークートでは考えられんぞ」

 そう言って、教室のドアの前に立つアーシムを指差した。

「見ろ、あのアーシムを! 用もないくせに、休み時間のたびに二年の校舎に来やがる!うっとうしいことこの上ない!」

「鬱陶しいんじゃないか」

「だが、側近とはそういうものだろう? 主人に探させるなど……あってはならん!」

 かいだと言わんばかりに、ラシードが顔をしかめる。

「ノクスの忠誠心は、アーシムのようにとても強いよ。だからこそ、いなくなるんだ」

 そんなラシードにしょうし、セルヴァはドアの前のアーシムを手で示した。

「主人に危険がせまった時、主人のたてとなり、その身をていしてあるじを守るのがアーシムだ」

「そうだ! それぞ側近だろう!」

「ノクスは主人のけんとなり、その危険をいち早くはいじょする。僕の知らないところでね」

 思いがけない言葉だったのだろう。ラシードが息をむ。

 そしてレティーツィアもまた、セルヴァを見つめたまま目を見開いた。

 二人のやりとりに、覚えがあったからだ。

「僕のためなら、喜んでやみに生きる暗殺者になる。それがノクスだ。だから、いいんだよ。姿を消すのは。姿を消している間も、彼が僕のために動いているのだから」

 ヴェテルの攻略対象――ノクスと主人公が出逢であう、その布石となる会話だ。いくとなく見た。まさしく、シナリオどおりのワンシーン。

 ただし、その場にいたのはレティーツィアではなく、主人公だったけれど。

うそ……。これ、絶対マズいよね……?)

 全身から、血の気が引いてゆく。レティーツィアは震える手で口もとを覆った。

 攻略対象と出逢う布石となる会話が、主人公の前で行われなかった。

 話の内容的にも、二人が主人公の前でまったく同じ会話をもう一度するとも考えづらい。

ということは――その攻略対象と主人公が出逢う余地がなくなってしまったということにならないだろうか。

『黙っててよ! 口を出さないで! っていうか、どうしてここにいるのよ! あなたがいるから、うまくいかないのよ! どこかに行って!』

 マリナの言葉が、のうめぐる。レティーツィアはゴクリと息を呑んだ。

 主人公が聞くはずの会話を自分が聞いてしまったのは、たしかに見方によってはじゃをしていることになるのかもしれない。

 これでは、『あなたがいるから、うまくいかない』と言われても仕方がない。

 ただの八つ当たりだと思っていたけれど、もしかしてそうではないのだろうか。

(私……知らないところで、主人公の邪魔をしていた……?)

 何かしたつもりはないけれど、それでも自分のせいでゲームがシナリオどおりに進んでいないのだとしたら、マリナが過剰な反応を示したのにも納得なっとくがいく。

 マリナが、あれほどまでに自分を目のかたきにしている理由も――。

「…………」

 言葉を失っていると、それに気づいたセルヴァが「すまない。レディの前でするような話ではなかったね。すいなことをした」と苦笑する。

 レティーツィアは力なく首を横に振った。

「いいえ、大丈夫ですわ……」

「……しかし……」

「だが、この学園でそんな危険はそうないだろうよ。言いたいことはわかるが、それでも週に三度も主に探させるのは、多過ぎる」

 納得がいかないのか、ラシードがブスッとしたまま言葉を続ける。

 セルヴァは何か言いたそうにレティーツィアを見つめたあと、そっと静かに息をついてラシードに視線をもどした。

「ノクスが相手にするのは、危険だけじゃないからね。僕の周りの不確定要素はとにかく排除しておきたい性質たちなんだ。おこらないでやってくれ」

「まぁ、オレの側近ではないからな。セルヴァがそれでいいなら、オレが言うことはない。だが、気に入らん!」

 さらにけんのしわを深めて「せめてそばはなれる時は、そのむね一言告げるようにさせろ。主人に探させるなど、どんな理由があろうとよくないぞ」とうなる。

「忠誠心があるのなら、余計にだ! 主に心配をかけるのも罪だと教えておけ!」

 どうやらノクスの従者としての在りように不満があるというよりは、セルヴァのための言葉のようだ。セルヴァがいつも心おだやかでいられるようにという――。

 それが伝わったのだろう。セルヴァはまぶしげに目を細めると、そのかんくちびるほころばせた。

「ふふ。そうするよ。本当に……ラシードはまっすぐでいいね」

「なんだ? 馬鹿にしているのか?」

「まさか。めたんだよ。そして、感謝もしているんだよ? これでもね」

 学園の中心にある聖堂のかねの音がひびく。

 セルヴァは「ああ、れいだね……」とつぶやくと、再びレティーツィアの顔を覗き込んだ。

さわがせてしまって、すまなかったね。レティーツィア嬢。……しつこいかもしれないけれど、本当に大丈夫なんだね? 何かあったら、遠慮えんりょせずに相談するんだよ?」

 相談など――できるはずもない。

 レティーツィアはセルヴァを見上げると、再びにっこりと笑った。

「ええ。でも、本当に大丈夫ですわ。セルヴァ・アルトゥール殿下」

 尊き方々のお心を、煩わせてはいけない。

(笑っていなくては……)

 何があっても、なんでもないのだという顔をしていなくては。

 レティーツィアは笑みを深めて、努めて元気よく告げた。

その時はヽヽヽヽ、ちゃんと相談させていただきますわ」

 その答えに、ラシードがギリリとおくを噛み締める。

 そしてセルヴァもまた、悲しげに目をせた。

「そう……。それなら、いいのだけれど」

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