第57話 神霊保安部(4)

 確かそんなことは六花が言っていたような気がする……。液体の下に澱む澱に準えていたんだったかな? 普段は出てこないからこそ、何かの拍子に出てくるそれは異形である、と。


「そう……。澱に例えるのは間違っていないだろうね。しかしながら、澱は意思を持っている。必ずやこの世界を奪い取ろうという存在も居る訳だ。それをむざむざと指を咥えて見つめていたら、我々の意味がない。……ここまでは分かるかな?」


 うーん、分かったような分からないような。いずれにせよ関わらない方が良いということは分かった気がする。


「それが分かっただけで充分だと思うよ……。実際にはもっと小難しいアレコレがあるのだけれど、それは我々のような専門家にならなければ無用の長物だ。必要のない物をわざわざ説明したって、覚える必要がないのなら、誰も覚えようとはしないよ。それは何となく分かるかな?」

「まあ……、それなら分かるような気がする。でも、それだったら尚更首を突っ込む輩が出て来てもおかしくないか? 度胸試しがしたいというか……、そういう感じの輩は一定数居るだろうし」


 知り合いで言えば城崎とか。

 あいつは面白そうなことだと分かったら、どれだけ危険なことだと分かっていても突っ走りそうな気がする……。ああいう輩が、何かあったときの第一犠牲者になるんだよな。ぼくも何度か言ったことがあるけれど……、馬に念仏とはまさにこのことを言うのであって、要するに聞く耳を持ちやしなかった。お前は考えが堅苦しいんだよ、なんて言われる始末だ。


「はっはっは。まあ、そういうものだよ、人間というのは。興味を持った物には突っ走る傾向にあるのだから。何処かの哲学者も言っていたような気がするな……、人間は考える葦である、と。人間は葦のようなちっぽけな存在だけれど、人間は他の動物と違って知能が高くて、考えることが出来る……と。まあ、分かりきった話ではあったけれど、いざ言われると的中してるからっていうことで怒る人も居るのだけれどね。そこが人間の厄介なところだ」

「あの……、そろそろ本題に入った方が良いのではないでしょうか?」


 めぐみさんが恐る恐るぼく達に言葉を投げかけた。

 そういえばここにやって来た理由はこんな哲学な話をしたかったからではなかった……。当然と言えば当然のことだけれど、本題をさっさと片付けなくてはならないと思っているのだろう。学生であるぼくとフリーの六花を除けば、彼らは公務員だ。つまり、この時間も働いていると見做して……、残業代って出るのだろうか? 会社員なら出るだろうが、国家公務員って給与が安いし残業代も出ないが激務――というブラック企業も真っ青な感じだったような気がするのだけれど。


「何をどう勘違いしているのか知らないが、公務員だって残業代は出る。出なければやっていけないだろう。まあ、この部署で残業は滅多にないが」


 あれ? でももう五時半は過ぎているような。


「遅番だよ。仕事が少ないからこういう風に時差出勤も出来るという訳。なんやかんや今はこれが主流になりつつあるようだけれど……、もう何年も前からこれをやっていたからね。先見の明があった、ってことかな?」

「先見の明って、あなたがその制度を導入した訳でもないでしょうに。……すいませんね、で、何の御用でしたっけ?」


 このまま少年に手綱を握らせていたら、話がいつになっても進まない――そう思ったのだろう。めぐみさんが強引に話を進めてきた。ぼくとしては未だ話し足りないような気がしたのだけれど……、確かに話を続けていって何も収穫がないまま門限を迎えてしまいそうだ。学生の辛いところではある。


「何が学生の辛いところだ。ヒトラーが好きな訳でもあるまいし……。あ、話というのは『血の十字架事件』についてなのですが……」

「それなら情報は把握しています。が、その情報はそちらから共有された物だけで、こちらで独自に得た情報はないはずですが……」

「実は新しい情報が見つかりまして。それなら、神霊保安部が何か知っていないかと思いましてね……。実は今日、三件目の殺人事件が起きました。やり方も同様で……、同一犯でしょう。そこで偶然同席していた六花に調べてもらったら……、人払いをした痕跡が僅かに残っていました」

