第77話 扉

 初めに、違和感を覚えた。

 今までずっと十何年もの間住んできたはずの我が家の扉を見て、普通ならばやっと帰ってきたとか、安心感を抱くはずだった。

 しかし、今は違う。

 このとてつもない違和感は、何だ?


「……『あやかし』というのは、強くなれば強くなる程一般人への影響も強まってくる。未だ最初の段階ならば、一般人への影響も少ない。というかほぼゼロだ。しかしながら、それが強くなっていくと、一般人へ認知されていくことで……、その『あやかし』としての力も強まっていく、ということだ。言っている意味が分かるかな? とどのつまりが、火の無いところに煙は立たないとは言うものの、最初は何もないところから出来たものが、人々に認知され信じられることで力を強めていき、干渉していくことによってさらにその地位を確固たるものへと強めていく……。はっきり言って、悪循環そのものだよ」


 六実さんの発言は、現実味を帯びていた。少し前ならば何を言っているんだろうか、なんて茶化していたかもしれないけれど、今まで数々の『あやかし』に触れてきた今を振り返ってみると、それもなかなか馬鹿に出来なかったりしているのが現状だ。

 そもそも、『あやかし』が存在出来ないようにする世界は、存外作れないような気がする。人間とは不安定な生き物で、精神の不安定さから生まれたものが幽霊なり妖怪なりのオカルト或いは『あやかし』となっていく訳だ。その『あやかし』が増えていく現状であることには変わりない。寧ろボトルネックなんて何もないのだから、無限に増殖してもおかしくない訳だ。……もっとも、人間に信用されなければ元も子もないのだろうけれど。


「分かってきたじゃないか。存外、それを考えられる呪術師ってあんまり居ないんだ。呪術師そのものが減っているような気がしないでもないけれど、そればっかりはあまり考えない方が良いな」


 考えない方が良い。

 そう言われたとしても、やはり後継者問題はどの業界だって深刻なんだろうな。そもそもこの国自体がひどい少子化に悩まされている。今後、色んな業界が少ない若者にあれやこれやの接待をしていくのだろうか。そうなれば、若者からすれば引く手数多の求人が出てくるのだろうけれど、しかしながら、それはピンからキリまである訳であって……、その塩梅を上手く調整出来るかどうかが、案外今後の社会人の基本になるのかもしれないな。こればっかりは想像でしかないけれど、そうなるのは想像に難くない。


「……で、これはいったい何なんだ? 雰囲気からして良いものではないのだろうけれど」

「察するのが早いな。ということは、かなりヤバいのは間違いないだろうな。少なくとも、一度『あやかし』に触れた人間でさえもこれを認知出来るようになっているのだから」

「これは、戸松団地のあの『あやかし』と比べると……」

「あれを1とすれば、これは5ぐらいあるでしょうね。あれは異例です。わたしと戦っている状態だったから、フィルターが外れていた。普段ならば一般人には認知出来ないはずのフィルターが外れていたから、あなたにも見えてしまっていた。そして厄介なことに一度見えてしまうと、『あやかし』に狙われやすい体質になってしまう訳で……」


 ああ、それは聞いた。そんでもって城崎のも吸収しちゃったとかどうとか。でもそれってやっぱり特異体質に入るのだろうか? だとしたら面倒くさいったらありゃしないな。今後一生『あやかし』から逃げ続けないといけないんだよな。どうにかして一般人でも対処出来ないのか、銃とかナイフとかないのかな?


「昔宮内庁がそんなものを作っていたような気がするけれど……、どうなったんでしょうね? やっぱり一般人に銃を持たせるのは宜しくないという判断に至ったのかもしれないけれど、とはいえ、むざむざ被害者を増やし続ける訳にもいかないし……」


 正直あんまり嫌なことはないんだけれどな。ただ、ずっと追いかけられる人生は嫌だな、と思っただけだ。冷静に考えてみろ、それってただの負け組と何一つ変わらない。そればっかりは楽しくない人生であることは間違いないだろうな。だったら、人生を楽しくするためには?


