第7話 鬼の恋人。その1

「お疲れ様」

「……お疲れ様でした」


はぁ……。

蓮斗さんは私を家の前に降ろすと、車を出してしまった。


『俺の大切な女に……』


って、言っていたのに。

帰り道ではその事には触れず、家まで着いてしまった。

蓮斗さんは鬼でどSだけど、でもあの言葉嬉しかったのに。

あっ、でも恋とかではなくて!

その……何て言うか、男らしくてあの真剣な表情で言われたら、誰でもクラッとしちゃうでしょ!?

……うん、きっとそれよ。

たぶん……。

明日……私、大丈夫かなぁ……。

気が重い……。


「由樹ちゃん、おはよう~!」

「由樹さん、おはようございます」

「光さん、琉斗さん、おはようございます!」


いつものように玄関から入ると、光さんと琉斗さんが笑顔で挨拶してくれた。


「……お前ら、煩い」


そして、背後で蓮斗さんの不機嫌な声が……。

今朝も蓮斗さんが迎えに来てくれた。

……というか、拾ってくれたんだけど。


「えぇ~!だって、由樹ちゃんに会えて嬉しいんだもん!」


……だもん!って、光さんキラッキラの瞳で見つめないでください。


「光、コイツに近付くな」


あ……また背後で恐ろしいオーラを感じます。

見ないでおきましょう……。


「由樹さんは、皆の由樹さんですよ。……ね?そうですよね?」


琉斗さんは微笑みつつ、私に同意を求めてきた。


「……えっと、はい……そうです」


それは間違っていないし……。

皆のって言われると、ちょっと恥ずかしいけど。


「へぇ……そうか。由樹、お前がそう出るなら俺は容赦しないからな」


え"っ……。

こ、恐い!


ここから逃げても良いですか!?


でも、金縛りにあったみたいに体が動かない。


「はぁ……。兄さん、由樹さんを怯えさせるなんて逆効果ですよ?まったく……女性の心が解っていないんですから」


「……ぷっ」


あ……琉斗さんのお陰で、足が動いた!

さすが天使のような琉斗さんですね。


「光、お前……今、笑っただろ?」

「えっ……?気のせいです」


あ、光さんがターゲットになりました。


「そうか?光、その挙動不審な態度は何だ?」

「ギャー!い、痛い!」


う……こめかみグリグリされてる。

痛いよね……。


「私は、着替えてきます!」

「由樹さん、いってらっしゃい」


こんな賑やかだけど、皆で過ごす朝の光景はずっと見ていたい。


すごく幸せだなぁ……。

そんな幸せな気持ちに包まれながら、私はユニフォームに着替えたのでした。


そして今日も開店と同時にお客様が入ってきた。


「いらっしゃいませ」


琉斗さんが満面の笑みでお出迎えしていた。



「あ~、痛い……」

「光さん、大丈夫ですか?」


蓮斗さんにやられたこめかみが、まだ痛むみたい……。


「……由樹ちゃんがキスしてくれたら、治るかも」

「えっ……?」


キスって……。

ええっ!?


そ、それはちょっと無理です!


「おい、光……今、何て言った?」


あ……鬼の蓮斗さん登場です。


「何も言ってません!さてと、お客様の所に行ってこなくちゃ~」


光さん逃げちゃった。


「お前、隙がありすぎなんだよ」

「隙ですか……?」


そうかなぁ?


「由樹さん、兄さんといちゃつかないでね?お客様のオーダーお願いできる?」

「はい!」


私達いちゃついていたかな?

そう見られていたなら、ちょっと恥ずかしいかも……。

その事で蓮斗さんが琉斗さんに何か言っていたみたいだけど、気にしない気にしない。

今日は昨日と違って男性客が多い。


光さん曰く、


「由樹ちゃんを見に来たんだよ……。まったく、ライバルが増えるなんて困るよね」


だそうです。

ライバルではなくて、私のメイドスタイルが珍しくて見に来ているだけな気がするのだけれど。

それに男性客を増やすために私を入れたはずだから、効果があったって事よね。

だけど、光さんも琉斗さんも私が行くのは女性のテーブルだけにしてね?って言われてしまった。

剛士さんは苦笑しつつも、慣れるまではその方が良いですね。と、二人の意見に賛成していた。

蓮斗さんに聞いたけど、ムッとしていて恐くて話し掛けられないから、黙ってその通りにすることにした。

そのお陰か特に問題も起きなくて、スムーズに仕事をこなすことが出来た。

さすが、経験者よね!と、私は感心していた。


しかし、それも長くは続かず……。

やはり問題が起こったのです。


それは、お昼のお客様が増えてきてホールも厨房も忙しくなって来た時だった。


「ねぇ、僕と写真撮ってくれない?」

「あの……ご主人様とか、言ってもらえないかな」


あ、来たっ!

