第36話 香月さんの過去

「すいませんでした。お恥ずかしいところをお見せして」

「だからなんで香月さんが謝るんだよ。悪いのはあいつだろ。あんなヤツの言うこと気にするなよ」

「悪く思わないで上げてください。岩見さんは中学時代の親友だったんです」

「親友!? あんな態度のヤツが!?」


 驚いて聞き返すと香月さんはこくんと頷く。


「もともと私たちはすごく仲がよかったんです。一緒の塾に通ったり、二人で勉強したり。いつも一緒にいました」

「それなのになんで? まさか一緒の高校に行こうって約束してたのに裏切ったからとかじゃないよね?」

「ええ。まぁ……」


 香月さんは表情を曇らせて頷く。


「実は岩見さんは片想いの男子がいたんです。仲がよかった私は恋の悩み的なことをたまに聞いてました。もっとも恋愛経験のない私なんかに相談されてもなんの解決にもならないんですけど……」


 香月さんは遠い日の記憶を静かに語る。


「ところがある日、突然その岩見さんが想いを寄せる男子から私が告白されてしまったんです」

「えっ……」

「もちろん私はその場ですぐに、はっきりとお断りしました。その後なぜか私がお断りしたことが噂で広まってしまい、岩見さんの耳にも入ってしまいました」

「それで仲が悪くなったの? 香月さんはなんにも悪くないし、関係ない話だろ?」

「それが原因なのかは分かりません。でも『なんで黙ってたの?』と詰め寄られまして。わざわざ言うようなことじゃないからと説明しても聞き入れてもらえなくて。それっきり口を利かなくなってしまったんです」

「なんだよ、それ。完全に八つ当たりだろ」


 恐らくすぐに伝えていたところで岩見は怒っただろう。

 理不尽な話に怒りが込み上げる。

 もしかすると香月さんが男子と一切関わらないというポリシーがあったのは、それが原因のひとつだったのかもしれない。


「それはそうと、あんな約束してよかったの? 全国統一模試なんて。香月さんが優秀なのは知ってるけど、向こうは進学校で予備校にまで通ってるんだし」

「それは構いません。もともと受ける予定だったんです」

「え? そうなんだ?」

「はい。父の意向でして。その成績次第で教育について口を挟むつもりなんだと思います」

「そうだったのか……ごめん。そうとは知らずあれこれ遊びに連れ回しちゃって」


 遊んでばかりいられない香月さんの事情を失念していた自分に腹が立った。


「相楽くんこそなんで謝るんですか。謝らないでください」

「いや、でも」

「大丈夫。ちゃんと毎日勉強してますから。むしろ相楽くんと出会う前より今の方がメリハリつけて勉強に集中できてます」


 香月さんは朗らかに胸を張る。


「それに今回の模試は逆手に取るつもりですから」

「どういうこと?」

「すごくいい点を取って父にアピールするんです。自由にやらせてもらったお陰で勉強に身が入って成績が上がったっていう」

「なるほど。それは確かに効きそうだね」

「でしょ? 結果さえ出れば父も認めます」


 とはいえ全国一斉模試で高得点を上げるなんて容易ではないはずだ。

 日本中に先ほどの岩見のような青春を勉学に捧げている人はごまんといるのだから。


「それにしても先ほどは少し岩見さんに言い過ぎました」

「言い過ぎてはいないだろ。まあガチギレしてて俺もちょっと焦ったけど」

「だって相楽くんと一緒にいることを『堕落』だなんていうんですもん。さすがにあれはカチンときちゃいました」

「すごい剣幕だったよ。俺は絶対に香月さんを怒らせないようにしようってビビっちゃったもん」

「ひどい! からかわないでください!」


 照れて怒る姿は、もちろん先ほどのような鋭い表情ではない。


「ところでさっき相楽くんなにか言おうとしてませんでしたか?」

「えっ……と、そうだっけ?」


 告白しようという決意はタイミングを逸してしまっている。

 しかもこのタイミングで言えば成功失敗に関わらず香月さんの模試勉強の邪魔になることは間違いない。


「あれ、なんだっけ? ごめん、忘れた。特に大切な話じゃなかったんだと思う」

「そうでしょうか? なんかものすごく大切な話だった気がします!」

「な、なんで?」

「だって相楽くん、すごく真剣な顔されてましたから」

「そ、そうなんだ?」


 緊張がもろに顔に出ていたのだろう。


「思い出したら教えてくださいね」

「お、おう。そうだな。あ、そうだ。香月さんがマッサージしてくれるって約束どうなったのかなって話かも」

「そうでした。そういえばそんな約束してましたね」


 なぜか香月さんは赤ら顔でモジモジする。

 散歩後、家に戻り約束通り香月さんがマッサージをしてくれることとなった。


「わぁ……相楽くんって結構筋肉すごいんですね」

「そうかな?」


 俺の背中に手を置いた香月さんは驚いていた。

 柔道していたからそれなりに筋力があるのだろう。


「ここを、こうすると……ほら、どうですか?」


 香月さんは肩甲骨を親指でグリグリしながら訊いてくる。


「気持ちいいよ」

「ほんとですか? じゃあここは?」


 急に背中からふくらはぎに移動して訊ねてきた。


「ちょっとくすぐったいかも」

「それだけですか?」

「それだけ?」

「ほら、なんというか、その……」

「ん?」


 香月さんは照れくさそうに口をモニュモニュさせている。


「身体の芯がほわぁーと熱くなるとか、頭がふにゃふにゃになるというか、脚をピーンって伸ばしたくなるというか、その……」

「え? そんなことにはならないけど?」

「そ、そうですか……」


 あせあせと香月さんはマッサージを続けた。


「へ、下手くそですいません……」

「ううん。上手だよ」


 自分に厳しい香月さんはマッサージが上手く出来ないことが歯痒いのだろう。

 まあ、脚がぴーんとか意味は分からないけど……


 細くて柔らかな指で圧されると擽ったくて気持ちいい。

 でもそんなことを言うと変態だと思われかねないので黙っておいた。



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