第59話 学割コーヒー

 喫茶『ago』の近くにあるコンビニから様子を窺っていると、二時過ぎに吾郷が店から出ていくのが見えた。

 昼の営業を終え休憩か買い出しにでも行ったのだろう。


「行こう」

「はい」


 その隙に俺たちはそそくさと喫茶店に入る。


「すいません。お昼の営業はもう終わっ──あら、あなたたちは」

「吾郷くんのクラスメイトの相楽と香月です」

「まあ、わざわざ。ごめんね、いまあの子出ていったばかりなの。すぐに呼ぶわね」


 スマホを操作しようとするおばさんを慌てて止める。


「いえ、今日はおばさんとお話がしたくてお邪魔しました」

「あら、私と?」

「はい。おばさんは吾郷が高校中退してこの店を本格的に手伝いたいって知ってるんですよね?」


 単刀直入に訊ねるとおばさんは困った顔をして頷く。


「私は絶対に高校を辞めるなって言ってるんですけど、あの子が聞かなくて」

「私たちも吾郷くんに帰ってきてもらいたいと思ってます」

「説得してもらえると嬉しいんだけど……なかなか難しいかもしれないわね」

「おじさんが入院してて大変なんだって聞きました」

「そうなの。正直一人で店を切り盛りするのは大変だけど、人を雇う余裕もないし。あの子が働いてくれて助かってるのは事実なの」


 おばさんの気持ちとしては中退して欲しくない。けれど本人の意思も固く、実際に頼りになっているということのようだ。


「俺たちもただ中退しないで欲しいと吾郷に伝えるつもりじゃありません。それでは絶対に説得できない。あいつは簡単な気持ちで中退するなんて言ってる訳じゃないと理解してます」

「そうね……あの子なりに考えた結果でしょうし。うちの店が繁盛してたら人を雇ったり出来るんだけど」

「実は正にそのことを俺たちも考えてまして」

「気持ちは嬉しいけど、繁盛店にするのは難しいわよ?」

「もちろんそうだと思います。でもこのお店はそれだけのポテンシャルがあると思います。お洒落で可愛い店内だし立地条件だって悪くはない。なによりコーヒーも料理も美味しいです」


 ただ時代の流れに取り残されている。マイナスポイントは失礼だから言葉にはしなかった。


「駅の反対側に大きなマンションが建ってね。私たちもこれで人が増えて繁盛するかもって思ったんだけど。あちら側ばかり再開発されて、むしろこちら側は人が減ってしまったのよ」

「なるほど」


 確かに駅からみてこちら側が裏口といった感じで寂れてしまっている。


「あの人の流れをこちらに向けられれば繁盛すると思うんだけど」

「そうですよね」


 目の前に魚群が来てるのにこちらの漁場にはやってこない。もどかしい思いだろう。


「勝手なことをして申し訳ないんですが、俺たちは新しいメニューを考えてます」

「まあ、そうなの?」


 おばさんは驚いて喜び半分戸惑い半分の顔をした。


「学園祭の模擬店とは違う。そんなに甘いものじゃないとは思います。だけど力になりたいんです」

「ありがとう。嬉しいわ。あの子も色々考えてくれているみたいなの。ほら」


 おばさんは壁を指差す。

 そこには『学割コーヒー 300円』の張り紙が貼られていた。

 前回お邪魔したときにはこんな張り紙はなかったはずだ。


「これは?」

「最近学生さんのお客さんが増えたの。どうやら常連の女の子が宣伝してくれたみたいで。でも学生さんはお金ないでしょ? だから学割コーヒーをあの子が思い付いたのよ」

「なるほど」


 せっかくつき始めた客を逃がさないための作戦なのだろう。


「でも普通500円以上するんですよね? こんな値段なら赤字なんじゃないですか?」

「私もそう思ったんだけど、大量に入荷すればそうでもないみたいなの。あの子がその常連の女の子と相談して考えたんですって」

「へぇ、そうなんですか」

「それにあの常連の女の子が言うにはうちの店はメニューが多いらしいのよ。ちょっと多すぎるくらいだって」


 おばさんは感心した様子で説明してくれた。

 ひとまず多すぎるメニューを見直し、在庫を減らしてロスを減らして売れるものを大量に入荷して安くする。

 さらに学生はお腹も空くから飲み物と共にフライドポテトなどのスナックで利益を上げようという作戦らしい。

 きっと岩見が吾郷に提案したのだろう。


「なるほど。いい案かもしれませんね」

「ひとまず主人が戻るまではメニューを絞ってやっていくつもりよ。あの常連の女の子といい、あなたたちといい、うちの息子もいいお友だちに恵まれたみたいね」


 うまくいくかどうかより、そんな交遊関係が出来たことを喜んでいる様子だった。


「新メニューもよろしくお願いします。とにかくやれるだけやってみなくちゃね」

「はい! 頑張ります!」

「おい、なにやってんだよ?」


 ドアが開き吾郷が戻ってきた。


「こら、龍生! お友だちになんて口の聞き方なの!」

「友だちじゃねーし。元クラスメイトだよ」

「元じゃない。お前はまだ中退してないだろ」

「うっせぇな。いいから帰れよ。こっちは仕事して疲れてるんだ。遊んでる学生とは違うんだ」

「龍生! いい加減にしなさい! 相楽くんと香月さんは──」

「いいんです、おばさん。取りあえず出直す。またな」


 吾郷は俺らの顔も見ない。

 話し合う気は毛頭ないようだ。


 おばさんに挨拶をして店を出た。



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