第44話 虚数課(2)

 六実さんの言った言葉は、現実的だ。理想を全てかなぐり捨てなければここまで出来ない。しかしながら、現実では誰しも理想を抱きたいものであるので――利他的な考えを持っているのだと判断することが出来た。こう見えても結構優秀なのかもしれない。


「……何か言ったか、少年?」


 何も言っていませんから。だから睨みを利かせないでください……。


「……で、六花。これからどうするつもりだよ。まさかとは思うが、ウチの情報を手に入れようだなんて思っちゃいないだろうね?」

「いやぁ……、まさかそんなこと思う訳ないでしょう。そりゃあ、情報はあればある程有難いですけれど……」


 そこは控えめにしていかないのか。

 何というか、しっかりしているといえばしているのだけれど……。


「はっはっは。流石だねえ、六花は。……相変わらず、食えない女だよ。出来る限りの情報を教えてやるよ。虚数課課長としての全権限を使ってやる」


 それ、職権濫用って言わないのか?


「……ありがとうございます」

「ただし、一つ条件がある。話し合いはいつもの場所でやろう。まあ、ここでも別に良いのだけれど……、やっぱりアレを供給しないとな」


 アレって何だ? ニコチンなら今摂取したばかりだろうし……。


「まあ、そう言うと思っていましたよ……。にしても、六実さん相変わらずダメ人間を突っ走っていますね……。それで仕事が出来ていなかったら、それこそニートまっしぐらじゃないですか?」

「そうかねえ? いや、そうかもしれないな。いくら家系が良くたってダメな人間はダメなんだからな。……で、どうするよ、六花? 言ってくれるよね?」

「行きますけれど……、請求書は後で出しておけば良いですよね」

「そうそう。それで良いの。じゃあ、向かいましょうか」


 ……すっかり話の主導権を奪われてしまって、ぼくとしては何が何だか分からない状態ではあったのだけれど、こうなったら致し方なし。一先ず二人の言葉に従うしかなかった。

 ここにおいては、二人が専門家でぼくは素人……。どちらの意見を優先するのかは、火を見るよりも明らかだった。

 事務所の戸締りをして、ぼく達は外に出る。時間帯的には午後三時過ぎ。ティータイムにはちょうど良い頃合いだった……。


「何処に向かうんです? ティータイムなら別にあそこでも良かったような……」

「そりゃあ普通のティータイムならな。でもわたしはコーヒーとか紅茶を飲んで優雅に過ごす人間じゃねえ。だったら、こっちのルールでティータイムを過ごさせてもらうという感じだ」


 事務所の隣にある駐車場には、真っ赤なスポーツカーが止まっていた……。こんなところにスポーツカーなんて通れるのか、なんて思ったけれど、最終的には本人の判断だしな。とんでもなく燃費が悪そうだし、そう遠くない未来にガソリン車が排除されるだろうから、そうなったらこの車もお役御免となってしまうのだろうか。


「さあ、乗った乗った!」

「……相変わらず、目立つ車ですね……。これで走っていると、周囲の目を嫌でも引きますよ」


 そりゃあ、こんな真っ赤なスポーツカーが道を走っていたらな。それもイタリアのローマとかならまだしも、アジア有数の大都市で直線が比較的少ない東京で……。


「これはわたしの趣味だよ。それぐらいは六花も分かっているだろう?」


 六花を後部座席に座らせたので、ぼくも後部座席で良いだろう――などと考えていると。


「少年はここ」


 と助手席に座るように指名されてしまった。

 まさか六花は最初からそうなると思っていたのだろうか? だとしたら策士だ……。そしてぼくはその策にまんまとハマってしまった訳だ。


「おい、何しているんだ? さっさと乗ってくれよ。一応今日は直帰しないつもりでスケジュールを組んでいるんだ。なるべく定時前には帰っておきたいものなのだけれどね?」


 管理職は残業代が出ない――なんてことを聞いたことがある。その代わりそれなりの給与が保証されているものらしいのだが、今までバリバリ残業してきた人からすれば、見かけ上の給与が減ることになってしまうらしく、それを理由に管理職になりたがらない人も居るらしい。それは働く意欲の問題なのか、はたまた給与が低いのが問題なのか……、あまり考え過ぎるとパンドラの箱を開くことになりそうだ。

