第33話 楽しい時間
ここはアトラクションに乗らなくても、パーク内を散歩しているだけで楽しい。
有名な映画のワンシーンに出てくるお店とか、映画の中でお姫様が落としたとされる化粧ポーチのオブジェとか、細かな仕掛けがそこかしこに隠されている。
また時おりマスコットキャラの着ぐるみなどとも遭遇し、香月さんは子どものようにはしゃいでいた。
「本当に精密に作り込まれた世界観ですよね」
「海外に来たみたいかと思えば、ファンタジーの世界に迷ったみたいなときもあるし。本当にすごいよな」
傾き始めた陽射しに照らされた眩しい景色を眺めて目を細める。
「あれなんて本当に泊まれるホテルみたいです」
「あー、あれは本当に泊まれるんだよ」
「えっ!? そうなんですか!? でもパーク内ですよ?」
「パーク内に泊まれるんだ。夢のようだろ?」
「そんな素敵なことが出来るなんて……」
香月さんは目を輝かせてホテルを見詰める。
窓の一つひとつに違う花の植木鉢が飾っており、スイスの山あいの街みたいだった。
まあ俺はスイスに行ったことはないのどけれど。
「パーク内に泊まれるなら夜中の人がいなくなった景色も見られんですね」
「もちろん。この季節なら朝はあのお城の上から朝日が昇って綺麗らしいよ」
「すごい! いいなぁ!」
「じゃあいつか泊まろう」
「えっ……!?」
香月さんが見る見るうちに顔を朱に染めて口をパクパクさせ、ようやく自分が失言したことに気がついた。
「あ、いや、そのっ……ホテルに泊まるって、そういう意味じゃなく……」
言い訳しようとして、よけい微妙な空気にしてしまう。
おたおたしていると香月さんがクスクスと笑い出した。
「大丈夫です。分かってますから。いつか泊まりましょうね」
「お、おう……」
香月さんはすくっと立ち上がり、ホテルの方へと歩いていく。
「ちょっ!? きょ、今日じゃないよ!?」
「分かってます。どんなところなのか、チラッと見てみようかなって」
「そ、そういうことか」
恥ずかしい早とちりをしてしまい、身体から汗が吹き出す。
日の傾きと共に来園者たちは夜のパレードに向けて場所取りを始めていた。
パレード開始までまだ二時間もあるのに、既に大通りなどは人で埋まっている。
しかし俺たちは場所取りをしていなかった。
理由は簡単で、その時間までパークにいられないからだ。
パレードが行われるのは夜。
そんな時間までいたら帰りが遅くなるからだ。
香月さんはお母さんから自由を許されたとはいえ、当然門限はある。
タイムリミットが近づくにつれ、香月さんの表情は沈んで口数も減ってきていた。
「最後はお土産を買って帰ろうか?」
「……はい」
「そんなに沈まないでよ。また来たらいいだろ」
「そうですけど……なんか寂しいです」
言葉に出来ない寂寥感は分からなくもない。
テーマパークから帰るときというのは、言い様のない独特な寂しさに包まれるものだ。
「じゃあさ、香月さん。明日も遊ぼう」
「え?」
「テーマパークには来られないけど、明日も二人で遊ぼうよ。次の日も楽しみがあれば寂しくないだろ?」
「はい! そうしましょう!」
いつもの楽しみを先に見いだす提案をすると、香月さんはニコッと微笑んで頷いた。
それにしてもなんだか今日の香月さんはいつもより親しげに感じる。
一緒に俺の地元に行き、これまでより新密度が上がったからなのだろうか?
「じゃあなにするか考えながら帰ろう」
「いいですね! それなら帰り道も楽しみです!」
俺たちのようにパレード前に帰る人も多いのか、お土産もの屋さんも多くの人がいる。
ヨーロッパの老舗の雑貨店みたいな煌びやかで愛らしい店内に並べられた商品は、どれも特別な逸品に見えてくる。
実際売られているものはタオル一枚とっても細かな刺繍やリバーシブル仕様などで芸が細かい。
ただ高いだけでなく、それに見合うクオリティーがあった。
ぬいぐるみもここでしか買えない特別な衣装を着ているし、男子の好奇心を擽る銃やテンガロンハットもある。
家に持ち帰れば特に使い道もないのだろうけど、この場で見るとなぜだか欲しくなってしまうものばかりだ。
お土産を購入してから帰りの電車に乗る。
遠ざかっていく夢の国を二人で眺めていた。
大きな川に架かる橋を渡り、海沿いにカーブしていくとパークはもう見えなくなっていた。
「明日なんですけど、相楽くんのおうちでもいいですか?」
「うち? いいけど?」
「ゲームしてみたいんです。ありますよね?」
「あるけど。そんなのでいいの?」
「はい!」
我が家にゲーム機はあるけれど香月さんとしたことはなかった。
「ゲームしたり、映画のDVD観たり、あ、あとマッサージしていて頂いたり……」
「マッサージ?」
「きょ、今日たくさん歩いたんで、明日脚が痛くなる予定なんですっ」
「脚が痛くなる予定って。面白いこと言うね。よし分かった。じゃあ家でまったり過ごそう」
香月さんと二人なら、それはそれで楽しそうだ。
「私もマッサージさせてもらいますね」
「香月さんが? ありがとう」
「ビデオは二人で借りに行きましょうね」
「もちろん。お菓子も買わないとな」
「それも二人で選ぶんですよ。先に買わないでくださいね」
「分かってるって」
先に楽しみがあると今の寂しさも忘れられる。
この先にいろんな不安があっても、それを越えられる楽しみを思っていればきっと大丈夫だ。
そんなことを思いながら夏の夕暮れの景色を眺めていた。
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