第26話 帰郷
電車から降りると夏の熱気がむわっと襲いかかってくる。
辺りの木々からは競うようなセミの合唱が聞こえていた。
「わぁ! 素敵なところですね!」
冷房で冷えた身体を温めるように香月さんは両手をぐんっと突き上げて伸びをする。
「なんにもないけどね」
「あるじゃないですか。山も、川も、緑も、セミも。たくさんの生命に囲まれてます」
僕たち以外に降車した人はおらず燦々と輝く陽を浴びたホームは、陽気さと寂しさを同居させている。
僕たちを乗せていた電車は既に遠く、夏の熱気で揺らめいて見えた。
「さあ行こうか。父さんと春花が迎えに来てくれているはずだ」
「はい。ちょっと緊張しますね」
「そんな大層なものじゃないからリラックスして」
「手を繋ぎますか?」
「え!?」
「だって恋人なんですよ? それくらいしていた方が自然じゃないですか?」
「そ、そうだね」
芝居ということにかこつけて香月さんの手を握る。
なんだか俺まで緊張してきた。
でもそれは母さんの死から逃げた土地へ戻ってきたという緊張とはまるで違う、なんだか擽ったくなる類いの緊張感だった。
改札を出るとすぐに父さんはこちらに気づいて手を振ってきた。
「おう、大樹! おかえり!」
「ただいま、父さん」
結局恥ずかしくなって見られる前に繋いだ手を離してしまう。
なんのための偽装手つなぎなのかわからない。
「はじめましてお父様。香月悠華と申します」
香月さんはすすっと父さんの前に歩み寄り、ぺこっとお辞儀する。
些細な動きだが隙のない丁寧な所作だった。
「え? 父さん?」
「お父様?」
父さんは目を大きく見開き、硬直していた。
「ね? 私が言った通りでしょ?」
春花が得意気に肘で父さんを突っつく。
「まさか大樹がこんな美人な彼女を連れて帰ってくるなんて……」
「び、美人だなんて、そんな……全然そんなんじゃないです、私なんて」
「そうか! 分かったぞ! お嬢さん、大樹になにか弱みを握られて脅されてるんだな! それで無理矢理彼女に」
「んなことするか! 父さんは俺をなんだと思ってんだよ!」
「こんな可愛い子と付き合えるなんて、それしか考えられないだろ! 犯罪まがいのことするなんて父さん悲しいぞ!」
父さんを喜ばせるつもりが怒りと悲しみを味わせてしまった。
やはり香月さんが彼女というのは無理があっただろうか。
「いえ、違います。私は相楽くんの真面目で優しいところに惹かれたんです。それにカッコいいし、その……マッサージも上手ですし……」
「え!?」
父さんと一緒に俺まで驚いてしまった。
いかんいかん。これは香月さんの演技だ。一緒に驚いてどうする、俺。
「ほら、いつまでもこんなとこにいたら暑いよ。早く帰ろ」
春花の一言でようやく俺たちは車に向かった。
家に着くまでの間、父さんは矢継ぎ早に香月さんに質問を浴びせる。
香月さんはそれに嫌な顔せずにこやかに答えていた。
さすがは香月さんだ。
「よし着いた。ここが我が家だ」
「ここで相楽くんが生まれ育ったんですね」
香月さんは偉人の生家でも見たかのように目を輝かせている。
そんな眼差しで見てもらうほどの立派なものでもないので照れくさい。
「ささ、入って!」
「お邪魔します」
「こっちだよ、香月さん!」
香月さんの荷物を持った春花が嬉々として案内している。
よっぽど香月さんがお気に入りなんだろう。
「まずはお母様に挨拶させてください」
香月さんがそう告げると、父さんはゆっくりと頷く。
「ありがとう。そうしてもらえると妻も喜ぶよ」
香月さんと並んで仏壇の前に座る。
久し振りに見る母さんは、当たり前だけど同じ笑みを写真立てからこちらへ向けてくれていた。
「母さん。大樹が彼女を連れてきたぞ。なんとこんなに可愛くてしっかり者なのに脅迫して付き合ったとかじゃないらしい」
「後半いらなくない?」
線香を立て、手を合わせる。
いつものように『俺のせいでごめん』と祈りそうになり、『ただいま』と心で念ずる。
香月さんは背筋をピシッと保ったまま、しばらく手を合わせて拝んでくれていた。
お参り後、父さんはすぐに雑談をしたがったが、香月さんが疲れているだろうからと二人で近所を散歩することにした。
「ごめんね。父さんテンション高くて。疲れたでしょ?」
「ううん。とても陽気で優しく、素敵なお父様です。うちの父にも見習って欲しいくらいです」
確かに厳格な香月さんのお父さんとうちの父親ではずいぶんと違うだろう。
でもどちらも我が子を思う気持ちは同じだ。
いつまでも立ち直れない俺を励まそうとする父さん。
娘の将来のためにしっかりと学ばせようとする香月さんの父さん。
どちらもその芯には温かくて優しい気持ちがある。
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