第78話 潜入

 扉はあっさりと開けることが出来た。正直、こんな簡単に開けてしまって良いのだろうかと思ってしまうぐらいだったけれど、拍子抜けしてしまったというよりかは何もなくて良かったという感想しか見つからなかった。


「まあ、別に何もないことは悪いことではないのだし……。それに関しては、別にあまり考えなくても良いのではないかしら? それとも、何かサプライズを期待していたのかな?」


 どうかな。サプライズは期待していたかもしれないが、それが悪いサプライズではないことをずっと祈っていたからな。悪いサプライズは出来ることなら忌避したいけれど、良いサプライズなら積極的に経験しておきたいものだ。人生、楽に生きていきたいとは言わないけれど、苦労ばかりはしていたくないだろう? そりゃあ、楽したい人間が一定数居るのも間違いとは言えないし、それが案外生きやすいやり方だったりしないでもない。憎まれっ子世に憚るとは言うし。

 ただ、憎まれっ子ばかり居る世界というのも想像はつかない。どんな人間だって一定数は存在する訳で、楽出来ている人間が居るとするならば、何処かで必ず貧乏くじを引いている人間が居ることもまた事実だ。……こればっかりは、そうならないことを祈るしかないね。


「そりゃあまあ、人生は楽出来た方が良いのは間違いないけれども……、だからといって、そう簡単に上手くいくとも限らないのではなくて? 結局、人間というのは歪な生き物であることは間違いないのだし」


 家の中に入ると、ひやりと空気が冷たく感じられるようになった。普通、家というものは誰かが居れば暖かい雰囲気というか、人が住んでいる雰囲気というものを感じられるはずだ。けれども、この状況は明らかに違う。はっきり言って、これは空き家とかそういう問題では片付けられる訳もなく、結局のところは、人間が居る気配すら感じられないというよりかは、人間以外の何者かが居るような気配と言えば良いのだろうか……。


「……はっきり言って、これはやり過ぎと言っても良いでしょうね。普通、『あやかし』はあまりこういうところで雰囲気を出さないものよ。だって、そうでしょう? 人間に悪意を持って接するならば、わざわざこんなことをしないでおびき寄せてそのまま攻撃してしまえば良いだけの話。ずっと安全圏で生活していると思ったら、気がつけば相手の口の中で後は口を閉じるだけ……。それの方が楽に決まっているでしょう? けれども、これは違う。まるで、わたし達を待ち構えているかのように……。注意した方が良いね」

「それぐらい分かっているとも。……ただまあ、一般人が居るのははっきり言って一番のウィークポイントかもしれないな。普通ならば安全圏で戦力外通告でもしてやりたいところではあったのだけれど、残念なことにこの一般人は当事者でもある訳だし。残念と言えば残念。しかしながら、そうだからこそそのウィークポイントを全力でカバーするしかない訳で」


 ウィークポイントね……。弁慶の泣き所、ではないけれど、まさにそういうところに関しては極力狙われないようにするというのがベストな選択なのだろうな。けれども、ベストな選択ばかり人生で歩める訳ではないのだ。それをどう熟していくかも問題であったりするし、案外昼行灯な人間が普通にそういう能力だけは鋭かったりするのもある訳だし。


「それについてはドラマの見過ぎ……とも言い切れないかしらね。だって、ドラマも今はホームドラマなんてめっきり少なくなってしまった訳だし。渡る世間は鬼ばかりも気づけばもう新作は出てこないだろうし、昔は刑事ドラマだって情に厚い刑事が主役の作品も多かった訳よ。はぐれ刑事純情派なんて知らないでしょう。樹木希林に藤田まことが出ていて、やっさんと言われる安浦刑事が出てくる作品を。はみだし刑事も面白かったし、テレビ朝日の刑事ドラマって何処も面白かったりするのよね。最近だって、良くやっているでしょう。必ず星を挙げるという一課長。あれだって全部が全部真面目かと思えば、芸人が演じている登場人物の名前がそのネタから来ていたり、コメディチックなCMばかりやっていたり……、あんなコメディチックだったっけ? ってなったりするのよねえ。矢印だらけの死体とか、ビル街で羊の鳴き声が聞こえたとか。でもあれで視聴率稼げている訳だし成功は成功なんでしょうけれど、脚本は大変そうよね」


 テレビは今何処も彼処も大変なのだろうよ。実際、感染症のことを報道しまくったらスポンサーの企業の利益が落ち込んじゃって、スポンサー料が減ってしまった――なんてこともあったらしいし。少しぐらいは、そんなこと考えなかったのかね?


