第16話 都庁神社(1)

「別に今それを言う必要はないのですけれど……。でもまあ、亡くなった後も作品が続いていくというのは良くある話だと思いますし。鉄腕アトムやブラック・ジャックなんて今も愛されていますからねえ。火の鳥だって、最後は作者が亡くなる直前に一コマ描くつもりなんでしたっけ?」


 知らねえよ、どうしてそんなにピンポイントで昭和の漫画に詳しいんだ。まあ、人誰しも何かしら秀でるところはあって然るべきなのだろうけれど……、そのネタを話したところでどれぐらいの人が共感してくれるのだろう? 少なくとも同年代には受け入れてもらえそうにないよな。


「うーん、そうなんですかね。結構、受け入れてくれる人は居ますよ。だって鉄腕アトムはつい最近アニメもやったし、リメイクみたいな漫画もやっていたし……。面白いんですよ、あの漫画。謎が謎を呼ぶシリアスな展開で」


 えーと、ぼくの記憶が正しければアニメをテレビで放映したのって、もう十五年以上昔のことだったと思うのだけれど、それを『最近』と定義して良いものかどうか。


「わたしが最近と言えば最近なんですよ」

「……さいですか」


 これ以上言わないでおいた方が良い。


「……ところで、ここが都庁神社ですか……」


 都庁の展望室に、ぼくは初めて足を踏み入れた訳だけれど、こう見てみるとただの展望室としか言い様がなくて、はっきり言って観光施設と何ら変わりがなかった……。京都タワーもビルの上に建てられているからあんまり高いイメージがないのだけれど、それに近い感じかな? 京都タワーは降りる時、一階階段で降りないといけないのだけれど、それが外に競っている状態になっているのだから、少しだけ恐怖感を煽っているのだけれど、それが怖いか怖くないかと言われると、半々としか言えない。もし百人中百人がその階段を怖がっていたら、今頃京都タワーは立派な観光地とは言えなくなっているからだ。観光地として成功したいのなら、誰しもが行けるようなバリアフリーをするべきだ――とは何処かの誰かが言っていたような気がするけれど、実際それをしてみたらお客さん自体は減ったりしないのかな? スリルを求める人も居ないとは言い切れないだろうし。


「どうしてこういう観光地でスリルを味わおうとしているんですか……。つまりそれって、盗難被害の相次ぐ観光地で是非盗難されてみたい、と言っているのと同じだと思いますけれど」


 あれ? そうかな?

 そこまで変な考えではなかったと思うけれど。


「……自分の考えが変だということを、少しは自覚した方が宜しいかと。実際、わたしだって常識を持っているかと言われると微妙ですけれど……。あなたよりはマシだと思いますよ」

「それは心外だな。出来ることなら訂正してもらいたいものだ。ずっとぼくは適当に生きてきた訳ではないんだぜ?」

「……そのことについては色々と話しておきたいこともありますが。先ずは、事件の解決に向けて動き出すことにしましょうか」


 そうだった。先ずは事件を解決しないと、何も進まない。進まないというか、進ませないというか、そういう感じではあるのだけれどね。

 都庁神社は展望室の中心にひっそりと佇んでいた……。というか、ひっそり佇みすぎじゃないか? これじゃ観光地を狙っているんだか狙っていないんだか分からないぜ。赤い鳥居がこぢんまりと設置されていて、その左側にはエレベーター、右側には絵馬を飾るロープが張られていて、満杯ではないけれどまあまあの数が設置されている。鳥居の奥にはきちんと社もあって、流石に社の扉は開いていないようだったけれど、ちゃんとお賽銭を入れる所もある。

 一応、ちゃんと神社としての体裁は保っている、ということか……。


「取り敢えず、先ずは神社に参拝しないといけませんよね。手水舎ちょうずやはなさそうですが」


 手水舎? ……ああ、手を洗うところか。こういう場所は設けていないんじゃないか? 神社だったら普通は外にあるのだろうけれど、ここは屋内だし。それに展望室ということで高層エリアに設置されているということも考えると、水の移動だけで割と大変なのかもしれない……。ともかく、ここでは水で手を洗うといった普段のやり方は出来ないと思うぞ。現代社会に適応した神社とでも言えば良いだろうか。だとしても、なかなか面倒なやり方になるよりはマシだと思うけれどね。


「わたしは現代社会に適応し過ぎて古き良き文化が失われることだけが嫌だと思います……。でもまあ、これは致し方ないことなのかもしれませんね。時代が変わりゆくにつれて、わたし達も変わっていかなくてはならないのかもしれません」


 でも、六花はサムライとして生きていくんだろう?


「そうです。それがわたし達三橋家のポリシーですから。プライドと言ってもいいでしょうが」


 単純に昔からサムライだったからそれを引き継いだだけ――じゃないのかね。だとしても、そういう昔ながらのやり方にはちょっと反対するけれど。自分が良いならそれで良いのかもしれないけれど、昔ながらの伝統を押しつけるのは少々いただけない。それだけはやめておいた方が良いと思う。伝統が悪いとは言わない。文化や伝統を残していくことは悪いことではない。けれど、その伝統や文化を見直すこともせずに――ただ未来へ押し通そうとしているのが問題。

 押しつけないと残らない文化なら、途絶してしまって当然なのだと思う。

 それについて否定も肯定も出来ないのが現代社会ではあるのだろうけれど、今でも古き良き文化というのは新しい技術を受け入れつつも、自分の考えを後世に伝えていこう――なんて考えの人も居れば、そういう新しい技術を受け入れずに衰退の道を歩む文化だってある訳だ。

 温故知新、とは言い得て妙なのかもしれないけれど、しかして、それをいざ実践しようなんて考えたところで、それをどうやって調理していこうかと四苦八苦することも、案外楽しいことなのかもしれない。

 鳥居を潜り――余談だが、中心は神が通る道と言われているため、普通は通らないのだ――、中に入る。狭い境内だから誰かとすれ違うこともなく、すんなり社の前まで向かった。

 六花は財布から五円玉を二枚取り出すと、その片方ぼくに手渡した。


「五円ぐらい支払いますよ。一緒に拝みましょう」


 けち臭い人間だと思われてしまいそうだけれど、ここでそれを断ってもそう思われてしまいそうだし、ここは素直に受け入れることとしよう……。ぼくは五円玉を受け取ると、それを賽銭箱に入れる。そして、二度頭を下げ、二度柏手を打ち、そして最後に一礼する。二礼二拍手一礼とは、日本の神社の大半で使われている礼儀作法であり、それを案外知らない人間も居るのかと思っていたけれど、そういうことはなくて、老若男女全ての人間が知っているのだ。日本人って神様を信じていない――所謂無宗教の人間が多い割りには、こういう風に神社に参拝することがあるんだよな。正月には神社に参拝し、彼岸や盆には先祖の霊を呼び、クリスマスには――クリスマスってキリストの誕生日なんだったかな――盛大にお祝いする。こう見ると日本人の価値観って、色々ごちゃ混ぜになっているところがあって面白いと思う。真剣に文化を研究している人からしてみれば、仮に何百年後といった遠い未来にこの国の文化について調べたとき、頭を抱えるのだろうな。こんな混合した文化の国があってたまるか、って。事実は小説よりも奇なり、とはこのことだ。

 

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