第9話 珈琲の香り。
「1週間も休んで、申し訳ありませんでした。今日からまた、よろしくお願いします」
朝のミーティングで蓮斗さんがそう挨拶し、皆に向けて頭を下げた。
さっき来ていた河原さんは、いつの間にか帰ったみたい。
どんな関係か気になるけど、今はミーティング中だし余計な事は考えないようにしないとね。
「蓮斗くん、人間だから休む時もあるだろう。それについては何も言わないが……皆、帰りを待ってたんだよ。それだけは知っておいて欲しいな」
「はい」
剛士さんが蓮斗さんの肩をポンと叩き、珈琲専用のカウンターへと戻っていった。
「蓮斗さんがいないと、大変なんですから~!」
「光、調子が良すぎですね……」
確かに……。
光さんは、蓮斗さんがいないと怒られないし楽だなぁ~!なんて言っていたのに。
「私も、蓮斗さんにいてもらわないと困ります」
「何故だ?俺がいない方がビクビクしなくて良いだろう?」
まぁ……その通りですが。
今のは、そういう意味じゃ無いんだけど……。
なんだか余計なことを言った気がする。
「それは兄さんが考えてください。そうですよね?由樹さん」
「あ……はい。そうですね」
琉斗さんがフォローしてくれて、墓穴を掘らなくて済んだかも。
「じゃ、面倒だから考えないことにする」
「へっ?」
考えない……って、ええっ!?
は……はぐらかされた。
信じられない!このタイミングで、それはないよね?
ちょっと期待していた私は、気分が落ち込んでいく。
蓮斗さんを見ると、厨房に立ち表を見つついつの間にか鬼モードになっていた。
あ……もう沢山のお客様が来てる!
私は急いで持ち場に戻った。
「開店時間だ。琉斗、ドアを開けてくれ」
「了解です!」
カラン……。
「いらっしゃいませ」
琉斗さんの爽やかな笑顔に迎えられたお客様は、光さんに案内され、次々と席が埋まっていった。
「オーダー入りました。お願いします!」
「了解」
こうして、いつもの光景が始まった。
私はまだ洗い場だけど、このお店のなんとも表現しがたい音や声や匂いや香りが……好きになっていた。
雰囲気もここで働く人達も好きだし。
だからお客様は何度も通っちゃうんだろうな……。
一番のお気に入りは、ここの珈琲。
剛士さんがいれてくれる珈琲は、今まで味わった珈琲の中で比べ物にならないくらい香りも味も美味しいの。
「おい、ぼーっとしてないで手を動かせ」
「あっ、はい!」
はぁ……。
まだ蓮斗さんが不機嫌のままだ。
私が、忙しい時間にお客さんを通したから怒ってるのかな。
終わったら蓮斗さんに謝ろう。
「オーナー、オーダー入りました」
「了解」
「光、出来たぞ……2番」
「ラジャー!」
光さんは仕事モードになると、不機嫌さを消すみたい。
いつも以上に、キラッキラの笑顔でお客様に話し掛けている。
「いらっしゃいませ。ただいま満席ですので、こちらに記入して、外のベンチでお待ちください」
「キャー!王子に話し掛けられちゃった!」
えっ……王子?
「由樹さん、どうかした?」
「え……。あの……今、王子って……」
アイドルを見た時のような絶叫?を、店内で聞くなんて……。
「光と僕がね、いつの間にか王子って呼ばれてるんだ」
でも、常連さんしか言っていないけどね……って、苦笑していた。
「へぇ……。って、琉斗さんもですか?」
「うん。どう見ても王子には見えないでしょ」
そうかな……。
優しい口調やスマートな対応とか、ルックスも笑顔も良いし、初めから王子っぽく見えたけど。
光さんはイタズラ好きな王子で、琉斗さんは爽やかな王子って感じかな。
「俺は、由樹ちゃんの王子になりたいな」
「光さん!?」
いつの間にか私の横に立っていて、笑顔で私を見ていた。
光さんがとても色っぽい目で私を見ている。
それに、さっきの甘い台詞。
いつもと違う光さんに、ちょっぴりドキッとしてしまった……。
しかしその瞬間、何処から鋭い視線を感じた。
「光、遊んでないで7番持っていけ!」
「ラ、ラジャー!」
「お前も、ちゃんと仕事に集中しろ」
「はい、すみません……」
ふぅ……蓮斗さんにしっかり聞かれてた。
て言うか……見てた?
