第56話 意外な人物

 吾郷は店をチラッと振り返り、ため息をついた。


「親父が入院したんだよ。それでお袋が代わりに厨房に立って。一応お袋は栄養士の免許持ってるし、料理の腕はあるからいいけど」

「それで吾郷がホールの手伝いをしてるって訳か」

「ああ。人を雇う余裕なんてないしな」

「それで退学するのか? それはいくらなんでも思いきりすぎだろ」


 気持ちは分からなくもないが、人生を左右することを決めるには早計すぎる気がする。


「親父はガンなんだよ」

「ガンですか!?」

「早期発見だから手術すれば死にはしねぇよ。でもしばらく入院するし、退院しても無理はできない。俺がさっさと一人前になって継がないと」

「そうなんだ」


 軽はずみな気持ちで退学したいわけではないというのは分かった。

 しかしそれでも他に道はないのかと考えてしまう。


「なにも退学することはないんじゃないのか? 学校行きながらでも出来る範囲でやってみるというのはどうなんだ?」

「そもそも俺ははじめから高校に行くつもりなんてなかったんだ。親父とお袋がどうしても行けって言うから仕方なく従っただけで」


 うちの高校はそれなりにレベルが高い。

 その高校に入れるだけの学力があるのだから両親は息子に期待していたのだろう。


「俺は中学出たらよその店で修行して、それからうちの店を継ぐつもりだったんだ」

「いい店だもんな」


 振り返ってガラス越しに店内を眺める。

 白い漆喰の壁に絵画が掛けられ、観葉植物を飾られた店内はヨーロッパの田舎町にありそうな慎ましい可愛らしさがあった。


「ありがと」


 この店を守りたいという吾郷の気持ちも分かる。

 でも高校一年で退学するというのも寂しい話だ。

 なんとか両立できる方法はないだろうか?


「えっ……なんで香月さんと相楽が?」


 驚いた声が聞こえ振り返って驚く。


「い、岩見」


 そこに立っていたのは夏休みに香月さんに模試勝負を挑んで破れた岩見だった。


「岩見さん。どうしたんですか?」

「ど、どどどうしたって……私はここの常連なの! 香月さんこそなんでここに!?」


 岩見は俺たちと吾郷をチラチラと何度も見る。


「ほら、お前ら、商売の邪魔だから帰れよ」

「お、おう……」


 そう言われたらひとまず退散するしかない。


「いつものでいい?」

「あ、はい……」


 岩見は俺に向けていたのとはまるで違う、乙女的な表情で頷いて吾郷と店に入っていった。



「私はダメですね……」


 帰り道、しょんぼりと香月さんは呟く。


「仕方ないって。本人が固い意思なんだからそんな簡単に説得なんて出来ないよ」

「ううん。そうじゃありません。吾郷くんにどんな事情があるかなんてなにも考えずに、ただ自主退学を思い直して欲しいって思って説得に向かってました」

「まあ、それこそ分からなかったんだし、仕方ないだろ?」

「それだけじゃありません。理由を聞いてからも、なんとか学校に戻って欲しいってことばっかり考えてました」


 香月さんは曇った表情のまま、自虐的に笑う。


「でも相楽くんは違いました。吾郷くんの苦しみを理解して、寄り添おうとしてました。それに余裕がなかった私と違い、あのお店が素敵だということも吾郷くんに伝えてて、すごいなと思いました」

「純粋にそう思っただけだよ」

「相楽くんは他人の苦しみや辛さを他人事と思わずに考えられる優しい心の持ち主なんです」


 やたら誉められてなんだか照れくさい。


「それにしてもいきなり岩見が現れたのは驚いたな」

「私もです。岩見さん、吾郷くんのお店の常連さんだったんですね」

「岩見に話を聞いてみよう。あの店のこととか分かるかもしれない」

「そうですね。お店のことを理解することが問題解決の第一歩になる気がします」



 ────

 ──



 翌日。

 さっそく岩見に近くのファストフード店へ来てもらい、二人で話を聞くことにした。


「悪いな、忙しいのに来てもらって」

「話ってなんなの? 私、忙しいんだけれど」


 岩見はなんだか恥ずかしそうでつっけんどんな態度だった。


「昨日の喫茶店について訊きたいの」

「は、話すことなんて別にないし。ただの常連なんだから……」

「実は店員のあいつ、俺たちの同級生なんだ」

「えっ!? ウソ!? あの人、高校一年生なの!? 大学生だと思ってた」

「吾郷は少し大人っぽい雰囲気だよな。私服でエプロンをつけていれば確かに年上に見える」

「あ、吾郷さんは学校ではどんな感じなの!? 友だちとか多そう。やっぱりみんなの人気者? か、か彼女とかいるの?」


 興奮気味で矢継ぎ早に訊いてくる。


「えっ……? もしかして岩見って吾郷のこと好きなの?」

「ち、ちち違うしっ!」


 ボフッと顔を真っ赤にして俯く。

 実に分かりやすいリアクションだ。


「そういえば岩見さん、相楽くんよりカッコいい人見つけたとか言ってましたよね?」

「だ、だから違うってば!」

「わかったわかった。岩見は吾郷が好きだから喫茶店に通ってる訳じゃない。これでいいんだな?」

「なんか言い方に引っ掛かるんですけど」


 岩見は照れくさそうに唇を尖らせて斜め下に視線を落とす。

 恋をすると岩見みたいな奴でも可愛らしくなるらしい。

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