第45話 深き底にある“偽り”
深い深い夢に落ちていく。詩織さんの匂いを全身に感じながら、深く深く。先が見えないくらい暗い、果てしなく深い夢に。
そして深く落ちた先の幸せを私は堪能していた。このやり取りが夢だとわかっていても。
「詩織さん!」
「なぁに?」
「なんでもな〜い。ただ呼んでみたくなっただけ〜」
「んもう、いたずらっ子なんだから」
何でもない日常。なんの抵抗感もなく詩織さんの名前を呼び、詩織さんが洗濯物を畳みながら笑顔で振り返る。そんな様子を笑顔で眺めながら、私は学校の宿題をこなす。そんな、何でもない日常を夢見ていた。
自然と笑みができるようになってる私。生活感のある暮らしを出来てる私。幸せそうな私。
夢の中の私は、素敵だった。もういっそ、このまま夢に溶けてしまってもいいとさえ思ってしまった。
『よくないわよ?ここにいても、何にもならないわ』
“私”が呼び止めてくれるまでは。
どうして?このまま夢の中にいた方が、私は幸せなのに。
詩織さんは言っていた。『幸せになる方を選びなさい』と。だから、私は幸せな方を選んでるのに。どうして“私”はそれを否定するの?
『虚ろな世界で満足して、本当にいいの?あなたの求める幸せはこんな偽りの世界にあるの?』
…………。
“私”から突きつけられた言葉に私は何も返せなかった。
“虚ろな世界”。“偽りの世界”。その言葉を出された時点で、私の幸せな夢は崩壊していた。
さっきまで見ていた光景には靄がかかり、自然と出来ていた私の笑みも崩れ去っていく。
『戻りなさい、あるべきところに。ここに、あなたの望むものは無いわよ』
“私”の言う事はもっともだった。私が見ていたものは幻想だと、心のどこかで分かっていた。けれど、それでも溶けてしまいたいと思った。
けれど、それはただの願望で、少しでも現実の苦しみから逃げたい、その想いが生み出した私の弱いところ。
私は弱い。我慢をしきれなくなってしまった、一年前のあの日から私は弱くなってしまった。詩織さんに拾ってもらってから、更に弱くなった。
自分の欲が抑えられない。今までどんな風に我慢してたんだっけ。どうして我慢してたんだっけ。
そもそも、我慢って……何だっけ?
グルグルと考えてるうちにわけがわからなくなってしまった。
そんな時、いつものように“私”が私の背中を押してくれた。
『今まで我慢してたんだから、その分甘えちゃっていいんだよ。詩織さんはそれを許してくれる人だって、分かってるでしょ?』
そう言って私を深い偽りの世界から引き摺りだしてくれる“私”。
私が折れそうになると、どこからともなく現れる“私”。そんな私に、一度はなって見たい。
そう願いながら、私は深い夢から浮上する。ぐんぐんと浮上していく感覚は、落ちていく時の心地よさとは別の感覚だった。
浮上するごとに『頑張れ』『私ならできるよ』『幸せになろう』と、“私”が私に語りかけてくる。その度に、心が少しだけ満たされていく感覚があった。
今はまだ“私”に助けられてばかりだけれど、きっといつかは“私”から離れる時が来るのだろうか。ずっとこのまま私のそばにいて欲しい。私をいつまでも見守ってて欲しい。
────ずっと、いてね。
そう願いながら、私は夢の海からの浮上を果たした。
「うぅ……っ、寒い……」
目を開けると、窓の外はすっかり暗くなり部屋も、季節相応の寒さになっていた。
今何時だろう。そう思いながら、スマホの画面を開こうとするも明るくならなかった。
「……電池切れ」
昨日の夜の時点で充電は少なかったから、もしかしてと思っていたがその通りだった。
しかし、そんな事は今はどうでも良かった。
「詩織さん、どこだろう……」
さっきまで一緒に寝ていたはずの詩織さんが部屋のどこにもいなかった。
私は勢いよく寝室の扉を開け、リビングを確認するもいなかった。その代わり、玄関で誰かと一緒にいる詩織さんが目に入った。
───ネェ、その男の人はダレ?
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