第二章 同人誌(ほん)がなければ、作ってしまえばいいじゃない!


「この世界は……なんてこくなの……」

 レティーツィアは指を組んで口もとをおおい、机にひじをついて、は~っと大きなため息をついた。

 空はどこまでも青くわたり、風も暖かくてここよい。陽光を受けてあざやかにきらめく新緑も、どこからか運ばれてきた花の香も、春という季節の美しさをこんなにも感じさせてくれるのに、しかしレティーツィアの心は晴れないままだ。

(この世界に生息するヲタクって、ちゃんと息できているの? 心配なんだけど)

 まさか、そもそもヲタクが存在していないなんてことは――いや、それはないだろう。

 この学園の選ばれし者たちは、生徒たちから常にその一挙手一投足を注目されている。

 ラシードがアーシムと笑いながら歩いているだけで黄色い声を上げ、クレメンスが心地よいかげで詩集を読んでいるだけで感涙かんるいし――リヒトと目が合ったというだけであまりの光栄さに卒倒そっとうする。――つまり彼らの尊さは、ちゃんとみんなの心をいているのだ。

 それで、ヲタクが存在しないわけがない。

 ファン心理は持っているのにオタク心理が理解できないだなんて、そんなわけはない!

(だとしたら……みんな、どうして平気なの……?)

 気軽にえ語りをできる場所すらなくて、どうして平気なのだろう?

 少なくとも、レティーツィアにはえられない。この一週間で、すでに虫の息だ。

 つくづく、自分が生きた時代の日本は、ヲタクにやさしい世界だったのだと思い知る。

(かつては日本でも、同志を探すのが困難だったと聞いているけれど……)

 インターネットがふっきゅうしていない時代は、今のように気軽に同志と語り合ったり、同人絵や同人まん、文字同人にれたりすることができなかった。同人即売会イベントに足を運んで、うすい本をあさり、専門雑誌の投稿欄とうこうらんで同志をつのっていたと聞く。

 同人作家さまも、創作意欲をぶつける先は薄い本や専門雑誌への投稿に限られていて、今より同人印刷が当たり前でなかった時代、本当に苦労して創作を行っていたという話だ。

 ネットはあってもSNSがまだ存在しなかった時代、同人作家さまたちは自身の性癖せいへきめ込んだサイトを作って創作意欲を消化していたとか。そしてそこに、同じ性癖を持つヲタクたちが集まり、交流を行っていたらしい。

『萌え』の供給を求めて、血のにじむような努力をしていたのだと――。

「そう考えたら、もしかしてSNSがないとなげくのは傲慢ごうまんなことなのかしら……」

 SNSやネットがなければヲタクでいられないなんて、愛が薄いしょうなのでは。

(先人がそうしてきたように、『し』愛を語れる場所は自分で作るべきで、語り合える同志さまも自力で見つけるべきなのでは……)

 そこまで考えて、ふと心の中に明かりがともる。

(そうだ、そうすればいいのよ。ヲタク分化を広めてゆけばいい)

 大っぴらにではなく、あくまでひっそりと、こっそりと。だけど確実に。

(とすると――まずは何からはじめる? 同志さまの発掘はっくつ? でも、どうやって?)

 そんなことを、悶々もんもんと考えていた時だった。

「レティーツィアじょう! どうしたどうした。この世の終わりみたいな顔をして」

 トンと、机にかっしょくの手が置かれる。レティーツィアは、ハッとして顔を上げた。

うれい顔も美しいがな。だが、やはりレディには笑っていてほしいぞ!」

 いつの間にか前に立っていたラシードが、レティーツィアの顔をのぞき込んでニッと笑う。

「ッ……!」

 動いて話す『推し』が尊過ぎて、いっしゅんにして幸せに包まれる。

 いや、動いて話すだけではない。さらに、レティーツィアの心配までしてくれたのだ。ときめかずにいられようか。

 そして、こうやってラシードがだれかに心をくだいているところを、アーシムがどこからか見ているのだと思うと――ああ、たまらない!

