第60話 岩見の願い
「吾郷くん、私たちの話なんて聞いてくれそうもありませんね。相楽くんがこんなに心配してるのに……」
「そうがっかりしないで。今は仕方ないよ」
香月さんはむうっと唇を尖らせて不服そうだ。
「弱っているところに気遣いされると、たとえ頭では相手の善意だと分かっていても煩わしく思うんだよ。俺もそうだった。母さんが死んだとき、『大丈夫か?』とか『君は悪くない』とかみんなから言われ、意味もなくカチンと来たよ。吾郷もおやじさんの病気と店の経営難でかなり参っているんだろう」
労りの言葉がひどく惨めに思えた。
傷ついた人に慰めの言葉をかけるというのは、実はすごく難しいことだ。
「感情的になってごめんなさい。相手の立場でしっかり考えられて、やっぱり相楽くんはすごい人です」
「そんなことないって。香月さんも僕を思って怒ってくれていたんだろ? ありがとう」
「ほら、そういうところです!」
香月さんはニコッと笑って俺の手を握ってくる。
「やっぱり大好きです、相楽くん」
「俺も大好きだよ」
「はぁ……白昼堂々よくやるね」
「え?」
目の前には呆れた顔をした岩見が立っていた。
「い、岩見!? なんでお前がここに!?」
「なんでって。吾郷さんのお店を人気店にするための調査に決まってるでしょ」
岩見はプイッと顔を背けて頬が赤くなるのを隠した。
「ありがとうございます、岩見さん」
「べ、べつに香月さんにお礼を言われることじゃないし。あの店は私も好きだからなくなってもらったら困るのっ」
「調査って具体的になにしてるんだ?」
「取り敢えず人の流れを見てた。駅の北側は賑わってるのに南側は寂れてきてるでしょ? 駅を降りた人はどういう導線なのかを確認してたわけ」
「なるほど。さすが岩見。それでどんな感じなんだ?」
「駅を降りて多くの人は北側のショッピングモールに向かうね。駅から出なくても高架で繋がってるし。南に行くのは住民とか病院にいく年配の人が多いかな」
そうして話しているうちに列車が到着したらしく、多くの人が改札にやって来る。
岩見の言う通り、若い人や買い物客らしき人は南口など見向きもせずにショッピングモールのある北口へと歩いていく。
「あーあ。この流れを南口に向かせる方法があったらなぁ」
「それは簡単じゃないだろうな。看板でも出せば多少は見るだろうけど、それにどれ程の効果があるか分からないし。そもそもそんな金銭的余裕もないからね」
「でもこれだけ人がいるってことは話題になれば来てくれる人も多いってことですよね」
香月さんはポジティブに捉えて行き交う人を眺めていた。
「そっちはどうなの? なんか新しい看板メニュー作るって言ってたけど」
「ワッフルをもとに考えているんだけど、なかなかいいアイデアがなくてね」
「あそこのワッフル美味しいもんね。着眼点は絶対いいと思う」
「だろ? でも『映える』とか『インパクト勝負』って考えても今一つなんだよなぁ」
「もういっそいまのままで、あとは知り合いのフォロワー多いインフルエンサーの友だちに宣伝してもらえば? 私にも知り合いに何人かいるし」
岩見はもどかしそうに先を急ぐことを言った。
「いや、それはどうかな? いくらそんな人の力を借りても写真にインパクトがなければサラーッと流れるだろうし。やはり見る人の心に刺さる『なにか』がなきゃ」
「そっか……」
「そうそう、『学割コーヒー』はいいアイデアだったよ。岩見が吾郷に提案したんだろ?」
「し、知ってるんだ?」
「ああ。おばさんが感謝してたぞ」
「な、ななななんて言ってたの、お母様は」
早くも『お母様』呼ばわりとは気の早いやつだ。
頭が切れて冷静沈着の癖に恋愛関係となるとポンコツになるようだ。
「そうだなぁ……頭がよくて気が利いてしっかりもので、その上美人。うちの嫁に来てくれないかなぁって言ってた」
「か、からかわないで! そんなこと……本当に言ってたの?」
「もう、駄目ですよ、相楽くん! なんで岩見さんにだけはそんなに意地悪なんですか?」
「そりゃ香月さんにひどいこと言ってたからね。あの恨みは簡単には消えないよ」
「あのことは謝ったでしょ! もう許してよね!」
岩見も反省しているみたいだし、本当はもうとっくに許している。
ただからかうと面白いからつい意地悪しているだけだ。
「おばさんは『息子はいい友だちを持った』って。そう感謝してたよ」
「いい友だちかぁ……うん」
岩見は満足げに微笑みながら頷く。
ひとまず『お母様』にいい印象を与えられて喜んでいるのだろう。
「あ、そういえばお母様はランチタイムのことも言ってた。平日のお昼は会社員の人がたくさん来て結構忙しいんだって」
「なるほど。平日の昼間こそ高校生では絶対に手伝えない時間帯だからな。そこもなんとかしないといけないな」
「そうだね。お父様が厨房にいた頃は素早くこなしていたらしいんだけど、お母様と吾郷さんの二人では大変みたい。提供に時間かかるから店の外で待つ人もいて、混んでるから他の店に行く人も少なくないらしいの。いわゆる機会損失ってやつ」
「機会損失?」
「うん。簡単に言うと得られるはずの利益が得られなかったこと。満席じゃなかったら注文頂いて利益が上がってたわけだから」
「なるほど」
「夕食と違い、お昼ごはんは明確に時間が決まっているからピークタイムの十二時から一時にしかお客さんは来ない。そこをいかにうまく回すかがポイントだと思う」
どうやら今回の件をきっかけに色々と飲食店や経営について勉強をしているらしい。
さすが岩見だ。
「行列が出来るなら付加価値がつくんじゃないでしょうか?」
「まあそうだけどお昼のお客さんが夜に来ることは少ないみたい。やはりランチは必要があってくるから、夜とは別みたい」
「店舗のキャパもあるしなぁ」
喫茶『ago』はテーブル三席とカウンター八人という小規模な店だ。
回転をよくしても昼時に捌ける客数も限られてしまう。
「人の流れにインパクトのあるメニューにランチ。解決しなきゃいけない問題はたくさんあるな」
高校生の俺たちに出来るのか、正直自信はない。
「私、空いてる時間でお手伝いしようかと思う」
「え? でも岩見は勉強が忙しいんだろ」
「きっちり入るアルバイトは無理だけど、お手伝い程度なら時間を見つけてやれる」
「大丈夫なのかよ?」
「外側から見ているだけだと分からないと思うの。だから内部に入って体験してみたい」
「だったら私もお手伝いします」
「こ、香月さんはだめ!」
空気を読まない香月さんの申し出に岩見が慌てる。
「なんでですか? 私、料理も好きですし」
「香月さんは相楽くんとメニュー開発やアイデアを練ってて」
「その方がいい。そもそも中退阻止を説得している俺たちを吾郷が受け入れるわけない」
「あ、それもそうですね」
なんとか思い止まらせることが出来て岩見はホッとしていた。
「香月さん、相楽くん。難しいことかもしれないけど、あの店を繁盛店にするメニュー、よろしくお願いします」
岩見はきゅっと口許を引き締めて俺に深々と頭を下げる。
「もちろんだ。任せてくれ。岩見も可能な限り吾郷をサポートしてくれるとありがたい」
「うん。わかった」
店を救うなんて俺たちに出来るのかわからない。
でも今はとにかく前を向いて出来るだけのことをやるしかなかった。
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