「考えたところで何も進みはしないよ。……それとも、」


 何かを言おうとしたところで、六実さんは言葉を噤んだ。


「……何かありましたか?」


 出来る限り、無駄な言葉は排除する。

 今言えることは、そればっかりのことしか出来なかった。


「……正直、このエネルギーを馬鹿にしていたのではないかな、六実は」


 言ったのは十六夜さんだった。

 こくり、と頷いた六実さんは続いて話し始める。


「百鬼夜行ね?」


 分かったように言われても、困る。

 もっと一般人にも分かるように言ってくれないか。


「その通り。今この結界を作り上げたのは――紛うことなき百鬼夜行だ。妖怪や都市伝説にフォークロア……その他諸々の『あやかし』を一つの個包装パッケージにまとめ上げた、『百鬼夜行』がね。さて、ここで問題だ。妖怪の元締めと言われて、いったい何を想像するかな?」

「……ぬらりひょんとか?」


 でもそれって違うような気もするけれど。


「それは一般人の考える、妖怪の総大将だな。……ゲゲゲの鬼太郎がルーツだったかな? まあ、妖怪という概念を日本人に知らしめた一番の貢献者とも言えるだろうけれど。妖怪の総大将がぬらりひょんと言われると、ちょっとこちらとしては良く分からないのだよね」

「じゃあ、何だって言うんですか」

「どれぐらい居るかも分からない妖怪をまとめ上げるのに、肉体労働で済むと思うかね?」


 いいや、思わないね。

 妖怪だって人間と同じように様々な考えを持っているだろうし、そんな妖怪を一人――妖怪の数え方って一人で良いんだっけ? ――でまとめ上げるのは無理がある。


「じゃあ、何だと思う? 間違えたって構わないさ。別に人形を取り上げることなんてしないし。ただ、あまりにも核心を突く発言をするとそれはそれで追々面倒臭そうなことになりそうだけれどね」


 じゃあ、どうすりゃ良いんだよ。

 手詰まりじゃねえか。

 手詰まりどころか、行き止まり。


「……姉さん、いくら何でも解答させる気がないんじゃないの? ヒントも何もなくて、いきなり妖怪の総大将を答えろ、と……。それはこちら側の人間が知っている情報であって、あちら側が知っている情報ではないでしょうに」


 六実さんが溜息を吐きながら、そう問いかけた。

 十六夜さんは笑みを浮かべて、


「そうだったかな? いや、普通の世界とも付き合いが希薄になるとその辺りは忘れてしまうねえ……。じゃ、正解は……肉体労働というところにヒントがあったんだけれどね。妖怪や都市伝説、フォークロアなどの『あやかし』をまとめ上げるには、肉体労働では敵わない。そりゃあ、古臭い価値観を持っている妖怪も少なからず存在しているようだから、そこに関しては拳で何とかすることもあるのだろうけれど、トップがわざわざそれをする必要性はない。……要するに、頭脳労働が出来る妖怪がそのトップに君臨している、という訳」


 頭脳労働が出来る妖怪なんて、知っている妖怪の中に居ただろうか? うーん、まったく思いつかないけれど……。

 カサカサ、と。

 何かが動き回るような音が聞こえた――。音からして、虫が動く音だろうか? 誰も居ない部屋にゴキブリとか居たらたまったものではないけれど、殺虫剤とかあったかな……。


「いいや、そんな生易しいものじゃないよ」


 そう言って、十六夜さんはぼく達を手で制して立ち止まらせる。

 暗闇から、何かが姿を現した。

 それは――白いワンピースを着た女性だった。妖艶な眼差し以外は、ただの女性に見えるけれど……。


「あれをただの女性と見るならば、ジョンくん、君も彼女の犠牲者になる可能性が高いということだね。……分からないか? あの女性から感じられる、妖気が」


 妖気? 妖気って確か妖怪とかの『あやかし』が出すオーラみたいなものだったような気がするが、こんな普通の女性からも妖気が出てくるのだろうか?


「……絡新婦じょろうぐも。聞いたことはないかしら」


 言ったのは、雪斬に手をかけている六花だった。

 女性の下半身――それは、人間のものではなかった。楕円形のように膨らんだ黒い身体、八本の細い足が蠢いている。それは紛れもなく、蜘蛛そのものだった。

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