第45話 回らない寿司

 スポーツカーが止まったのは、コインパーキングだった。慣れた手つきで止めると、そのまま外に出た。六花も出て行ったのでそれを追いかけるようにぼくも外に出る。


「何処へ向かうんですか?」

「付いてくれば分かるよ」


 そう言われたら仕方がない。

 路地裏を抜けるとそこにあったのは、渋谷センター街だった……。かの有名なスクランブル交差点があるところだ。あまりにも有名過ぎて映画やドラマでも出てくる機会は多いのだけれど、当然ながらここを通行止めして撮影する訳にはいかないので、栃木県だかにここのスクランブル交差点をそっくりそのまま作った――なんて話も聞いたことがある。

 スクランブル交差点の角にあるのはこちらも渋谷を象徴する建物である109だ。何でもシブヤ109は全国展開していて、大阪にもあるらしい。そうなると店舗名もつく訳だが、そうなると何処にある店舗なの? と分からなくなってしまいそうだ。それこそ、ニンテンドー64向けに発売されたスーパーマリオ64をDS向けにリメイクしたスーパーマリオ64DSみたいな感じだ。

 そのスクランブル交差点を渡らずに、道路に面した雑居ビルの中へと入っていった。地下に降りる階段も用意されており、その階段を降りていく。

 鉄扉を開けるとそこに広がっていたのは――。


「いらっしゃい! ……おっ、むっちゃんじゃないの! こんな真昼間から良いのかい?」


 板前姿の男性が、屈託のない笑顔でそう挨拶した。

 そこは寿司屋だった。

 カウンター席しかない、とても手狭な店だった。お客さんは居ないようだけれど……。


「実は用事が出来ちゃってね。大将、今から九十分貸切に出来る?」

「九十分? 水臭いこと言わないで三時間だって構わねえぜ。何せ九重さんはお得意様だからねえ!」

「いやー、それは有難いけれどあんまりサボっていると部下にどやされるからね……。必要最低限の時間で構わないよ。さ、何突っ立っているんだ、座らないと」


 どうやら六実さんはここのお得意様らしい……。そりゃあニックネームでも呼ばれているのだから、そんなものか。

 椅子に腰掛けると、和服姿の女性が即座にぼく達の前に湯呑みを置いた。

 恐らく女将さん――見た目からして大将の奥さんといったところだろう。二人で切り盛りしているのだろうか?


「何握ろうか?」

「お任せで良いよ。それと生一つ」

「むっちゃん、未だ仕事終わっていないんじゃないのかい?」

「今日はあと書類見るだけだからね……。お偉いさんのご機嫌取りをする会議はないし、感染症のおかげってところもあるかねえ。まあ、そんな悠長なことは言っていられないのだけれど」

「ははは。……確かに、ウチもどうなることやらって感じだったからねえ。でも、良く来てくれるよな、有難いこって……」

「そりゃあ、長年ここを使っているからねえ。ここ以外の寿司なんて食べられないよ。まあ、そんなに寿司を食べられる程給料貰っていないけれどさ」


 そのジョーク、笑って良いところなのだろうか……。

 そんなことを考えていると、また和服姿の女性がグラスに並々と注がれたビールを運んできた。

 生と言われたら、基本的にはこれしか想像出来ない……。因みに生ビールというのは殺菌消毒をしていないだとかそんな理由だった気がする。つまり消毒のために行う工程を完全にスルーしたことで、初めて生ビールと言えるらしい。つまり賞味期限の切れるスピードが早いということだな……。

 ちなみに一緒に運ばれてきたのはなますだった。ニンジンと大根が細切りになっている、正月料理にはタコも一緒に入っていることがあるアレだ。大方おつまみというかお通しに入るのかもしれない。ところで、その生ビールって幾らするんだ?


