第5話 噂の真実。その2

よし、今日は……誰もいない。

髪だけ気合いが入った状態で、人に見られるのは恥ずかしい。

白のポロシャツに紺のプリーツスカート、某メーカーの黒のラインがある白のスニーカーと黒の日傘。

そう、まるで学生かと思ってしまう様な服装……。

後ろから見れば……だけど。


「あら、由樹ちゃんおはよう。早いのね?」


突然目の前から走ってきた女性に、声をかけられた。

日差し避けの為か、深めにサンバイザーを被っていて誰か分からない。


「えっ……。あ、先輩?おはようございます」


前に働いていた職場の佐枝子先輩。

事務服でもスタイルを強調していたけど、ジョギングする服装もカラフルな上、いつも以上に露出度が高くて目のやり場に困る。


「散歩かしら?髪型も随分と可愛らしくなって……。まさか、男でも出来たの?」

「……いいえ」


何だかトゲがあるような口調。

不機嫌な時に話すと、いつもこうだった。


「そう?それなら良いんだけど」


えっ……。

今のどういう意味?


「おい、佐枝子そこで何をやってるんだ?」

「ううん、何でもないわ。じゃあね、由樹ちゃん頑張って仕事探しなさい」


私の背後から現れた車に乗り込み、佐枝子先輩はその場から去っていった。

一体、何だったの?

それに、もう仕事してるのに。

この格好じゃそうは見えないかもしれないけど、いくら仲が良かったからって失礼じゃない?


「あぁ、もう何なのよぉ~!」


私の心は、行き場のない怒りでモヤモヤとしてしまった。



「……朝から煩いぞ」


え……。

見られていなかったと思ったのに、背後から恐ろしい視線を感じますが?

よし、気のせいと言うことで歩こうかな。

私は気を取り直して、店までズンズンと歩く。

でも、恐いから後ろは振り返らずに。

その後もズンズンズンズンと歩き、何事も起きない。

やっぱり、気のせいだったみたい。

怒りのせいで、変な声まで聞いちゃって疲れが出てるのかな。

そう思っていた……。


「お前、俺を無視するなんていい度胸してるじゃないか」

「ギャー、出たっ!」


背後から肩を掴まれ、恐ろしく低い声が耳元に響いていた。


「お前っ、俺を変質者扱いするな。こんな所で大声出したら通報されるぞ」

「んぐっ……!」


今度は、私の口を大きな手で押さえ付けられてしまった。

そしてそのままクルリと体を回され、かなり不機嫌な恐ろしい目をした男性と、対面してしまうのでした。

やっぱり気のせいじゃなく、鬼の蓮斗さんが目の前に立っていました。


「はぁ……。朝から余計な体力使わせるな。黙って俺の車に乗れ」


ここで抵抗してはいけないと思い、黙って首を縦に振って頷いてみた。

そして助手席のドアから車に乗り込むと、蓮斗さんは車を走らせた。


最近知ったけど、蓮斗さんは早朝から市場に出掛けて、店で使う食材を自ら選んで仕入れをしているんだって。

だから、この道で拾われることが多かったんだけど……。


「蓮斗さん、今日は帰りが早いんですね?」


私がいつも出る時間よりは、30分早いから。


「……道が空いていたからだ」


あ、なるほど。

だから偶然出くわしちゃったと。

と言うことは、まさか佐枝子先輩との事を見られてた!?


「……あの、もしかして、さっきのやり取り見てました?」

「あぁ……。そこの路肩で停めて寝ていたら、朝からキンキン煩いのが聞こえていたな。お陰で、目覚めが悪い」


……え"。

だから、こんなに不機嫌なのですか?

私のせいじゃ無いのに……。

あぁ……最悪だ。


「蓮斗さん、ごめんなさい」


とりあえず、謝っておいた方が良いよね?

今から仕事なのに、このままじゃ雷がいくつ落ちるか分からないし。


「何故、お前が謝る?お前は悪くないだろ。あぁ……俺を変質者扱いしたことか。それについては、後で俺が良いことしてやる。楽しみにしていろ」


ギャー!嫌です!

蓮斗さんのそのニヤリと微笑むその顔だけで、もう十分です!

蓮斗様、どうか勘弁してください!