光さんは笑顔でホールに逃げるし、琉斗さんは苦笑いして私を見ていた。
はぁ……また怒られちゃった。
それから嵐のピーク時間が過ぎ、私が休憩する番となった。
いつものように、昼食を持って家のリビングへ行きました。
「由樹さん、今日は私とですね」
「はい、剛士さんと一緒って珍しいですよね」
珈琲の担当は剛士さんと蓮斗さんだから、お客様が多い時は二人で作っている。
だからその場を離れる事が出来なくて、休憩が遅くになってしまうみたい。
「今日だけ、特別に変わってもらいました」
「えっ?特別って……?」
何かあったとか?
「あぁ、蓮斗くんが休んだ分も頑張るので……と言ってくれました。なので、早めに休憩が取れたと言う訳です」
「そうだったんですね」
変な心配をかけてしまいましたか?と、剛士さんは笑っていた。
「はい。由樹さんとお話がしたかったし、良い機会ですから珈琲のいれ方を教えてさしあげようかなと思いまして。だから、一緒の時間にしました」
「ありがとうございます!」
美味しくいれるコツとか聞けるかなぁ?
興味があったから、嬉しい!
「ですが、時間もかかりますし……今ではなく、閉店後にやりましょう。蓮斗くんに使用許可をもらわなくてはいけませんからね」
「わかりました」
皆がいれ方を知っているから、私にも教えてくれるって。
知っておいた方が、ヘルプにも入れるし……。
あぁ……でも嬉しいけど、ちゃんと出来るか心配。
「では、昼食をとって……急いで戻らないとですね」
「はい!」
私達は短い時間の中で、色々な話をしながらお昼を食べ終えた。
剛士さんは、蓮斗くんが大変ですから……と、先に店へと戻っていった。
そして私は、シン……と静まるリビングに一人残された……。
こういうに限って、今朝感じたモヤモヤを思い出してしまう。
気にしないようにしていたのに……。
でも……また会うとは限らないし。
うん、モヤモヤは考えないようにしよう!
私は、ヨシッ!と気合いを入れて立ち上がると、笑顔で再び店へと戻るのでした。
そして、今日も店の営業が終わった。
剛士さんは約束通り教えるので、私に残るようにと伝えてきた。
そして家へ戻ろうとしていた蓮斗さんに、店を使う許可を取ってくれていた。
「蓮斗くん、由樹さんと私は少し店に残ります。珈琲のいれ方を教えてさしあげる約束なので」
「わかりました。お前……剛士さんに迷惑かけるなよ」
「はい!」
蓮斗さんはコイツで大丈夫か?と……不安そうな顔をしていたけど、剛士さんに言われたから断れなかったのかも。
光さんも参加したい!と張り切っていたけど、剛士さんがまた次の機会にしてください。と……笑顔で断っていた。
剛士さんの笑顔は、かなりの効力があるみたい……。
光さんが驚いていて、ごり押しもせず大人しく家へ戻っていった。
店に残ったのが私達だけになると、剛士さんはリビングへのドアに鍵をかけた。
「これで、邪魔する者はいなくなりましたね。あっ……深い意味はありませんから」
「……えっ!?アハハ!はい、大丈夫です」
剛士さんはお父さんみたいな人だし、そんな冗談が出るなんて……。
ちょっと動揺してしまった私は、思わず笑ってしまった。
「それじゃ、まずは……珈琲をいれる前にしていただきたい事を教えます」
「はい、よろしくお願いします」
剛士さんは、丁寧に教えてくれた。
まずは、使うカップを選ぶ事。
そして次に、そのカップを温めるみたい。
「カップが冷たいままですと、珈琲の味や香りが一気に変わってしまいますし、酸化も早まってしまいますからね。それにカップを温めておくと、冷めにくくなるという利点もあります」
……なるほど。
何気なく飲んでいたけど、カップから気を付けていたなんて知らなかった。
「次に、珈琲ですが……新鮮さが大事です。珈琲をいれる直前に焙煎した豆を挽いています。挽き立てが一番美味しいですから。ですので、お急ぎの方にはうちの店は向きませんね」
こだわりの珈琲の生豆は、蓮斗さんと剛士さんが選んだものをお店で焙煎しているんだって。
焙煎された珈琲の豆を挽いたときの香りは……その匂いごと食べたくなってしまう程、美味しそうなの。
「だから、店内で流れる空気がゆったりしているんですね」
「そうです。美味しい珈琲に、癒しの空間ですね。まぁ……最近は、少し賑やかにはなってきていますが」
えっ?
