第67話 帰省(3)

「つまり、今の状態でも問題はないと言いたいんだな……。まあ、別にそれについては気にすることでもなし。実際、会社員が良いかフリーランスが良いかなんて結構議論になっているしな……」


 実際、それがどうこう言われると悩むところではあるのだろうけれど。それについては、社会人ではないので無視しておこう。……そういや、最近ネットシーンを席巻している音楽とかあったっけな。女子高生が何で社会人のルールを歌っているのかは訳が分からなかったけれど、あれに共感を覚える人を狙っているのかもしれないな。ほら、宴会のルールなんて社会人を経験していない人種からすりゃ新しいじゃん?

「新しいかどうかはさておき……、実際どちらが良いかってやってみないと分からない話だからねー。経験者に聞いてみても、経験してみない限り実感出来ないでしょうね。ま、社会人になるには未だ時間もあるだろうし、その後で考えてみても良いんじゃない? 今はオリンピックをやるかどうかも定かじゃないぐらい、先行き不透明であることは間違いないのだし……」

「オリンピックってほんとうにやれるんですかね? 感染症の感染者数が減っている訳でもないのに。ワクチンだって、年内に間に合うかどうかも分からないらしいじゃないですか。でも、医者と高齢者は優先なんでしたっけ? 未来ある若者を先にするべきだろうに……」

「それについては概ね同意するが、致し方ないことではあるのだよ。医者は当然最優先にしろ、先ずは重症化リスクを考える。病気持ちの人間と健康体の人間、ワクチンを打つならどっちが優先か? と言われたら……、火を見るより明らかだよね」


 理論的には分かっている。けれど、その後生きていく年齢を考えると、若者の方が優先するべきではないか――なんて思ったり思わなかったりするのだろうけれど、選挙権がないからモヤモヤする。政治家は未だに票田の高齢者びいきの政策ばかり取り上げているような気がしないでもないし、かといって若者向けに政策を掲げる政党があるかと言われると皆無だし。桜とか学校のことを延々と国会で言っているよりもやることはあると思うんだけれどなあ。会食とか失言とか揚げ足取りしている暇があるなら本気で国民のことを考えて欲しいよ。


「……ははは。それに関しては何も言えないね。何せ公務員は選挙権がないからな」


 そうだったっけ? 確かに国――正確には自治体――に務めているのだから、選挙活動を禁止にしないと色々と面倒なのかもな。だって、ダイレクトに政治家の意見が伝わるかもしれないんだろうし。警察官は問題ないにせよ、官僚になったらこの人に投票しようね、っていうことが闇で蠢いているかもしれない。


「蠢いていようがいまいが……、それについては何も答えられないというのが正直なところかしらね。公務員って色々面倒なのよ? まあ、首になる可能性は低いかもしれないけれど、だからと言ってミスを隠せる文化でもない。こびへつらう文化であることには変わりないよ。そもそも、そうでなければ社会人はやっていけないだろうがね」


 社会人は、ほんとうに面倒臭い文化であることは間違いない。……けれど、そういった文化って世界共通だったりするのだろうか? 良く言うよな、敬う立場の人間だから敬語を使うのではなくて、敬えるかどうかを判断して敬語を使うのが正しいルールである、と。しかしながら、日本人は上司であればあるほど、敬う立場であると解釈して、敬語を使う。相手も気を良くして――そもそも敬語自体が相手を立てるやり方の一つである訳だし――益々増長する。体育会系の人間が多いのも理由なのかもしれない。日本ぐらいじゃないか、大して能力もないのに年齢だけで昇進していく制度って。


「それはどんどん減ってきているけれどね……。まあ、その制度が悪いってのは概ね同意する。今では結構海外の仕組みを取り入れている企業も増えているから、実力主義になりつつあるのだけれどね。ただまあ、それが何処まで良いのかと言われるとそれもまた微妙な立ち位置だったりする訳だし……。管理職のポストも無限にある訳じゃない。そして管理職は残業代を支払わなくて良いとなっているから、会社としてはどんどん管理職を出してあげたいのだけれどね。……それをしちゃうと法律違反なのだけれど」