(キュン死してしまいそう……)

 ふるえる声で「も、もったいないお言葉です……」と答えるのがやっと。

ざるにしては、いいことを言うではないか」

 顔を真っ赤にして萌えをめていると、ラシードに続いてレティーツィアの席へとやってきた人物が、優しく目を細めて笑う。

「まぁ……! セルヴァ・アルトゥール殿でん……」

「日に日に鬱々うつうつとしていっているように見えるけれど、だいじょうかい?」

 風をつかさどる国――ヴェテルの第二王子、セルヴァ・アルトゥール・ヴェテル。

 豊かに波打つ白髪はくはつに大人の色香に満ちたどういろひとみ。国をしょうちょうする色が白のため、制服はほかの色が一切いっさい入らない純白。しかしその清廉せいれん潔白なイメージに反して、ゆうながらもどこか危険な香りのする――あやしいりょくに満ちた王子だ。

「もしや、あの庶民しょみんの彼女がまた……?」

 葡萄色の瞳が心配そうにかげる。レティーツィアはあわてて首を横にった。

「いいえ。そうではありません」

 もちろん、ヒロインであるマリナについてのなやみもないわけではないけれど。

 あれから彼女は、毎日何かしら理由をつけてリヒトのもとへとやってきては、リヒトやほかの選ばれし方々とお近づきになろうと試みているが、まったくうまくいっていない。

 リヒトが目当てのようにも見えるけれど、『皇子自ら学園を案内する』というゲームの最初のイベントが起こらないことにはほかのこうりゃく対象とのつながりもできない。そのため、まずそこをクリアーしようと奮闘ふんとうしているように思えるのは、気のせいだろうか?

(どうも、ゲームと同じじょうきょうを作ろうとしているように見えるのよね……)

 ということは、彼女も転生者なのだろうかとも思ったけれど、そもそもゲームならば、シナリオどおりに進むように修正デバッグが入るのは当然のことだ。

 そう考えると、ゲームのキャラクターであるにもかかわらずシナリオどおりに行動する気配がまったくないリヒトのほうがおかしいのかもしれない。

(だから、よくわからなくなってきちゃったのよね……)

 シナリオどおりに進んでいないのもあり、めつかいするために何をすればいいのかがまったくわからない。

 この一週間――わりと詰んでいる。

 丸一年というゆうを考えれば、あせっても仕方がないのかもしれないけれど。

「おづかいありがとうございます。でも、ちがいますわ。ごく私的なことですの」

「そうかい? それならよいのだけれど。彼女はなぜ、ああも君にっかかるんだろうね。リヒトもずいぶんわずらわされているみたいだし、困ったものだね」

 その言葉に、内心ため息をつく。

 ゲームを先へ進めようとするマリナの行動は、プレイヤー目線からすればごく真っ当で、正しいもの。しかしほかの者たちからすれば、身分や立場をまったくわきまえていないもので、しかもそれに対してリヒトはこれでもかというほどの塩対応だ。それはもう、かつて同じプレイヤーだった身からすれば、わいそうになってしまうほど。

 だからついついたすぶねを出してしまうのだけれど、なぜだかマリナはそれに対して、『どうしてそこまで?』と首をひねりたくなるほどのじょうな反応を示すのだ。

 にらまれたり、冷たい言葉であしらわれたり、無視されたりはわいいものだ。昨日など、ついに皇子たちのいないところで怒鳴どならされた。

だまっててよ! 口を出さないで! っていうか、どうしてここにいるのよ! あなたがいるから、うまくいかないのよ! どこかに行って!』

 レティーツィアに対して当たりが強いのは、さほど気にならない。それより、リヒトが最初の行動をしないせいで、ほかの攻略対象がマリナに興味を持つどころか逆に悪印象がどんどん積み重なっていってしまっているほうが問題だ。

 これが続けば、本来乙女おとめゲームであるこの世界はいったいどうなってしまうのだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る