 スポーツカーはゆっくりと加速していった。何も言わずにだ……。ぼくと六花はちゃんとシートベルトをしていたから良かったものを、シートベルトせずに運転が始まっていたら法律違反じゃないか? しかも警察官がそんなことしたら不味いと思うのだけれど……。


「別に良いんだよ。わたしは管理職だからな」


 全然理由になっていない……。ぼくは仕方なく、外の景色を楽しむことにするのだった。

 表通りに出ると、抜弁天方面へと進む。正式な名称は厳島神社だ。そう、あの海に浮かぶ赤い鳥居で有名な厳島神社の分社――みたいな扱いだった。南北に抜けることが出来る弁財天なので、抜弁天という名前が付いたらしく、それが地名にまでなっているのだ。辺りには今でも昔懐かしい銭湯が残っている。そういや、銭湯と聞くと人によってはスーパー銭湯と解釈する人も居るらしい。昔知り合いと話になった時に、それで食い違いが起きて、危うくアンジャッシュのコントになるところだった。


「しかしこの時間から行くのは……良い身分ですよね。流石は国家公務員といったところですか?」

「言うねえ、六花。別に良いじゃないか。ウチが暇ってことは『あやかし』関連の事件が起きていない――つまり平和ってことなんだよ。平和なのは別に悪いことじゃないと思うけれどねえ?」


 そりゃあそうなのかもしれないけれど……、しかし不満はあるといえばある。国家公務員ということは税金で飯を食べている訳だし、その状況は国民であるぼくが看過することは出来ない。税金は誰だって支払っているのだ……、例えば消費税とか。


「消費税なんてたかが知れている……とは言い難いねえ。何せ今は一割だからね、一万円の買い物をしたら千円の税金がかかる――計算は簡単かもしれないけれど、負担が増えるのは宜しくない。それで暮らしが良くなるかと言われると、あんまり自覚出来ないんだから尚更タチが悪い。まあ、そういうのは政治家なり官僚の仕事なんだけれどねえ」


 車は渋谷方面に向かって走っているようだった……。いったい何処へ向かうんだ? 警視庁は竹橋とかあっちの方だから、思いっきり逆方向だと思うのだが……。


「まあまあ、付いてくれば良いんだよ、少年は」


 付いてくるというか、乗せられているというか。ここで外に出るのは、はっきり言って不可能だ。無傷じゃ脱出出来ないだろう。……たまにスタントマンが出ている映画だと走っている車の扉を開けてそこから脱出するシーンがあるけれど、あれはしっかり訓練したから出来ることであって、素人が出来ることではないと思うのだよな。


「自分の力量を把握しておくことは、別に悪いことではないよ。寧ろ良いことだと言えるかもしれないね。……ただ、それで仕事が出来るかっていうと、また難しい話ではあるわよね。それを把握して管理するのが我々管理職の仕事ではあるのだけれど……、それが面倒臭いってもんなのよ。手当は貰っているけれど、果たしてそれに見合った仕事量かと言われると、必ずしもそうだとは言い切れないし」


 それを管理するのが仕事なんじゃないのか、だから管理職って呼ばれているのだし。……だが、誰でも管理職になれる訳ではないし、当然その職務をこなすことが出来なければならない。しかし、企業としては残業代を抑えるメリットもあるから管理職を増やす傾向はあるらしい。実際、管理職になることが出来る人間っていうのは、極端に離職率が高くなければ増えていくのが自然だ。しかしながら、全員が全員管理職になりたいかと言われると……、やはりそうではないのだろう。手当が残業代より多ければ諸手を上げてやりたがるだろうが、逆になるとやらないだろうな。仮にぼくが同じ立場だったら、躊躇すると思う。

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