第46話 ベツレヘムの星(1)

「にしても、そこまで喜ぶことかね……。まあ、学生にしてみりゃこういう所でご飯を食べられること自体が珍しいか。実際、こんな所を知っているとしても行くのは難しいだろうしねえ」


 そこを経費で落とそうとしている警察官が何か言っているような……。とにかく、こういう高級店に行けること自体が有り得ないような家庭環境にある以上、寧ろ幸運と思うしかない。こういう場所でご飯を食べたら舌が高級な味に慣れてしまって、普段の食べ物が美味しくなくなってしまうかもしれない。贅沢な悩みと言えばそれまでだが、しかしながら、このままでは不味いのも確かだ。キムチ丼ご飯抜きでも注文して、丼に山盛りになったキムチを食べれば何とか味覚がリセットされるかもしれない。


「まあ、そんな難しいことなんて考えなくて良いのですよ。……さて、話ですが、何処から話しますか?」

「そうだな。先ずは……、死神のアカウントについてか? あのアカウント、実はウチもきちんと探りを入れた訳だけれど、ちゃんとした結果が導けた訳ではないのだよね……。ツイッター社にIPアドレスの開示などもお願いしたし、それについても了承を得られた訳だけれど……、そこから特定することは出来なかったのよね。何せ、ネットカフェのパソコンを転々としているようなのよ。……それだけなら、ただの人間の悪ふざけだと言えるじゃない? けれど、オカルトになってくるのはここからで……、その時間にそのネットカフェでそのようなツイートをした人間は居なかった。まあ、ツイッターってやろうと思えばどんな機種からでもログインもツイートも出来る訳だから、それがどうこうとは言えないのだけれどね……。一応、オカルトを一切除いた状態での結論は、ネットカフェのパソコンをバックドアにした犯行と位置付けられている」


 バックドア――って、要はセキュリティに穴があったということなのか? まあ、確かにネットカフェって不特定多数の人間が利用する訳だから、そういう風になってしまうのも致し方ないような気はするけれど……。


「ただ、ウチとしてはそうじゃないだろうと断定している。特殊な装置で『あやかし』の有無を判断したけれど……、やっぱりその可能性はあった。学生というのは多感な時期だから、様々な都市伝説を知っては広げたくなるのだろうね。古くは口裂け女、今は死神のアカウント……といったところだろう。いずれにせよ、人々の価値観はいつになっても簡単には変わらないということだよ」


 そう言って六実さんはビールを呷る。分からなくはないけれど、それってつまり人々の想像力が『あやかし』を作り出した原因だということだよな……。つまり『あやかし』が多く生み出されるということは、人々の想像力が豊かであるということと等価であり、それ以上でもそれ以下でもないということだろう。


「『あやかし』であることが確かだとしても……、どうやってそれを退治するか、ですね。そういえば六実さんはあの女子高生バンドはご存知ですか?」

「女子高生バンド? ……ああ、あのVTuberのことか。それなら知っているよ、ウチの新人がVTuberのファンらしくてね……。仕事が終わるといつもそわそわしているから何だと思ったら、好きなVTuberの配信があるので――などと言ってきた。まあ、昔で言うところのライブとかテレビの収録現場で居た出待ちみたいなものなのかね?」


 それは合っているようで少し違っているような気がする――しかしながら、分かりやすく伝えるならばそれが一番良いやり方なのかもしれないな。ぼくだって詳しくないし……。城崎なら知っているかもしれないが、教えを乞おうとは思わない。


「……で、その女子高生バンドが何だと?」

「最近、わたし達はその女子高生バンドを追いかけています。単なる興味とかそういうことではなくて……、その女子高生バンドが調べていた都市伝説が全て見事に『あやかし』になりつつあるんです。未だ全て調べ切れていませんが……」

「何の都市伝説? ちょいと教えてくれないかな」


 六実さんはスーツのポケットから手帳とボールペンを取り出した。そこは流石社会人といったところなのかもしれない。まあ、ビール一杯で酩酊されちゃあ、仕事中にビールを飲んでいる理由にはならない。それぐらいで酔っちゃったら、色々やっていけないだろうし。

 都市伝説のメモを終えると、満足した表情を浮かべていた……。いや、どう考えてもそれ仕事で片付けられない内容だと思うのだけれど。それを仕事にするなら、外回りで時間を潰すのも仕事だろ。


「少年は何を考えているのかな? この情報収集だって……立派な仕事だよ。それをどう捉えるかなんて、知ったことではない。わたしが仕事と言えば、これは紛れもなく仕事になるのだからね」

「トンデモ理論をぶつけられても困ります……。あと、虚数課だって仕事をしているのではありませんか? でも、この女子高生バンドのことを知らないとなると別の事件を追いかけていると?」

「血の十字架事件、って言うんだけれど知っているかな?」


 何だその物騒な名前は。


「知らないなら別に良いのだけれど……、この東京で起きている事件のことだよ。廃墟ビルの一角に十字架を立てて磔にした死体を遺棄している。つまりただの十字架じゃなくて血に塗れているから、血の十字架という訳。結構わたしにしては良いネーミングセンスでしょう?」


 ネーミングセンスのことを言われても……。しかしながら、その物騒な事件が『あやかし』にどう関わってくるのだろうか?


「血や生贄というのは、どの時代でも呪術の有効な手段の一つなのですよ。それは昔に限った話ではなくて……、今だって同じです。ただまあ、それが表に出ないのは警察が情報統制しているからでもあるのですけれどね……。だって、それを言ったところで市民を不安にさせるだけですし、犯人が見つからなければ警察に批判が集まるのは当然ですからね……。当然ながら、『あやかし』関連の事件というのは公表出来ないのですよ。必ず、何があっても隠匿しなければならない。まあ、出来ないケースも中にはありますけれど……、それは例外中の例外と言っても差し支えありません。しかし、幾ら市民に伝えないようにしようと思っていても、必ず情報というのは漏洩します。そうなると、それが尾鰭がついていき……、気が付けば新たな都市伝説の出来上がり、という所まで来てしまうのですよね。インターネットに転がっている寓話だって、最初は当然存在しなかったはずなのですが、インターネットで世界中に広まってしまったことで、それが『あやかし』としての条件を満たしてしまった――なんてこともあります。皮肉なことではありますが」

「そうそう。だからウチもあんまり口外出来ないのよね。厄介なことに巻き込まれたくないし。……で、その血の十字架事件なのだけれど、わたしの予想からは未だ死者が出てくる可能性がある。これを見てもらえる?」


 手帳から何か折り畳んだ紙を取り出した。

 紙を広げるとそこにあったのは東京の地図だった。


「この赤い丸は、血の十字架があった現場……。そして、それは何かを描いているようにも見えないかしら?」


 それを見た六花が少しだけ考え事をして、やがて一つの結論を導き出す。


「六芒星……ですか?」

「惜しいね、六花ちゃん。……ベツレヘムの星って聞いたことがあるかな?」


 ベツレヘムの星――確かキリスト教では有名な星だったかな? 東方の三賢者――とあるロボットアニメでも知られているが、メルキオール、バルタザール、カスパルの三人だ――にキリストの誕生を知らせ、ベツレヘムへ向かわせたという星だ。キリスト教にとっては重要な星であると言われているし、クリスマスツリーの頂点にある星はそれをモチーフにしているんだったっけ?


「何で少年がそこまで詳しいのかは置いておくとして……、まあ、その通りだよ。キリスト教にとっては重要なモチーフであるとも言われているけれど、しかしながら、これがあるからといって犯人がキリスト教をモチーフにしているとは言い難い。寧ろ、逆の可能性すらある」

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