だけど私の祈りは通じることはなく、その時までのカウントダウンが刻々と進んでいるのでした。


「わぁ~!やっぱり可愛いなぁ~」

「あ、あの……光さん?」


予想通り光さんに弄られまくっております。

出勤早々光さんによって家の方に引き戻され、私のユニフォーム姿をまじまじと見ている。

そしてユニフォームの裾を捲るではなく、新たに沢山のリボンを縫い付けていた。


「そうそう、このパニエも履いてね?俺の好みで丈を短くしたけどさ、もっともっと可愛く見せたいし」


と、変な言い訳をしている。


「あ……はい、ありがとうございます」


一応有り難く受け取りましたが、どれに対してのお礼なのか、分からなくなりました。


「だってさ、由樹ちゃん可愛すぎるから!……っ、い、痛い!」

「光、いい加減にしろ!コイツを解放してやれ」


あ、光さんが蓮斗さんに強制連行されました。

今日は肩を掴まれて、かなり痛そう。

ふぅ、お陰で助かりました……。


「由樹さん、早く着替えておいで。そろそろミーティングが始まるよ」

「はい!」


私は脱衣所で渡されたパニエを履くと、急いで店に入った。


「やっと来たか……。今からミーティングを始める。皆も知って通り、今日から由樹がホールに入る。簡単に説明はしたが、コイツの事だから何か仕出かすと思う。フォローを頼む」

「「はい」」

「……迷惑かけないように、頑張ります」


……う、痛い一言をありがとうございます。


ミーティングの後、いつも通りの笑顔でね?と、琉斗さんの言葉をもらった。

接客業だから、笑顔で……ですね!

後は運んだ食事に気を付けて、お皿を割らないように。

あぁ~!

色々と気を付けることがいっぱいだ。


こうして、ホールでの初仕事が始まった。

今日は平日ということもあり、出だしは緩やか。

特にミスもなく、ホールに出ている光さんや琉斗さんにフォローされつつ、仕事をこなしていた。

時々、私の姿に気付いたお客様が声をかけてきてくれたり、一緒に写真を撮ってくれませんか?と言ってきたりしたけど。

こういう時、どう対処のしたら良いんだろう?

今までにこういう経験が無いし、仕事中に写真だなんてしてはいけない気がする。


「申し訳ありません。うちの娘は恥ずかしがり屋さんなので、写真はお断りしているんです」


琉斗さんが私の様子に気付いてくれて、笑顔で対応してくれた。


「あ……いいえ、ごちらこそごめんなさい」


王子様スマイルで対応を受けたお客様は、惚けてしまって瞳をうるうるさせていた。

……うん、その気持ち解ります。


「琉斗さん、ありがとうございました……」

「ううん、大丈夫だよ。断るのは簡単だけど、気を悪くさせちゃいけないから、接客業は大変だよね」


あぁ……別な意味で迷惑をかけちゃった。


「はい、次はちゃんと断れるように頑張ります」


忙しい時間じゃなかったから大丈夫だったけど、土日のランチ時間だったら、一人で慌てていたと思うし。


「おい、そんなことは琉斗がやるから大丈夫だ。それより、お前は仕事をこなすことに専念しろ」


厨房で聞いていたらしい蓮斗さんが顔を出してきて、私に檄を飛ばしていた。


「……という訳だから、由樹さんは慣れるまで笑顔で料理を運ぶことに専念しようね?」

「えっ……。はい、わかりました」


ホールは花形に見えるけど、色々と大変な面の方が多かったんだ……。


「……ん?俺の顔に何か付いてる?」


あ……っと、考え事しながら、ちょうどホールから戻ってきた光さんの顔を見てたみたい。


「あ、いいえ。光さんも琉斗さんも、笑顔でこなしているのが凄いなぁって思って」


そう?と不思議そうな顔をして、光さんはお昼を持って休憩に行ってしまった。


「私達が凄いのではなく、これも慣れですよ。だから、一緒に頑張りましょう」

「はい!」


琉斗さんに素敵な笑顔をもらい、少し落ち込んでいたのが嘘のように無くなっていった。

私の休憩まであと少し。

それまであと一踏ん張り、頑張ろう!



「由樹ちゃん、休憩行ってきて~」

「あ、はい」


14時……。

休憩から戻った光さんと入れ替わりで、休憩に入ることになった。


「一緒ですね」


琉斗さんも、同じ休憩時間だったみたい。

お昼をトレーに載せて、奥の家へ入っていった。


「お疲れ様」

「はい、琉斗さんもお疲れ様です」


先にリビングに来ていた琉斗さんは、何か飲む?と聞いてくれて、冷蔵庫から麦茶を取り出してくれた。


「うちの店の珈琲ってさすごく美味しいんだけど、休憩時間に飲んでしまうと、仕事に戻りたく無くなるんだよね」


だから、飲むのを我慢してるんだよ。と、笑って教えてくれた。


「そうですね。でも、仕事上がりに飲む方が特に美味しく感じませんか?」


私だけかな?

仕事中に飲むのって、忙しいから味わっている暇がないというか。

最初の一口は味を覚えているんだけど、その後は仕事に集中しているから、飲んでも覚えていないし。

だから、終わった後に飲んでじっくり味わって。

今日もお疲れ様、って自分にご褒美みたいな。


「そうだね。その方が終わった~!って感じはするね」

「あははっ、琉斗さんもそう思ってくれて嬉しいです」


眩しい王子様スマイルの琉斗さん。

こういう一面もあるんだな……。


「うーん。俺ってどう思われてるんだろ。こう見えて、普通なんだけど」


……あれ?