「あっ。わたしばかり飲むのも悪いし、何か注文したら? と言ってもここで支払うのは六花なんだけれどね」


 簡単に言ってのけるが、それで良いのか国家公務員。さっき常連とかどうとか言っていたんだから、自分で支払うなりすれば良いんじゃないのか。

 しかし、冷静に考えてみると、こうやって家族以外の人と食事をするなんて随分と久しぶりな気がする。今まで五人以上の会食を控えるように言われていたからかな……。一応、いつも出会う人達ならば別に問題ない、なんて話もしていたような気がするけれど、あれって何処まで正しいのだろうか? メディアの情報を全部鵜呑みにするほど単純な人間ではないけれど。


「別にちゃんと守っていれば会食はしても良いと思うがね……。ただ、普通の一般人ならしたところで周りから文句を言われるだけで終わりかもしれないけれど、公務員や国会議員となると話は別よ。……だって、わたし達は税金で生活している訳だから、言ってしまえば国民の監視がある訳よね。監視されているのにああいう行動を取るのが間違いなのかもしれないけれど」


 ただまあ……、実際の所は感染症が広がって一年経過しているというのに、未だ集束する気配がない。ワクチンが投与されれば、という話もあるけれどウイルスの進化速度は生物のそれとは比べものにならないらしくて、今も刻一刻とワクチンが効かない新種が生まれている可能性すらある。そうなると、最早いたちごっこになってしまう訳だけれど。


「まあ、堅苦しい話は後にしなさいな。……取り敢えず飲み物はそちらのメニューを見てくださいね」


 そう言って和服姿の女性は笑みを浮かべる。メニューを見てみると、流石にアルコール以外のドリンクも用意されているようだった。しかしながら、そのどれもが普段行くようなファミレスとは違う値段だった。具体的には四割増しぐらい。ええと、どういう高級なカルピスを使っているのだろうか……。もしかしたら濃いめに入れてくれるのかな?


「ほう、カルピスを見ているとはまだまだおこちゃまだな、少年は」


 気づけば六実さんは既にビールを半分飲んでいた……。早すぎるだろ、消費速度が。きっとビールもそれなりに高いのだろうから、少しはゆっくり味わって飲んだ方が良いんじゃないのか。


「それじゃあわたしはウーロン茶で。……ジョンさんはカルピスで良いですか?」


 そう言われたら多少の抵抗はしておきたいところだ。そう思ってぼくはカルピスソーダを注文した。それはせめてもの抵抗だった。カルピスを注文する甘ちゃんだと思われたくはないけれど、しかしながらカルピスが飲みたいのもまた事実。であるならばその中間地点――と言えるのかは分からないけれど――であるカルピスソーダに着地するのは自然なことであった。


「はいよ、お待たせさん。先ずは赤身だね」


 そう言って大将はぼく達の目の前に二貫ずつ寿司を置いた。シャリの上に、赤いマグロがのっかっている。というか、マグロは輝いていた。こんなマグロ、見たことないぞ。もしかして大間のマグロとかそういう高級なマグロを使っているのだろうか……。多分回転寿司で食べられるようなマグロとは全然違うのかもしれない。いや、回転寿司を否定している訳ではないのだが、こういう『回らない寿司』というイメージとして挙げられるのは、大将の拘りだ。大将が拘り抜いて出している商品というのは、大抵が原価率が高いというもの。その原価率を如何に落とすか……というのが回転寿司だと思うので、そこで相反する。回らない寿司が高くなる理由の一端とも言えるだろう。

 醤油をお皿に垂らして、水たまりを作る。そして、箸を手に取ると――余談だが、この箸も割り箸ではなく塗り箸だった――寿司を取った。そしてネタを下にすると、そのまま醤油皿に――醤油だまりに落とし込んだ。

 と言ってもずっと付ける訳ではない。

 ほんの一瞬、マグロに醤油の味を付けるだけで良い。

 そうして醤油の味を付けた寿司をそのまま口の中に運ぶ。

 口の中に広がったのは、脂だった。無論、脂がくどいとかそういう訳ではない……。振り返ってもらうと分かる通り、ぼくが口にしたのは確実に赤身のはずだった。赤身と言えば脂はそこまでないはず。しかしながら……、この脂は何だ? しつこくなく、それでいて濃厚。そして奥には少しだけ甘みも感じられた。

 一言で言えば――陳腐な言い方をすれば、凄い。

 もうそれしか言いようがなかった。


「……初めて食べる回らない寿司に、ちょっとだけ感動しているようだねえ」


 ケラケラと笑いながら、六実さんは言った。

 馬鹿にされているようだけれど、馬鹿にされたって良い。そんな小さなことがどうでも良くなるぐらい、目の前の寿司は美味かった。

 

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