第59話 書庫(1)

 結論から言えば、翌日も休みだった。ぼくが学校をサボった訳でもないし、熱を出した訳でもない。そもそもこのご時世、熱を出したらそれだけで感染症にかかったのではないか、などと言われてしまうぐらいだ。今でさえ病院はベッド不足に喘いでいるなんて話もニュースで度々聞いていたし、緊急事態宣言が出るか出ないか――なんて囁かれていた頃は、ベッド不足で患者を泣く泣く断らなければいけない病院もあったらしい。年末年始も休み無しだったらしいからな。

 ともあれ、ぼくが休みであることについて簡単に説明しておくと――今日は祝日だった。祝日だから休みになっている、単純にただそれだけの話だった。それ以上でもそれ以下でもない。


「まさか二日連続でここにやって来ることになろうとは……」


 皇居の一角に存在する宮内庁庁舎。そこで待ち合わせることになっていたため、ぼくは朝九時という時間にこんな場所にやって来ていた。皇居の外側では今日もランニングをする人が居る。

 祝日だからか、皇居にやって来ている人も居ない訳ではないが……。ただ、このご時世それをするのもなかなか難しいよな。何せ感染症のピークを迎えたとはいえ、まだまだ終わらないのだからね。緊急事態宣言があったばかりだけれど、それで収束したかと思いきや焼け石に水といった感じなのは否めない。緊急事態宣言が起きたからって何か変わる訳でもないだろうしな。緊急事態宣言が発令された日には、一日の感染者が高止まりだったんだっけな。


「ワクチンが早く出来てくれれば有難いのですけれどね。何せ、ワクチンさえ出来れば完全に問題ないという訳ではないのでしょうけれど。だってこないだ発見された変異種とやらはワクチンが効かないという話でしたよね?」


 隣に立っている六花はそんなことを嘯いた。そういえばそんなこともあったな……。実際ワクチンが出来たからといって、いつも通りの生活が送れる訳ではない。この感染症とは、人類が滅びるまで付き合っていかなくてはならないのだろう。スペイン風邪みたいに消える可能性もあるだろうけれど、ここまで猛威を奮っていると、そんなことはないのではないかと勘繰ってしまう。


「人類はウイルスと戦う運命にあるのかもしれませんね……。ほら、野生動物ならウイルスにかかったら、それは淘汰される運命であったなんてことで、結局死んでしまうのでしょうけれど、人間に至っては、本人が希望すればという但し書きは付きますけれど、例え病に倒れようとも生きながらえることは出来ますからね」


 人間の技術も何処まで進歩すりゃ気が済むのだろうね……。そこまでは何となく理解したくても理解出来ないし、理解出来るはずもなかったりするのだけれど。


「取り敢えず、向かいましょうか。……待たせる訳には参りませんから」


 誰を? という野暮なツッコミはこの際しないでおこう。

 取り敢えず今は目の前にある仕事を一つずつ片付けていくことが大事なのだから。

 宮内庁に入ると、玄関で六実さんとめぐみさんが待ち構えていた。

 正確に言うと、二人は談笑をしていた――いや、笑っていないから談笑とは言わないか?


「やあやあ、遅かったじゃないか。待ちわびたんだぞ? まあ、別に良いけれどね……。ちゃんと来てくれるだけ有難いと思った方が良いのかもしれないし」

「何か言いたいことがあるならば、きちんと言えば良いものを……。とにかく、こんな早い時間からありがとうございます。あの唐変木……失礼、部長のために来てくれて大変有難く思っています。必ずバイト代ははずみますから、ご安心くださいね」


 部下に信頼されていないじゃないか、あの少年……。というか、それって部下としてどうなんだろうって思ったり思わなかったりする訳だけれどね。日本人って、上には噛み付いたりしないような人だらけだからなあ。虎視眈々と上を狙う人が上に行くのは当然のことではあるのだろうけれど、日本のシステム的に管理職になると給料が下がってしまうから――それはどの国でも同じだったりするのだろうか――管理職になりたがらない、なんてこともあるらしい。名ばかり管理職とは言うけれど、まさにそのことだろうな。


「まあ、気にすることではありませんよ。管理職は残業代を貰えませんけれど、きちんとそういう手当は出ている訳ですし……。でも、安いのは確かでしょうね。沢山残業をしまくっていて、三六協定を毎月超えてしまうケースの人が管理職になると給与ががっつり下がるなんてこともありますね。何処までほんとうなのかは分かりませんが」


 だから名ばかり管理職って増える一方じゃないのか? ほら、とどのつまり会社からしたら余計な残業代支払わなくて良い訳だし。でも、管理職の方が働くのだから残業代は欲しいだろうな……。


「その辺りは、会社との相談でしょう。別にうちは厚生労働省みたいに残業時間をヒアリングしている訳ではないのですから」

「……ところで、今日は何処に向かうつもりかな? ルートを案内してもらうと大変助かるのだけれどね」

「地下室に倉庫があるのですよね……。ただ、整理が行き届いているかと言われると曖昧な部分があったりします。何せ紙ベースで保存していますから書類の数も膨大で……。幾度となくデジタルにしましょうと進言しましたけれど、時間がなくて断念しました……。ほら、幾らデジタルトランスフォーメーションが進んでいるからといって、実際にそれを使うのは人間でしょう? だったら、使い勝手が悪いと使わないというか、使う意味が出てこないというか……。官庁ってなかなかデジタル化が進まないんですよ。ご存知の通り、パソコンは古い物を使っていますから……。今でもインターネットエクスプローラを使っているんですよ? ちょっと信じられませんよね?」


 意外とめぐみさんはパソコンにはお詳しいようだ……。というか、若いからそれぐらい出来て当たり前、みたいな感じなのだろうか。まあ、それぐらい出来ないと何かと大変だし。しかし、インターネットエクスプローラって未だ現役だったっけ? もう違うブラウザを提供しているから、色々と変わったものだとばかり思っていたよ……。もうサポートも終わっているだろうしな。かといって、グーグルクロームにしたかったら、それはそれでそれなりのメモリが要求されるようだけれどね。メモリがないパソコンにグーグルクロームを導入すると、それはそれで地獄を味わうことになるらしい。


「まあ、紙なら見やすいという観点はあるでしょうけれど……、問題は管理の煩雑さですよ。先ず物理媒体どれにでも当てはまることではありますけれど、物理媒体を管理するということは、スペースを確保しなくてはならないということです。これが電子媒体だったら、パソコンのハードディスクに突っ込めますし、共有をかけたかったらサーバ一台職場に置いておけば良いだけの話……。ただ、パソコンに慣れている人は少ないですからね。エクセルとワードで文書は作れるけれど、百パーセント手動で入力しているから時間がかかるなんてことは良くある話です。自動化したいけれど、それに関する技術がない。だから結果として……、自動化しないで延々と手動で時間をかけて作業をする訳です。或いは自動化しても大して時間が短縮されないと思い込んでいるか。仮に一つの作業を自動化して五分しか短縮されなかったとします。一日五回やれば二十五分、五日間やれば二時間半、一月やれば八時間以上は短縮出来ます。つまり、その作業を自動化してしまえば、法で定められた労働時間に換算して一日分以上は空くことになりますよね。そうしたら別の仕事も出来る訳ですから……、作業の効率化に繋がる訳です。ただ、その知識や技術を持ち合わせていなければ出来ないことではありますが」

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