第54話 アフターケア

 体育祭の翌日。

 約束通り香月さんはマッサージをするため俺の部屋にやって来た。


「やあ、おはよう」

「おはようございます」

「ん? どうしたの? なんか浮かない顔してるね?」

「実は昨日ちょっと頑張りすぎて筋肉痛なんです。すいません」

「ははは。そのためにマッサージするんだろ。なんのためにすると思ってるの?」

「そ、そっか、そうですよね。ははは……」


 思わず笑ってしまう。

 香月さんは相変わらず時おり天然だ。


 今日の香月さんはハイウエストの黒のロングスカートと白い無地のTシャツという服装だった。

 なにを着ても似合う香月さんだが、いつもより少し大人っぽいファッションにドキドキしてしまう。

 いつもは眉にかかっている前髪も、今日は流しておでこを出すヘアスタイルにしていた。

 それもまた少し大人びていて似合っている。


「ほら、いつまでも玄関にいないで上がって」

「お邪魔します。あ、痛っ……」

「靴脱ぐ動作で痛いなんて重症かも。そんなに痛いならまずマッサージからにしようか」

「い、いきなりですか?」

「楽になるかもよ」

「そ、そうですね、じゃあ」


 香月さんには寝室で着替えてもらう。

 その間に俺はマットを引いてオイルの準備をした。


「お、お待たせしました……」

「じゃあこのマットに寝転がっ──」


 振り返ってビックリした。

 香月さんはフィットネスなどで着るブラトップにショートスパッツという格好だったからだ。

 バストラインやヒップラインがくっきりとしていて、目のやり場に困る。


「ず、ずいぶん肌色面積が覆い格好だね」

「こ、こここの方がやりやすいのかなって思いまして」

「い、いいんじゃない。似合ってるよ」

「ありがとうございます……」


 似合ってるとか似合ってないとかそういう問題じゃないのに、変なことを口走ってしまう。


 香月さんはペターッとマットに横たわる。

 こんな格好だからむにゅーっと身体が体重で押し潰されるのが分かる。


 いかんいかん。

 マッサージ前に邪念があるとうまくいかない。

 身体を痛めて困っている香月さんに失礼だ。


「オイルを塗っていくね。あらかじめオイルウォーマーで温めておいたから冷たくはないよ」

「はい。お願いします」


 オイルを手のひらに取り、全身に広げていく。

 白くてもちっとした香月さんの肌はオイルもよく馴染む。

 オイルの膜に覆われた香月さんの肌は艶々と輝いていて美しかった。


「足首からいくよ」

「ふぁい……」


 クッションに顔を埋めた香月さんは気の抜けた声で返事をする。


 血管の中を流れる血液を想像しながら、むにゅーっと指先で押す。

 まずは血流をよくして体内の老廃物を送り出すのが大切だ。

 足首からふくらはぎ、太ももへと這い上がっていく。


「ひゃふっ……」

「痛かった?」

「いえ……なんか身体が熱いような……」

「オイルの効果だね。血流がよくなればもっと熱くなっていくよ」

「もっとですか!? なんか怖いです」

「はは。大丈夫だよ」

「すごくどくどくするんですけど……」

「血行がよくなってるんだね。結構結構」


 渾身のマッサージジョークを披露したが、香月さんには無視された。

 恥っ……

 やはりマッサージは黙って黙々とするに限る。


 腰まで丹念にマッサージをしたあとは指圧だ。

 今度は逆に腰から太もも、ふくらはぎと下がっていく。

 マッサージと違い指圧は皮膚や血管より奥の筋肉を意識する。


 香月さんの筋肉は柔らかくてしなやかだ。

 腰骨と背骨の継ぎ目辺りをぷにっぷにっと圧す。


「はうっ……」

「この辺りが痛い?」

「はいっ……そこです。あうっ!? 」

「ごめんね。優しくするから堪えて」

「は、はひっ……我慢しますっ……ううっ……」


 強くなりすぎないように親指を押し込む。

 腰の次は臀部。

 今日はスパッツだからかたちも分かりやすくて助かる。


「そ、そこはお尻ですっ……お尻は痛くないですよぉ」

「前にも言っただろ。筋は繋がってるんだ。筋肉の集まる臀部はしっかりほぐさないと」

「あっ、あっ、あっ……ぴゃううっ!」


 かなり張っている。疲労が溜まっているのが親指から伝わってきた。

 恐らく昨日一日ではなく、これまでの練習の疲労が蓄積されているのだろう。


「ゆっくり長く圧すよ」

「さ、相楽くんのお好きなように……してください……」

「え? あ、うん」


 よく意味は分からないが、俺に任せるということだろう。

 それだけ信用されているということだ。


 親指をお尻の窪んだところに当て、ゆっくりと体重をかけていく。


「ひっ……」

「痛い?」


 香月さんはブルブルと強めに首を降った。

 身体がビクッビクッと震えている。


「我慢はダメだよ。よけい痛めるから」

「我慢なんかじゃありません。そのまま……お願いですからそのまま……体重を私に預けてください……」

「わかった」


 ぐぐーっと体重を親指に乗せていき、柔らかな香月さんの臀部に沈んでいく。


「ああっ……あっ……ぴゃうううっ!」


 香月さんはクッションを顔に押し付け、細く長い声をあげた。

 大丈夫。力は入れすぎてないはずだ。

 香月さんはちょっとリアクションが大きいというのはこれまでの経験で知っている。


 とはいえ少し心配なのでゆっくりと力を抜いていく。

 香月さんはひゅくんっひゅくんっと震えていた。


「大丈夫?」

「ごめんなさい……そのっ……よだれが出てしまって、クッションを汚してしまいました」

「いいよ、そんなこと。気にしないで」


 髪を撫でると香月さんは恥ずかしそうにちょっとだけ顔を上げる。

 確かに口許からツツーッと糸が引いていた。

 うるうるっとした瞳がなんだか艶かしい。


 いやいや、ダメだ!

 一瞬よぎった邪な思いを即座に振り払う。

 香月さんのお父さんと清く正しい交際をすることを約束したばかりだ。

 一時の感情で信頼を裏切るようなことはできない。


「よし、じゃあ次は太ももだね」

「はい……あ、やっぱりダメ!」

「へ?」

「ちょっ、ちょっとだけ待っててください!」


 香月さんは突然タオルケットを腰に巻き、そそくさと部屋を出ていった。

 なぜ今さら隠す必要があるのだろう?


「……お待たせしました」


 五分後、香月さんが戻ってくる。

 ブラトップの上半身はそのままだが、なぜか下半身はハーフパンツのジャージに着替えていた。


「え? 着替えたの?」

「つ、続きをお願いします」

「了解」


 きっとショートスパッツは恥ずかしかったのだろう。

 今更な気もするが、あまりそこをツッこむのも失礼なのでさらりと流した。



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