「賑やかですか?」
「はい。以前より沢山のお客様がお見栄になりますから。光くんや琉斗くん……最近では由樹さんを見に来る方々が増えましたからね」
はぁ……。
確かに、今日の王子様達に向けての絶叫や私がホールに出た時のマニアな方達の声が、賑やかではあった。
「私……蓮斗さんに怒鳴られてばかりですもんね」
「あぁ、それは大丈夫ですよ。私は嬉しい光景ですから」
怒鳴られているのに、嬉しい光景??
「どういう意味ですか?」
まさか……怒られている光景が好きだとか?
もしや、そっち系とか!?
「あぁ……失礼しました。誤解しないでくださいね?昔……先代がここのオーナーだった頃、蓮斗くんも同じように叱られていたんです。だから時々……その頃を思い出して懐かしんでしまうんです」
「えっ?あの蓮斗さんがですか!?」
信じられない……。
「はい。蓮斗くんは今では立派なオーナーですが、最初は気の毒になるくらい先代の雷が沢山落ちていましたよ」
「……驚きですね」
あんなに鬼な蓮斗さんからは、そんな事があったなんて想像もできないなぁ。
「蓮斗くんは、優しいですから。怒るのも彼なりの愛情表現と思ってあげてください」
あれが……愛情表現!?
恐すぎますよ……。
「……剛士さんは、優しいんですね」
皆は気付いていないかもしれないけれど、剛士さんが蓮斗さん達を見る時、まるで自分の子供を見ているかの様な表情をしている時がある。
「そうですか?」
「はい。皆のお父さんみたいです」
私の言葉に剛士さんは、そう思っていただけて光栄です。と、優しい笑顔を見せてくれた。
「あぁ……もうこんな時間ですね。続きはまたの機会にしましょうか」
「はい。貴重なお時間に、ありがとうございました」
気が付くと時計は18時を過ぎていて、いつの間にか外は暗くなっていた。
「由樹さん、お疲れ様」
「あ……琉斗さん」
リビングへの扉のカギを開けると、私達を待っていたかのように笑顔で出迎えてくれた。
「剛士さん、次は俺も参加させてくださいね!」
光さんはソファから飛び起き、私達を見てワクワクしていた。
「そうですね。では、琉斗くんも一緒にいかがですか?」
「はい。是非、よろしくお願いします」
琉斗さんは胸に手を当て、剛士さんに軽くお辞儀をした。
その立ち振舞いが、まるで王子か執事の様に見えた。
うーん……カッコイイ。
「えーっ!?琉斗さんは、教わらなくても良いですよね?」
「そんな事はありませんよ。まだまだ教える事が沢山ありますから。勿論、光くんもです」
それを聞いて光さんはガッカリしていたけど、皆で教わった方がまた違う刺激があって楽しいかもしれない。
「光さん、一緒に頑張りましょうね」
「うん!」
「急に張り切るなんて、光は現金な人ですね」
琉斗さんは少し呆れていたけど、これも光さんらしいですよね。
「では、私は帰ります。今日もお疲れ様でした」
「剛士さん、ありがとうございました!お疲れ様でした」
「「お疲れ様でした」」
剛士さんは私達に次を約束し、帰宅しました。
いつも忙しいのに、疲れた顔を見せた事が無い……。
プロなんだなぁって思うし、剛士さんが帰る時のその後ろ姿も素敵でした。
「では由樹さん、家までお送りします」
「蓮斗さん、店が終わってすぐ出掛けちゃったからさ……俺達で送るよ」
「いつも、ありがとうございます」
そっか……。
蓮斗さん、河原さんに会いに行ったのかな……。
今朝の事、謝りたかったのにな。
「由樹ちゃん、気にしなくて良いよ?だって、俺達が送りたいんだし」
「夜道は危険ですからね。本当は、由樹さんも一緒に暮らせれば僕達も安心なのですが……そうなると、違う意味で由樹さんの身が危険ですし」
えっ、一緒にですか!?
