「リヒトさま?」

 奥歯を噛み締めたしゅんかん――マリナが一向に答える様子を見せないリヒトを見つめたまま、小首をかしげる。

(どうしよう……。いましめるべき?)

 だが、それをしてしまっていいのだろうか?

 正しいことを言っていたとしても、主人公のじゃをしてしまっては、その先はやっぱり破滅が待ち受けているのではないか。

「――失礼」

 迷っている間に、リヒトの忠実な従者であるイザークがサッとあるじの前に進み出た。

「マリナ・グレイフォードさん、でしたか。学園の案内はほかの方にお願いしてください。殿下はおいそがしい身ですから」

 その言葉に、ハッとして顔を上げる。ほぼ同時に、マリナがそのれいな眉を寄せた。

 大きなチョコレート色の瞳が、戸惑いに揺れる。

「え……? でも、昨日は……」

「たしかに昨日、学外で迷子になっていたあなたを学園まで案内したと、殿下よりうかがっております」

 マリナの言いたいことを察したのか、イザークがにっこりと笑って頷く。

(殿下とマリナは、昨日出逢であったのね……)

 学園外でりょうを探して迷子になり、困っていたところにリヒトと出逢い、学園まで送ってもらったというのは、まさにシナリオどおりの展開だ。

 でも――だったら、今の言葉はなんだろう? 

 シナリオどおりならば、

 イザークもレティーツィアも唖然としている間に、リヒト自身が仕方ないなと苦笑し、それをりょうしょうしてしまうという展開なのだ。

「ですよね? だから、私……」

「しかしそれは、たまたま殿下が気ままに学外の散策してらしたタイミングだったのと、その場に殿下以外の片がいらっしゃらなかったからに過ぎません」

 それを当たり前だと思ってもらっては困るとばかりに、イザークがピシャリと言う。

 そんなことを言われるとは夢にも思っていなかったのだろう、マリナが困惑した様子でうつむいた。

「で、でも私……リヒトさまが……」

 チョコレート色の瞳に、疑問の色がありありとかぶ。

 レティーツィアはハッとして、彼女の前に進み出た。

「……マリナ・グレイフォードさん」

 そして、なおも言いつのろうとした彼女をやんわりと止め、唇を綻ばせた。 

「転入したてで不安なのはよくわかりますわ。代わりに、というのもおこがましいですが、わたくしでよろしければご案内させていただきますわ」

 意地悪と受け取られないよう、しっかりとマリナの目を見て、穏やかに微笑んで、言う。

 しかし、マリナはサッと顔色を変えると、レティーツィアを強くねめつけた。

「邪魔をしないでもらえますか? 私はリヒトさまと話しています。あなたではなく」

「……え……?」

 予想だにしていなかった返答に、思わず目を丸くする。

「信じられない! なんて言いようだ!」

「レティーツィアさまのおこころづかいを……!」

「無礼な!」

 その場にいた誰もが息を呑み、不快感を口に上らせる。

 だがレティーツィア自身は、おこるよりもただ驚いて、まじまじとマリナを見つめた。

 どういうことだろう? わけがわからない。

(ルート分岐もしてない段階なのに、なぜこんなあからさまに敵意を向けてくるの?)

 ルート分岐をしていない。えれば、まだヒロインの攻略対象は定まっていない。

 それはつまり、現段階ではまだレティーツィアは主人公のライバルではないということ。

 当然、虐めや嫌がらせと受け取られる行動をまだ何一つしていないし、それで主人公が傷つき、仲がこじれたということもない。

 そもそもシナリオでも、この現実ヽヽでも、レティーツィアと彼女はこれが初対面なのだ。

(それなのに、どうして……)

 レティーツィアに対して、これほど敵意丸出しの態度を取るのだろう?

「君は……」

 内心首を傾げていると、リヒトがゆっくりと口を開く。

 マリナがぱっと顔をかがやかせる。しかしリヒトは、ひどく冷ややかな視線を彼女に向けた。

「まず、礼儀というものを学ぶべきだな。私に声をかけるのは、それからだ」

「――!」

 マリナの表情がこおりつく。レティーツィアもまた息を呑み、リヒトを見つめた。

 今、なんて――?

「――行くぞ。イザーク」

 それだけ言って、リヒトが足早にマリナの脇をすり抜ける。

「っ……! 待っ……!」

 マリナは身をはじかせると、素早く振り返ってリヒトの背中に手を伸ばした。

「リヒトさま!」

 その声が聞こえたのか、リヒトがピタリと足を止め、かたしにこちらを振り返った。

「――何をしている?」

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