蠍尾獅
夕陽が地平線の向こうへ消えた。空は晴れ、微かに星が瞬き始めている。
その空の彼方から、邪悪の化身がその翼をはためかせながら現れる。痩せて骨張った蝙蝠の様な翼、無数の棘に覆われた蠍の如き尾。ぼさぼさの白い
俺は草むらの中でゆっくりと姿勢を整えた。蠍尾獅の着地地点を予測し移動する。着地のタイミングで先制攻撃を仕掛けられればかなり優位に立てるだろう。
そう考えた瞬間、蠍尾獅が大きく羽ばたき再び空へと舞い上がる。どうやらバレたらしい。上空でゆっくりと旋回しながらも、その両眼はこちらを睨み付けているように感じる。たっぷり十分近くもこちらを見ながら旋回して値踏みしていたのだろう、夕食にふさわしいかどうかを。
空から赤黒い液体と肉片が降ってくる。小鬼の死体を解体して投下された。直後、蠍尾獅が空から降りてきた。
急降下。満点の殺意を込められた前脚を横っ飛びして回避する。素早く起き上がり、次の攻撃に備えようとしたが遅かった。尾を鞭のように使った叩き付け。意識の外から飛んできた攻撃。咄嗟に盾で防いだだけマシだろうが、それでも身体は数メートル吹き飛んだ。
老婆の顔の蠍尾獅はメス、オスよりも獰猛で大柄、尾の長さは最大で三メートルに達する。油断していた。猛毒を意識しすぎて圧倒的な体格差を忘れていた。
蠍尾獅がゆっくりとこちらに歩いてくる。嬲る様な視線、顔には嘲笑が浮かんでいる。楽しんでいるのだろう。許しを乞うてもいいぞと、そう言わんばかりの余裕。狩りをやめるつもりなど毛頭ないだろうに。
起き上がり、左腕に括り付けた
先に痺れを切らしたのは向こうだった。
先端の針で突き刺す様に尾を振り下ろしてくる。それに対し大きく踏み込み、懐に潜り込む。前脚と翼を切りつけ、また距離を取る。深く切り付ければ血液によってこちらの武器は溶かされてしまう。が、それを考慮してもあまりに浅い攻撃になってしまった。外皮は想像以上に硬く、あの程度では痛くも痒くもないだろう。
相手の武器は前脚と尾、そして牙。牙の無力化は難しいが、前脚と尾は深めの傷が一つあれば力を入れ辛くなるはず。振り下ろされる尾を避け、叩きつけられる前脚を躱す。十回でも二十回でも攻撃を避け続け、攻撃の隙を探す。
尾の突き刺し、右脚の引っ掻き。
——今だ。
振り抜かれた右脚の脇に走り込み逆袈裟の要領で剣を振り抜く。
まずは翼。
蠍尾獅の右翼を切り裂いた。
あの蝙蝠の様な細い翼は、そもそも飛ぶのに向かない。飛膜を裂いてしまえば満足に飛べない筈だ。蠍尾獅の血液が付着した剣はシュウシュウと音を立てているが、見る限りその役目を果たす能力はまだ失われていない様だ。
そしてまた蠍尾獅の猛攻が始まる。
叩きつけ、突き刺し、叩きつける。前脚と尾の絶え間ない連撃を避ける。避ける。避ける。
だめだ。攻撃の隙がない。いや、避ける動作に無駄が多いのか? さっきから必要以上に盾を構える動作を取っている気がする。確かにほぼ全ての攻撃が致命傷足り得るが、持久力では勝ち目はない。多少無理にでも攻撃するべきだろう。
繰り出される前脚を交わし続け、尾を狙う。尾の先から分泌される麻痺毒さえどうにかすれば、「切り札」がある。その為には尾を切り落とすなり、骨をへし折るなりするしかない。
相手の前脚の間合いを出て尻尾による攻撃を誘う。ゆらゆらと不規則に動いて相手の狙いをずらす。左腕の盾は構えない。両手で上段気味に剣を構え、ひたすらに待つ。
向かって右に逸れた尾の突き刺しに合わせるようにして右半身を引き、大上段から渾身の力で振り下ろす。
どっと血が噴き出し、蠍尾獅の叫びが夜空に轟く。元の長さの三分の二程の長さになった尾が、猛毒の血液を撒き散らしながらぐったりと後ろに下ろされる。
盾や鎧は奇跡的に無事だが剣は鍔の辺りで折れてしまった。値段の差だろうか。短剣よりも短くなった剣を逆手に持ち、体勢を整える。
蠍尾獅の顔からは笑みが消え、怒りも露わに咆哮する。飛び掛かってくる巨体を横っ飛びで躱し、起き上がりざま剣を投げ打つ。剣の残骸は蠍尾獅の頭の上を抜けて草むらに落ちた。それを見た蠍尾獅が笑みを浮かべ、元の余裕を取り戻す。
予想通り。蠍尾獅はまたしてもゆっくりとこちらに歩いてくる。その両眼を見据え後退りながら盾を構える。徐々に距離を詰めてくるのを待ち、呪文を唱える。
『家族の呪い、切れぬ縁、如何様にせよ逃れ得ぬ。〈
直後、蠍尾獅の後方から先程投げた剣の残骸や折れた切先が飛来する。それぞれが蠍尾獅の左翼と右肩に突き刺さり、切り裂き、貫通する。蠍尾獅は悲鳴を上げ蹲る。
勢いそのままに右手に向かって飛んでくる刃をすんでのところで躱し、腰帯に着けた薬瓶を兜の目庇に叩きつける。目穴から流れ込んできた肉の腐ったような刺激臭を放つ液体を飲み込み、吐き気をこらえながら切り札の呪文を唱える。
『獣の如く、血に飢え溺れよ。〈
刹那、ありもしない怒りで頭が沸き立ち、視界が狭くなる。身体中が燃えるように熱くなり、正面の忌々しい四つ足の化け物目掛けて走り出す。
苦し紛れに繰り出された左脚より速く懐に飛び込み、その醜悪な顔面に盾を叩きつける。二度三度と繰り返し殴りつけ、空いた右手を眼窩に突っ込み掻き混ぜる。頭が煮え立ちそうな程熱いので兜を脱ぎ去り、その兜をそのまま顔面に叩きつける。噛みつこうとしてくる口に兜を捻じ込み、引っ掻いてくる左脚を無視して、ひたすらに顔面を殴りつける。盾の尖った縁で執拗に抉る。
どちらの物とも知れぬ悲鳴が鳴り止む頃には鎧は歪み、兜はひしゃげ、両の腕は動かず、蠍尾獅は息絶えていた。
思ったよりも上手くいった。
思ったよりも失敗した。
反省すべき事はあるが、今はまず体力を回復させなければならない。雑嚢からやっとの思いで引っ張り出した緑色の水薬を飲み干し、ルイザを呼ぼうとした所で俺は意識を手放してしまった。
冒険者 石海 @NARU0040
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