第一章 推しを存分に愛でるためにも、身分と財力は必要ですわ!


 何やらかぐわしい香りが、こうをくすぐる。

 それにさそわれるように、ゆっくりと意識がじょうする。

「……ん……」

 小さく身をふるわせ、そっとぶたを持ち上げた。

(ああ~……いい夢だった……)

 半覚醒かくせいのぼんやりとした状態で、それでも勝手にくちびるほころぶ。

(夢の中でさえ尊いが過ぎる『し』……。幸せ……)

 しかも、あの断罪シーンをプレイヤー目線ではなく悪役れいじょう目線で見ることができた。なんてお得な夢だろう。『推し』に断罪される経験ができるなんて。

(ああ……。ぐうの音も出ないほどかっこよかった……!)

 もともと正義感は強いけれど、それでも彼はいずれ王となる者。だんは決して、大勢の前で激昂げきこうして怒鳴どならすなんてことはしない。

 あれは、心から愛する者を傷つけられたからこそのいかり――。

 まっすぐに悪役令嬢をねめつける、れつほのおに燃えた金の双眸そうぼう。そして、マリナをうでたのもしさと言ったら。

(ああ、もう……素敵過ぎる……!)

 激しいえに全身を震わせながら、ほうっと息をついた――その時。

「おはようございます。レティーツィアさま」

 おだやかな女性の声が、至近距離きょりで聞こえる。

(えっ――!?)

 一気に、頭が現実にヽヽヽもどされる。自分は一人暮らしだ。起きぬけに部屋の中で自分以外のだれかの声を聞くなど――誰かの気配がするなど、ありえない。

「だ、誰っ!?」

「え? 誰と申されましても……あの、レティーツィアさま? もしやお加減が……?」

 ベッドの周りは、幾重いくえにも重なるうすいヴェールで囲まれていた。ヴェールに映る人影ひとかげまどいがちにれて――思わずまゆをひそめる。

 その声に悪意や害意といったものは感じられない。安心していいかはわからないけれど。悪意も害意もなく、若い女性の住居にしんにゅうする人間のほうが、むしろこわい気がする。

 しかし、気になったのは、そんなことではなく――。

「レティー……ツィア……?」

 それは、ここのところ毎日、目に――耳にしている名前だった。

(……って、そんなことはどうでもいい! まずは助けを呼ばなきゃ……!)

 スマホを探してあたりを見回して、ハッとする。

「え……?」

 そこにはスマホも、大音量の目覚まし時計も、学生時分から愛用している蕎麦そばがらまくらも、一切いっさい見当たらなかった。代わりに大きなクッションが四つ。ひどくざわりのいいカシミヤシルクのシーツ。あわいグリーンに白で、何やらもんしょうのような模様がかれている。

 そもそもベッドのサイズがちがう。もしかして、ダブルより大きいのではないだろうか?

(な、なんなの!? いったい何が起こっているの!?)

 何もかもに、見覚えがない。

 どうがどんどん早くなってゆく。

「レティーツィアさま?」

 人影の――ひどくづかわしげな声に、ゴクリと息をむ。

 必死に自分を奮い立たせて、目の前のヴェールに手をばす。

「ッ――!」

 ヴェールの先には――ミルキーグリーンに白のばながらが可愛らしい壁紙かべがみ。大きな窓からまばゆの光が差し込み、純白のレースカーテンが風にそよいでいる。

 細かいそうしょくほどこされたマントルピース。シンプルなファイヤースクリーンのかたわらには、シングルソファー。その上には読みかけの本が置かれている。

 カブリオレ・レッグの曲線が優美な、ライティングテーブル。椅子いすも同じく丸みのあるデザインがとても可愛らしい。

 部屋の中央のセンターテーブルには、大輪の白薔薇ばらかざられている。そしてその前には、深い緑が美しいクラシカルなカウチソファー。

 かえると、さっきまで自分がていたのは、美しい天蓋てんがい付きベッドだった。

「…………」

 言葉が出ない。ホテルのスイートルームより美しく、ごうで、らしい部屋だ。もちろん、自分の――築三十年をえる八じょうのワンルームの部屋ではありえない。

 ガクガクと全身が激しく震える。いったい何が起こっているのか。

(ここはどこ!? 私……私、は……!?)

 激しく混乱する中、クローゼットのわきに姿見を見つけて、思わずる。

「――っ!」

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