第31話 絶叫マシーン

 テーマパークに遊びに行こうと誘ったのは八月も上旬を過ぎてからだ。

 香月さんは二つ返事でオッケーしてくれ、今日こうして二人でやって来ていた。

 入場ゲートを潜ると華やかなメルヘンの世界が広がっていて、香月さんは目を輝かせていた。


「まず最初になに乗りますか?」


 香月さんはワクワクしながら園内マップを広げていた。


「そうだなぁ。激流スプラッシュもいいけど、炭鉱ジェットコースターも捨てがたいな」

「い、いきなり激しいのを選びますね」

「もしかして絶叫系苦手?」


 少しからかうように訊ねると、香月さんはむぅっと口許を歪ませる。


「苦手じゃないです! 激流スプラッシュにしましょう」

「ウソだって。最初はメリーゴーランドあたりにしよう」

「いいえ。さあ、行きましょう!」


 意地になったのか香月さんは激流スプラッシュに向かっていってしまう。

 いかだ型のライドに乗って激流を進み、最後は高所から一気に落下するアトラクションだ。

 落下していく人たちの悲鳴を聞き、香月さんはたじろぐ。


「本当に大丈夫なの?」

「これくらい余裕です!」


 順番が近付くにつれ香月さんはそわそわしだし、次第に口数も減っていった。

 水路を進むアトラクションなので並ぶ列の辺りまで水気を孕んだ空気の香りが漂っている。


「やっぱりやめておく?」

「ここまで来てそれはないです」

「そう?」


 遂に俺たちの番になりライドに乗り込む。

 座席は拭いているがびしょ濡れの機体を見ればその激しさが伝わってくる。


 シートベルトを締めるとガタガタっと振動して一気に加速した。


「ふひゃっ!?」


 香月さんは前方の手すりを掴んで身体を竦めた。

 最初からこれでは先が思いやられる。

 右へ左へガタガタと揺れ、時おり小さく落ちて水しぶきをあげる。

 コースに設置された人形たちがなにやら物語を繰り広げているが、香月さんはそれを見る余裕がなさそうだ。


 やがてライドは急激な登り坂に差し掛かり、カタカタと不穏な音を立てながら上っていく。

 高いところまで上って一気に落ちるクライマックスだ。

 コース前方の坂の頂上からは陽の光が差し込んでいて眩しい。


「い、いよいよですね」

「しっかり掴まってて」

「はいっ……」


 一気に滑り落ちてものすごい水しぶきが上がるラストは、このテーマパークでも屈指の爽快感を誇る。


 頂上まで到達すると坂の下が見える。

 そんなことはないのだろうが、ここから見ると垂直に落ちるかのようだった。


 フワッと重力が消え、墜落するように落ちていく。


「ふひゃああああっ!」

「うおっ!?」


 香月さんは手すりでなく俺の腕にしがみつく。

 物凄い風と細かな水しぶきで息ができない。

 わずか数秒がやたら長く感じる。


 ザブーンッ


 水の抵抗がブレーキ代わりなのだろう。

 勢いで辺りに水が飛び散る。

 もちろん服もびしょ濡れだ。


「スゲーな、これ!」


 真夏だから濡れても気持ちいいくらいだ。


「どうだった?」


 香月さんは俺の腕にしがみついたまま、魂が抜けて放心状態になっていた。

 濡れた前髪からポタッポタッと水が滴っている。


「だ、大丈夫?」

「こ、怖かったです……想像以上でした…」


 結局そのままの姿勢でゴールまで辿り着く。


「立てる?」

「一人だと、ちょっと無理かも、です」


 肩を貸して降りて、そのままベンチへと向かう。

 濡れたことだし、しばらく座って乾かすのもいいかもしれない。

 そういえばはじめて会話したあの雨の日も、こうして肩を貸して歩いたことを思い出した。

 あの出会いから数ヵ月。

 まさかここまで仲良くなるなんて思ってもみなかった。


「すいません。お恥ずかしいところをお見せして」

「いや。あれはしかたないよ。俺もかなり怖かったし」


 濡れた身体を真夏の陽射しがみるみる乾かしていく。

 寒さも暑さもなく、むしろ心地いいくらいだ。


「もう平気なんで次に行きましょう」

「慌てなくていい。落ち着くまでゆっくりして」

「せっかく遊びに来たのにもったいないですよ」

「ううん。こうしてのんびりするのもリラックス出来て悪くない」

「そうですね」


 香月さんは柔らかく微笑んで辺りを見回す。

 のんびりとしたアメリカの自然を再現した景色は、作り物とは思えないほど雰囲気が醸し出されていた。

 微かに聴こえるカントリーミュージックも、牧歌的で心が安らぐ。


「なんか夢みたい」

「夢?」

「はい。毎日勉強ばかりで、夏休みもあまり遊んだことなかったんです。テストが終わってもまたすぐ次のテスト。休まるときなんてなかったですから」

「それは大変だね」

「それが当たり前だと思っていたから、別に大変だとか辛いとかは思わなかったんですけど。でも楽しいって思うことはほとんどなかったです」


 香月さんは僕の顔を見てニコッと微笑む。


「相楽くんのおかげで楽しく生きることを知れました。ありがとうございます」

「いや、お礼をいうのは俺の方だ。香月さんのおかげで心が軽くなった」

「心が軽く?」

「俺はずっと母さんのことで心が重かった。どんなに楽しいことがあっても心から喜べなかった。いや、喜んじゃいけないって思っていたんだ」


 香月さんは静かに俺の顔を見詰めていた。


「もちろん天国の母さんがそんなことを望んでいないことくらい分かっていた。それでも俺は俺自身が許せなくて、ずっと自分を戒めてきた。でも香月さんとこうして仲良くなってから、次第にそんな気持ちが薄れてきたんだ」

「そうだったんですか」

「自然と笑えるようになれたのは、香月さんのおかげだ。本当にありがとう」

「お互いいい方向へと向かえたんですね。よかったです」


 香月さんが空を見上げ、つられるように俺もその視線の先を追った。

 真夏の空は空は目が痛くなるほど青い。


「なんかいい匂い……」

「ポップコーンだな。近くにワゴンがあるのかもしれない」

「わー! いいな。買いましょう!」

「よし、行くか!」


 香りに釣られた俺たちは、競うように立ち上がった。


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