それはさすがに……ちょっと遠慮させてもらいたいです。
だってそうなったら、蓮斗さんも一緒にって事で……いくら部屋が違うとしても、ドキドキして眠れなくなっちゃう!
「俺達……ボディガードとしては、申し分は無いと思うんだよね~」
確かに……それはそうですが。
何故かうちのカフェスタッフの皆さんは、何かしらの武芸や格闘技をやっているらしいです。
あの剛士さんでさえ、手習い程ですよ?と言いつつも、合気道の有段者だそうです。
「ですが、狼の中に……可愛い子羊を入れるようなものです」
「ええっ!?俺は紳士ですよ。狼なんかにはなりません!ね、由樹ちゃん?」
えっと……これは琉斗さんの意見に賛成ですね。
「という訳ですので、由樹さんを家までお送りします」
「はい、よろしくお願いします」
「ちょっと、俺の意見はスルー!?」
光さんはガックリと項垂れつつも、私達の後について来て元気よく車の助手席に乗り込んだ。
その時……。
♪~♪~♪
♪~♪~♪
「あっ、琉斗さん……ちょっと待ってください」
光さんのスマホがメールの着信を知らせた。
そしてはぁ……と大きく溜め息を吐くと、琉斗さんを申し訳なさそうに見た。
「何かあったの?」
「はい。……友達が呼んでるんで、由樹ちゃんを頼んで良いですか?」
俺はそこまで原チャリで行くから、車を降りますと光さんは言った。
「僕は問題ないよ。何処で降ろす?ついでだし、乗せてくよ」
「じゃ、駅前が良いです。良かった~!由樹ちゃんも送れるし、ラッキー!」
琉斗さんのお陰で光さんはまたもやハイテンションになり、移動中の車内は賑やかになった。
そして、あっという間に私の家まで着いてしまった。
「光さん、お友達と楽しんできてください」
「うん、ありがとう。由樹ちゃん、お疲れ様でした」
「由樹さん、明日は定休日だからゆっくり休んでね」
「はい、ありがとうございます。お疲れ様でした」
私は車を降りると、見えなくなるまで見送った。
そして辺りは人工的な光が無くなり、夜空一面にある星の光や月の光で辺りが照らされた。
忙しい毎日だけど、あたたかくて素敵な時間を過ごせている。
以前の私だったら……きっと退屈していただろう。
だけど、今は……生きてるって実感できる。
ずっと……続いて欲しいと願いたい。
そう願う事は、私には無理なのだろうか……。
そろそろ家に入ろうと思い、ふぅ……と溜め息を吐き、歩き出した時……。
フッ……と、風に乗ってほのかに香りがした。
「……これ、珈琲の香り」
まさか……気のせいよね?
だけど、それは気のせいでは無くて。
嫌な予感が的中してしまった……。
「由樹、捜したよ……」
「何故……」
そしてまた……私は、あの時に戻ってしまうのだろうか。
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