やっぱり言われちゃうのね……。

食器を下げている時、光さんみたいに?妄想されている男性のお客様が声を掛けてきた。


「申し訳ありません。全てそういう事はお断りしていますので」


用意していたセリフを言って、何人かお断りさせていただいた。

だけど、それでは諦めてくれなくて。


「えぇ~!良いじゃん。減るもんじゃ無いし」


と、しつこくお願いされてしまった。

その時……。


ガチャン!ガチャン!


店の奥……洗い場の方から何か割れたような大きな音が聞こえた。


「申し訳ありません、失礼致しました」


何事が起こったのかと私は目の前のお客様にお詫びし、奥まで戻っていった。


「何かあったんですか!?」


見ると、洗い場で割れたお皿を片付けている琉斗さんがいた。


「あぁ、ごめんね……。お皿を割っちゃったんだよ」

「そうだったんですか。心配しちゃいました」


特にケガもないからと言われたので、安心してホールに戻ろうとした。


「待て、行くな」


急に目の前に現れた蓮斗さんが私の腕を掴み、戻るなと怒っていたのです。

しかもすごい力で掴まれていて、腕が痛い。


「えっ!?私……何かしました!?」


特に、何も失敗はしていないと思うけど……。


「由樹さん、兄さんの言うこと聞いてくれる?これ以上……割れ物を増やされると困るから」

「えっ……?」


それってどういう事ですか??


「嫌だよねぇ、自分の彼女じゃないのに嫉妬して。あぁ~コワイ」

「ええっ!?」


まさか、お皿を割ったのって蓮斗さん!?

それに、嫉妬してって……?

驚いて蓮斗さんを見ると、気まずそうに目を逸らされた。

えっと……蓮斗さんが嫉妬して、怒りを抑えきれずに、お皿を割って我慢したと。

あはは……本当ですか?

ちょっと信じられません。


「ふぅ……。由樹さん、今日は洗い場でお願いしますね」


琉斗さんが溜め息をつきつつ、私に謝っていた。


「はい。じゃ、エプロン着けてきます」

「うん、ありがとう」


わぁ……。

あの蓮斗さんが嫉妬してくれたんだ。

何だか嬉しい!

私は心を弾ませながら店のエプロンを着け、洗い場に入ったのでした。

それからホールは光さんと琉斗さんでこなしていき、最後のお客様をお見送りし……無事に店を閉める事が出来た。


「はぁ……、疲れたぁ~!」


光さんが、ソファにドカッと腰を下ろした。


「光さん、色々と……お疲れ様でした」


いつも以上のピリピリ感に、気を使いすぎて疲れちゃったのね……。


「本当だよ……。いくら由樹ちゃんが好きだからって八つ当たりはいけないよね?」

「でも……それは皆さんの勘違いですよ?蓮斗さんは、私の事なんて恋愛対象にしていませんから」


だって何も言ってくれないし、私を送った後は何処かに行っちゃうし。


「……えっ?由樹ちゃん、蓮斗さんの気持ちに気付いてないの?あんなに分かりやすいのに……」


やっぱり気のせいじゃ無いのかな?

そんな気がした事はあるけれど……。

よく分からない……。


「そっか!蓮斗さんが何も言わないなら、俺にもチャンスはある筈だよね?嬉しい~!」

「僕にも、そのチャンスはありますか?」

「琉斗さん!?」


店から戻ってきた琉斗さんが、私に向かって笑顔で訊ねた。


「え~!琉斗さん、抜け駆けはしないでくださいよ!」

「こういうことは、順番は関係ありませんから。由樹さんの気持ちが大切ですよ?」


光さんは琉斗さんの言葉を聞いて、そうかなぁ~?と悩んでいた。


「それよりさ、問題はオーナーだよな。明日からどうする?これ以上割れ物を増やされるのは困るぞ」


陽毅さんが私達の会話に苦笑しつつ、まだ店にいる蓮斗さんに聞こえないよう側に寄って話し始めた。

確かに……。

あの割れる音って心臓に悪いし、お客様だって良い感じはしないよね。


「でもさ……由樹ちゃんにホールに出てもらいたいよ。その為に、可愛いユニフォーム作ったんだし」

「そうだな。どうすれば由樹が接客してる時に、オーナーが仕事に集中してくれる方法があるか」


陽毅さんがそう提案してきたが、光さんも琉斗さんも頭を悩ませていた。


うーん……。

そんな方法があるのかな?

いつも仕事をしつつお客様や私達に気を配っていて、一点に集中させるなんて難しそう。

考えても結局答えは出てこなくて、その場にいる皆が黙り込んでしまった。


パタン……。


店側の扉が開く音が聞こえた。

蓮斗さんが来たのか!?と一斉に振り返った。


「琉斗くん、ちょっと……良い?」

「はい。剛士さん、どうしたんですか?」


しかし入ってきたのは、神妙な面持ちをした剛士さんだった。


「琉斗くんに聞きたいことがあるんだ。こっちで話そう」

「わかりました」


琉斗さんをリビングから離れたキッチンへ連れていき、何やら話し込んでいた。


「何か、あったのでしょうか?」

「……多分。剛士さんがあんな顔をするのは、珍しいしな」


悪いことじゃなければ良いけど……。

そういえば、蓮斗さんが戻って来ない。

まさか、蓮斗さんになにかあったんじゃ!?

