⑤
急に、憧れの乙女ゲームの世界に転生したのだという実感が
レティーツィアはリヒトの背中を見つめたまま、ブルリと身と震わせた。
(前世で、何度画面の向こうに行きたいと思ったか! 本当にそれが
こんな素晴らしいことがあるだろうか。
(ああ、もう……! 神さまって本当にいるんだな! 本当にありがとうございますっ!転生したのが『主人公』じゃないってところが、また『私』をよくわかってらっしゃると言わざるを得ない!)
感激に胸を震わせていた、その時。タタッと足音も
視界に、チョコレート色の髪が
「リヒトさま!」
あたりが驚愕にざわめいた。
(来た……!)
一気に、
マリナ・グレイフォード――ヒロインだ。
「リヒトさま。昨日はありがとうございました!」
反射的に足を止めたリヒトの前に回り込んで、マリナがにっこりと笑う。
上気した頬に桜色の唇。青空をバックに、春らしいピンクのリボンがヒラリと風に舞う。
それは、ゲームのシナリオどおりの行動だった。けれど――。
「リヒト殿下を呼び止めた、だと……?」
「身分低い者から声をかけるだなんて……!」
「
信じられないと言わんばかりの声が、あちこちから聞こえる。
レティーツィアもまた、その暴挙に
(ゲームをプレイしていた時は、ピンと来なかったけれど……)
レティーツィアとして生きてきたからこそわかる。ヒロインの行動がどれだけ常識から外れているか。
常識がないどころではない。『これだから庶民は』などと
「リヒトさま! よろしければ、学園も案内していただきたいんですけど……!」
「っ……!」
マリナが人を
――覚えのある
しかし、それもまた、この世界の常識では考えられないことだった。
誰かを案内するなど、高貴な者がすることではない。それをよりにもよって皇子に
そもそも一国の皇子に何かをねだるなど、それ相応の身分があったとしても、軽々しくしていいことではないのだ。
そんなことは、子どもでも知っている。当たり前のことなのに。
(でも、わからないんだ……。マリナには……)
前世の自分もわかっていなかった。二十一世紀の日本には、厳格な身分制度も、それに
「…………」
みなが一様に
この場にいる者の中で、あきらかにマリナだけが異質だった。
(それは、生きる世界が違う者が操作しているキャラクターだからなの……?)
ゴクリと、息を呑む。
二十一世紀の日本で生きた『私』の目には、ただ可愛らしく、微笑ましく映った行動が、この世界で生きている者にとっては、正気さえ疑うほどの
あらためて、世界が違うのだと実感する。
『私』の中の『
つまり、プレイヤーの『当たり前』と、その世界で生きるキャラクターのそれは、全然違うということだ。
レティーツィアとなって、はじめて見えてきたもの。プレイヤーだった時にはまったく見えなかった、気づかなかった、感じられなかったさまざまなもの。
それらが、こんなにもヒロインの言動の――そして、彼女の印象を変えてしまうなんて。
(ああ、そうか……)
だからゲームのレティーツィアは、あんなにも
リヒトが広い心でそれを許しても、レティーツィアは受け入れられなかった。
リヒトはシュトラールが
侮られることも、軽んじられることも、決してあってはならない。
だから激しく叱責した。繰り返し否定した。それでもまったく態度を改めないマリナを、リヒトから引き
「……ッ……」
じくりと胸が痛む。虐めではなかった。決して、不当な意地悪ではなかった。
それなのに――。
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