「人払い?」

「そう。人払いですよ。分かりますか?」


 人を馬鹿にしたような言い回しだな。それ、辞めた方が良いと思うけれど……。


「何を言っているのか、そしてそれを誰に対して言っているのか……分かっているのか? ぼくは宮内庁神霊保安部の部長、皇優希だぞ?」


 皇って、偉く変わった苗字だな。もしかして元々皇族に仕えていたのかね……。或いは皇族を先祖に持っていたからそういう苗字を使っているとか。ほら、そういう名前の偉人居たじゃん。


「それは小野篁のことだろう……。しかも、篁は皇とは違う漢字である訳だしな。そこについては理解してもらいたいものだね。竹冠がついているかついていないかで違いがあるのだよ。分かっているかな? 漢字の勉強からやり直した方が良いのではないかな?」


 漢字の勉強とは言うがな、そんなことしたって無駄だぜ。そもそも篁も皇も小中学校で習う漢字には出ていないはずだ。国語だけはちゃんと受けてきたからな、それぐらいは断言出来るよ。


「いや、習いますよ。皇って読み方は習いませんけれど、漢字自体なら。小学六年で」


 そんなことをあっけらかんと言って退けた六花に、ぼくは思わず首を傾げてしまった。


「いやいや、首を傾げたって意味ありませんからね。……ちゃんと調べたら出て来ますよ。わたし、最近漢検受けたから分かりますよ」


 漢検というのも懐かしい響きだな……。ゲームソフトでも漢検対策のソフトが出ていたりしたっけ。別に遊びたいとは思わないけれど、買う人居るのかなぁ。

 それはそれとして、何級受けたんだ? それによってはマウントを取れるか取れないか変わってくると思うけれど。


「準二級ですね」


 何だその微妙なラインは。


「ただし、勉強は中学の教科書の巻末に載っている漢字一覧を何度か見ただけですけれど」


 それって天才の部類に入らないか?


「どうでしょうね。わたしはあまりそうは思いませんけれど……、師匠だけは喜んでくれましたね。漢字なんてあんまり使わないんだから、若い人がそうやって資格を取るだけでも凄いことなんだよ、って。何処まで凄いのかちょっとはっきり覚えていないのですけれど」


 何でだよ、フル回転で思い出せよ。


「思い出せそうだったら思い出します。そこまで重要そうな事柄でもなさそうですから……。それはそれとして、血の十字架事件の人払い……、気になりませんか?」

「呪術師……或いは魔術師が絡んでいるって言いたいのかい、あんたは」


 あんたって。少なくとも皇は六花より年下だと思うけれど。敬語を使え、敬語を。少しは敬う意思を見せたらどうなんだ。


「ほんとうに敬いたい人じゃないと敬語は使わないんだよ。堅苦しいのは疲れるだろう、お互いに? ぼくだってタイミングを見て使い分けをしているんだよ、敬語を使うに値する人間と値しない人間を……」


 それって、自分で敬うべき人間とそうでない人間を選別していますよ、と言っているような物だよな……。それはそれでどうかと思うけれど。


「人払いの件については、データベースと照合しよう。登録していなかったら意味はないが、登録している魔術師ならば、データから合致する存在が出て来てもおかしくはない。……ただ、それはほぼ不可能だと思っておいた方が良い」


 何故だ?


「だって、当然のことだろう。宮内庁のデータベースに登録しておいた魔術師が何で殺人事件に関与する? いいや、逆から言えば良いか。殺人事件の重要参考人になりそうな魔術師が、宮内庁のデータベースに登録してあると思うか?」


 いいや、思わないね。

 犯罪をする魔術師がわざわざデータベースなんてところに登録するとは思えない。……ただしそれは、元々そういう予定がある魔術師に限った話だ。もしかしたら、最初は善良な魔術師だったって可能性も捨て切れないだろう? その線も考慮して犯人と思しき魔術師を探し出したらどうなんだ。

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