そんな心配をしていた時、蓮斗さんが店から戻ってきた。

すごく深刻そうな表情をしていた……。


「あっ、蓮斗さん……お疲れ様でした」

「お疲れ様です!」

「オーナー遅かったですね?」


私達が声を掛けても……無反応。

いつもの蓮斗さんではない事は、誰が見ても解った。


「あっ、私……着替えてこなくちゃ」


とても話し込む雰囲気でも無かったし、私はその場から立ち上がった。


「うん、俺も……」

「じゃ、そろそろ俺も帰ろうかな……」


光さんも陽毅さんもその場の空気を察し、ソファから立ち上がり、リビングから出ていこうとしていた。

しかし、私達より先に蓮斗さんが動き……。


「由樹、お前……暫く洗い場から出るな。ホールは光と琉斗でやるから」


そう私に言い放った後、外に出ていってしまった。


「えっ、今の何だったんでしょうか?」

「さぁ?」

「まぁ、とりあえず指示通りにした方が良いな。オーナーに逆らうと煩いから」


そうだよね。

また割れ物を増やされるよりはましだし。


「はい、わかりました」


私は陽毅さんにそう返事をすると、着替えをする為に脱衣所に向かった。

着替えを終えてリビングに戻ると、光さんが満面の笑みで私を待っていた。


「あっ、今日は俺が家まで送ろうかなぁ。蓮斗さん何処かに行っちゃったし」


あ……そうか。

でも、送ってもらわなくても一人で帰れるんだけど……。


「それは心配しないで下さい。僕がお送りしますから」


リビングに琉斗さんが王子スマイルで現れ、光さんに車のキーを見せていた。


「えぇ~!せっかくのチャンスなのに!……ていうか、急に戻ってきて由樹さんを取らないで下さいよ~」


光さんが、琉斗さんの持っているキーを奪おうとしている。

なんだかじゃれている猫みたい。


「という訳ですので、もう少しゆっくりしていって下さい」

「はい。琉斗さん、ありがとうございます」

「ちょっと~!由樹ちゃんまで酷いよ!」


最後まで不満をブツブツ言っていたけど、光さんに送ってもらう方が危険な気がするのは、私だけかな?


「わ~い!」

「ふぅ……。結局、こうなりましたか」

「すみません……」


運転しつつ大きな溜め息を吐く、琉斗さん。

そして、助手席で楽しそうにしている光さんがいた。

帰り支度を終えてリビングに戻ると、光さんがずっと拗ねていて……。

その姿を見たら、可哀想で……。


「光さんも、一緒に送ってもらえますか?」


そう言ってしまったの。

そうしたら、光さんが大喜びで運転するって騒ぎだした。


「じゃ、由樹ちゃんは助手席で決定だね!」


と、いつも以上に張り切っていた。

でもそんなテンションでは皆の命が危ないから、琉斗さんが運転に……。

さらに私が助手席に乗ると騒ぎそうなので、後部座席に乗ることになった。


「まったく……。光は、由樹さんより歳上なのに、子供ですね」

「男は、いつでも少年の心を持っているんです!」


どういう意味だろう?

光さんは、訳のわからない返しをしていた。

その会話も、今の私には嬉しくて……。

だって……。

もしかしたら、私は解雇されていたかもしれないし。

そうなっていたら、こんなに楽しい会話にも参加できなかったから。


「由樹さん、大丈夫ですか?光が煩いなら、黙らせますよ?」

「え~!それ、酷いなぁ……。由樹ちゃん、そんな事無いよね?」


急に黙ってしまった私を心配して、琉斗さんが声を掛けてくれた。


「なんだか嬉しくて干渉に浸っちゃいました」


こんな感じ久しぶりだなぁって。

落ち着く感じっていうのかなぁ……。


「あぁ……。由樹さんを帰したくないなぁ」


私の家が近付いてきた頃、琉斗さんがルームミラー越しに意味ありげな視線を送ってきた。

突然どうしたんだろう?

琉斗さんがそんな事を言うなんて……。


「琉斗さん!?ちょっと……俺がいるのに、由樹ちゃんを口説かないで下さいよ!俺だって同じだから」


光さんも私の方に振り返ると、ウインクしてきた。


「あははっ、ありがとうございます……。でも、明日も仕事ですから、家に帰らせてくださいね?」


二人とも、私を元気付けようとしてくれたんだ。

この時は……そう思っていた。


翌朝……。

いつものように、家を出る。

今日から洗い場になったので、服装は汚れても良いように白のTシャツに黒の七分丈レギンス。

エプロンをするけどブラが透けて見えるかもしれないので、紺のキャミソールを中に着てみた。


「あぁ……暑いなぁ」


店まで歩く距離が、いつもより長く感じる。

そんな時、タイミング良く蓮斗さんが現れる。


……筈だった。

今日は……何故か現れなかった。

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