「言いたいことは分かる。分かるけれど……、これは仕方ないことなのよ。この国の人間の体質、と言えば良いかしらね。元々、この国の考えとして、八百万の神という考えがある。これは八百万もの神々が居るという訳ではなくて、どのような物にも神は宿っているという意味を持つ。付喪神とか、道祖神とかそんな感じね。言ってしまえば道に落ちている石ころだって神様が宿っているかもしれない。そういう考えのもと、ずっと人々は生き続けてきた訳だけれど、最近に至ってはその考えが薄れつつもある訳。多様性が認められてはいるけれど、多様性ばかり認め続けていっては、その世界は統一されるばかりで、少数派が完全に淘汰されてしまう、ということね。それははっきり言って、ロボットと何一つ変わらない。そこまでして、人間として生きていくことは出来るのかしら?」


 それについては、もっと上の人間が何とかするんじゃないのか。ぼくのようなただの一般人、或いは庶民があれやこれや言ったって何も変わらないと思うよ。致し方ないことではあるけれど、デモをしたって意味はほぼないしデメリットしかないからね。政治に無関心というのを表向き見せておけば波風は立たないだろうけれど、それって意味がないような気がするんだけれどなあ……。

 閑話休題。

 いずれにせよ、今片付けなくてはならない問題を棚に上げて、ずっと話を横に逸らし続けるのは、良くないよな。


「……この扉、普通に開けて問題ない……よな? 開けた瞬間に何か怪しいオーラが噴出するとかないよな?」

「そんなことはないと思うけれど、油断はしない方が良いでしょうね。可能性はゼロじゃないんだから」

「ゼロじゃない……って。あんまり驚かさないでくれよ、寿命が縮む」


 この年齢から寿命のことを言い続けると、それこそ逆に寿命が縮みそうではあるが。


「まあ、安心しな。一応、ジョン以外は全員呪術師。それも陰陽九家の人間ばかり集まっている。こんな状況であればお茶の子さいさいだよ」

「お茶の子さいさいって今日日聞かないような気がするけれど……、まあ、良いか」


 大船に乗ったつもりで、と言うのなら、それに全力で乗っかるしかない。


「……ほんとうに、ほんとうに良いんだよな?」


 いきなり開けた瞬間に大きな鎌が振り下ろされてデッドエンド、みたいな初見殺しギミックは搭載されていないよな? 死んで覚えろみたいな死にゲー的展開に突入したりしないよな? ダークソウルやブラッドボーンも真っ青な展開にならないことを祈るしかないが。


「ないから安心しろ。そもそも人間の命は一つだけだ。これは人間に限らず、生命はどの生き物だって一つしかないけれどな。言うだろう、一寸の虫にも五分の魂、と。それはつまり、どれだけ小さい虫であろうともきちんと一つの魂は入っているんだ、ということを表している。つまり人生はやり直せない。一度きりの人生を、精一杯生きて、悔いのないように生きて、死にものぐるいで生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きる。誰から笑われたって良い。誰から馬鹿にされたって良い。人生の主役は誰だ? 馬鹿にしてくるあいつか? 笑ってくるあいつか? 違うだろう。人生の主役は自分自身だ。それだけは、忘れないようにするんだ。……何の話だったっけ?」


 いきなり元のペースに戻すなよ! ……と言いたいところだったけれど、誰だって語りたい時は語りたいもんな。そればっかりは致し方ない。ただ、良いことばかり語っていたから、良い話だったのになーとだけは言っておきたい。

 扉を開けるためにこれだけ時間かかるなんてな。ぼくも随分臆病になったものだ。

 そう思いながら、ぼくは扉に手をかけ、ゆっくり、ゆっくりと開けていく。

 六花に六実さん、十六夜さんはぼくが開けた扉の向こうをじっと見つめて、戦闘態勢に入っていた。さっきも言ったけれど、いつ『あやかし』の本体が飛び出してくるか分からない。そうなったら、戦闘に出ることが出来るのは、ぼく以外の全員だ。こればっかりは致し方ないのだけれど、だからといって後方支援も出来なければ頭も良い訳ではない。だから、ぼくはただ見るだけ。見つめるだけに過ぎない。お姫様を守る騎士が六花達だとすれば、ぼくはそのお姫様といったところか。……まったくもって、笑えないけれど。


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