「管理職になりたくない人って居るんじゃないんですか?」


 それだけ管理職になるのにデメリットばかりあると、なりたくない人が続出しても何ら不思議ではないけれどね。


「そりゃあ、居るだろうね。わたしの知り合いにも大手企業に勤めているエンジニアが居るけれど……、GL以上になりたくないんだって。TLだと管理職じゃないから残業代は満額出るのだけれど、GLになったらGL手当は出るけれど残業代は一切なし。そしてその会社って三六協定ギリギリだから平均残業時間が四十五時間を上回ることもしばしばって言っていたかな。三六協定って、残業時間が四十五時間を上回ると、監督する労働基準監督署に申請しないといけないらしいのよね。ただ、それって結構面倒臭いし、それを頻発していると業務改善を求められることもあるから、書類上の誤魔化しをしていたりしていなかったり……。ひどい時は午後十一時まで仕事して風呂と睡眠だけ取って朝六時から仕事、なんてこともあったらしい。人員不足って言うけれど、きちんと人材を配置しなかった会社側にも問題がありそうなものよね」


 何か、ブラック企業の片鱗を垣間見たような気がする……。ところでそのブラック会社員はどうなったんですか?


「案の定精神を病んじゃってね。それから二年間の休職期間に突入したのだけれど……、結局治らなかったらしいよ。うつ病というのは心の風邪と言われるからねえ。ただ、風邪だけれど直ぐ治る病気でもないのさ。ひどい人は一生付き合っていかなきゃいけないぐらいの病気なのだからね。……まあ、誰だってなるかもしれない病気だ。後ろ指立てて馬鹿にするのもいけないぐらいには、慎重な病気ってことさね」


 車は細い路地に入る。話をしていたから全然分からなかったのだけれど、入り組んだ路地に入っているようだ。スーパーカーが入るのも一苦労じゃないか? 良くこんな道を走れるな……。慣れているから楽々走れるのだろうけれど、免許を取り立ての人間がここを走れと言ったら全力で拒否しそうだ。確実に事故を起こすから嫌だ、って首を横に振りかねない。


「まあ、首を横に振るのは同意だね。ただ、こればっかりは仕方ないのさ。田舎って細い道が多いからねえ。畑や田んぼを大きくして、入り組んだ道を作って家と家を結んでいる。だからこうやって細い道ばかりになる。……こういう細い道は、昔で言うところの畦道ってところだよ」

「やっぱり米所って感じなんですかね?」

「お米は美味しいだろうねえ。それに、野菜も美味しい。実家も野菜を良く作っているから、結構な割合で送ってくれるけれど、あれを食べちゃうとスーパーで野菜が購入出来ないよ」


 それは美味しいからなのか?


「それもあるけれど、高すぎて」


 納得。東京の物価は他の地方都市に比べたら高いらしい。だから給料が東京は一番高いのであって。それはつまり、物価の値段の裏返しにも繋がる訳だ。……ってことは東京の企業に就職して田舎で生活すれば一番楽ってことか? 生活費があまりかからないってことだもんな。


「定期代を出してくれるなら別に良いと思うけれどね……。ここから東京に行くと、定期だけで三十万円は吹っ飛ぶ。あ、これは半年分ね。半年分の定期で一ヶ月分の給料以上のお金が吹っ飛ぶんだ。全額、最悪半額は支援してくれないと生活することは出来ないよ。それに田舎だと車は必要だから、維持費もかかるし。必ずしも田舎で良いって訳でもないのだよね。……あ、着いたよ」


 車を止める六実さん。

 その横には、大きな木造の門が佇んでいた。何か豪商でもやっていたんだろうか――ってぐらいの佇まいだった。こういうところの蔵にはお宝が眠っていそうだな。或いは開かずの金庫とか。


「取り敢えず二人は降りちゃって。わたしは駐車場に車を止めてくるから。……それじゃあ、改めてようこそ、九重家へ」


 九重家。陰陽九家のうち、最後の番号を司る一族。

 今まで触れたことのない領域に――ぼくは足を踏み入れるのだった。


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