今……俺って。


「琉斗さんも、俺って言うんですね」


王子様キャラだと思ったのに、意外……。


「あ……。皆の前では、僕って言ってるんだけど……つい、油断しちゃった。皆には、内緒ね?」

「……はい」


琉斗さん……。

そのキラッキラな王子様スマイルで言われると、嫌とは言えません……。


「ありがとう。あっ、もう時間だから先に戻るね?由樹さん、待ってるね」

「はい、私もすぐ行きます!」


この時、時計は15時を告げていた……。


「お帰り」

「た、ただいま」


琉斗さんは、ホールに戻った私に声をかけてくれた。

先程より5割増しの笑顔、どうしたのでしょう?


「由樹、これ窓際のテーブルによろしく」

「はい」


陽毅さんに、オーダーされたデザートを渡され、指定されたテーブルに持っていった。


「お待たせいたしました」

「わぁ、美味しそう!」


お客様は、運ばれてきたデザートを見てとても喜んでいた。



その時……。


「ね、あの子メイド服なんて着て、凄いわよね?あんな事しないと、雇ってもらえなかったのよ」


と、すごく嫌な視線と悪意のある言葉が聞こえてきた。

間違いなく私の事だ。

でも、ここで余計な事を言うわけにはいかない。

だってここはお店で、お客様が寛ぐ場所であり、私達が働く神聖な場所。

だから、揉め事は起こしてはいけない。

ここは、グッと我慢してそのまま奥に戻ろうとした。


「でも、あの子可愛いよな?スタイルも良さそうだし……」

「ちょっと、私がいるのに何て事言うの!?あんな女の何処が良いのよ!」


うわぁ……修羅場だ。

早く立ち去らなくちゃ。


「佐枝子、俺はお前だけだって言ってるだろ?だからあの子を辞めさせたのに」


えっ……今、佐枝子って言った?

しかも、辞めさせたって……。

その言葉を聞いて、本当は見てはいけないと知っていても、そのお客間を確認したいという衝動に駆られ、私は振り返ってしまった。



あ……あれは、佐枝子さんと浅賀工場長……。

じゃ、今のって私の事だ。

私は佐枝子さんの我儘のせいで、あの会社を辞めさせられたの!?

酷い……。

確かに、佐枝子さんは我儘な人だった。

だけどそれは一時的なものだったし。

仕事上がりには、食事や飲みに行ったりして、仲が良かったのに……。

あれは、全て嘘だったっていう事!?

……私、こんな話を聞いてしまって、どうしていいか分からない。


「……由樹、こっちに来い」


蓮斗さんが私の様子を察し、ホールから奥に来るようにと指示をした。


「由樹?」


蓮斗さんが名前を呼んでしまった為、佐枝子さんが私の存在に気付いてしまった……。

しかも、凄く驚いている。


「伊藤さん!?」


工場長も、私が居るとは思わなかったみたいで……かなり動揺していた。

……どうしよう。

ここで奥に行く訳にはいかないよね。


「浅賀様、浜谷様、いらっしゃいませ」


琉斗さんになりきって、極上のスマイルで話し掛けてみる。

内心は泣きそうだし足は震えているけど、ここで取り乱したらこの場の雰囲気が壊れてしまう。

だからあえて何事もなかったかのように、対応をしなくては。


「あら、ここで働いていたのね?へぇ……そんな姿で男に媚びて、楽しそうね?それだから、彼氏も出来ないのよ」


「おい、佐枝子……」


……酷い。

朝は我慢したけど、ここは蓮斗さんのお店で他にもお客様が居るのに……。


「だって、本当の事じゃない?この子が常雄さんに色目を使わなければ、追い出される事も無かったのよ?」

「えっ……?」


色目って……。

私は、そんな事した覚えはない!


「あぁ、そうそう。お客様がお見栄になった時も、随分と仲が良さそうだったわね~?貴女に何人の男が居たのかしらね?」


確かに、浅賀工場長は私に頼み事を沢山してきたけど、それは仕事上の事だし。

お客様の対応だって、動かない佐枝子先輩の代わりに私が動くしか無かったのよ?

それが……色目ですって!?

人が仕事中で何も言えないからって言いたい放題。こんな酷い仕打ちを受けたら、私だってもう我慢の限界だ。


「あの!」


佐枝子先輩に言い返してやるんだと意気込み、大声を出して会話を遮った。


「何かしら?」


そう言われた瞬間、言葉が出なかった。

佐枝子先輩が、これでクビになるわねと喜んでいるように見えたから。

でもここで屈してしまうと、また何を噂されるかわからない。

皆さんに迷惑をかけてしまうのはわかっていた。

だから退くことは出来なかった。


もっとここで働きたかったな……。

皆さん、ごめんなさい。

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