第23話 帰り道

 花火の後片付けを終え、自転車に跨がる。


「今日は楽しかったです。お誘いいただき、ありがとうございました」

「私も楽しかった。また遊ぼうね」

「はい! 喜んで!」


 陽祐と沖田さんに別れを告げ、家路につく。

 行きは下り坂が多かったので快適だったが、帰りは緩やかな上り坂が続く。

 少しキツそうにペダルを漕ぐ香月さんに合わせ、俺も緩やかに走った。


「花火、楽しかったですね!」

「それもう言うの四回目だよ?」

「だって楽しかったんですもん」


 少し拗ねた感じに口を尖らせる。

 名前も知らない夏の虫の声が騒がしく聞こえていた。


「それより疲れたんじゃない? 少し休もうか?」

「平気です……って言いたいところですけど正直疲れました。あそこの公園で休みましょう」


 香月さんの指差した公園まで移動してベンチに座る。

 近くにあった自販機でグレープフルーツの香りがする炭酸水を買って香月さんにも渡す。


「ありがとうございます」

「結構汗かいたね。喉乾いた」


 意外と炭酸がキツく、香月さんは少し噎せながらゆっくりと飲んでいた。


「上り坂が多いから疲れたんじゃない?」

「はい。運動不足ですね」

「脚、痛くない?」

「えっ……あ、は、はい。ちょっと……」

「マッサージしようか?」

「え? こ、ここでですか?」


 なぜか香月さんは恥ずかしそうに辺りをキョロキョロと見回す。


「そんながっつりしないよ。軽く揉みほぐす程度だし」

「そ、そうですね。最近してなかったですし……よろしければお願いします」


 伏し目がちにソッと脚を差し出してくる。

 コットン地のチノパン越しにふくらはぎを掴む。

 やわやわと揉み、強張りをほぐしていく。


「んっ……」

「痛かった?」

「いいえ。お気になさらず、そのまま……」


 ふくらはぎをモチモチと揉みつつ、時おり親指をググーッと沈める。


「はわっ……あぁ、んぅ……」


 香月さんは少し鼻にかかった吐息を漏らし、ベンチの手すりをぎゅっと握っていた。

 少し痛いのかもしれない。


「この辺にしておこうか?」

「だ、だめ……太ももも……お願いします」

「そう? 辛かったら言ってね」

「はい」


 大腿骨を沿うように指圧しながら、膝側から腰側へとゆっくりと進んでいった。


「ふ、ふとももは、こんな感じなんですね……」

「痛みとかある?」

「いいえ。気持ちいいです……ふくらはぎとはまた違った感じで……」


 香月さんは目元をとろんと弛緩させ、心地よさそうに微笑む。

 ちょっと顔が近くてドキッとする。


「そうだ。鼠径部そけいぶも圧してあげるよ」

「鼠径部?」


 視線から逃れるように香月さんの背後に回る。


「脚の付け根のやや上にある下腹部の下だよ」

「そ、そんなとこを?」

「上半身と下半身の繋ぎ目だから大切なんだよ」


 親指以外の四指を鼠径部に当て、ゆっくりと深く圧していく。


「ふひゃあっ! そ、鼠径部ってそこのことなんですか!?」

「痛い?」


 香月さんは頭をブンブンと振って答える。

 長い髪が顔に当たり、擽ったい。

 香月さんへの鼠径部のマッサージははじめてなので様子を見ながら慎重に行う。

 痛くはないようだが、顔を真っ赤にして息遣いに余裕がなくなってきていた。


「どう? 楽になる感じがする?」

「楽と言うか、切ないと言うか……も、もうっ……あっ……や、無理、かもっ……」

「無理? 香月さん?」


 香月さんは突然脚をピーンと伸ばし、背筋を反らせる。


「ごめっ……なさいっ……んうぅうっ!!」


 熱い息を吐き、天を仰ぐ。

 月を見上げるかぐや姫みたいにも見えた。

 でもそのままだと転びそうなので、背後の俺は慌てて抱き支えた。


「わっ!? 大丈夫!?」

「は、はひ……らいじょぶ……れす……」


 よほど疲れが溜まっているのだろう。

 だらんと脱力したまま力が入らない様子だった。


 しばらくすると香月さんはモゾモゾと動き出し、俺の支えから離れた。


「す、すいません……失礼しました。はしたないですよね……」

「いや。気にしないで。はしたなくなんかないよ。少し疲れてたんだね」

「は、はい。そうです。疲れていただけです。ほんとに。すいませんでした」


 そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに、香月さんは消えてしまいそうなほど身を縮めて頭を下げていた。


「さ、帰ろう。遅くなるとお母さんも心配するよ」

「あ、本当だ。もうこんな時間なんですね! 早く帰らないと!」


 再び自転車に跨がり、緩やかな坂を上っていく。


「あーあ。相楽くんはいいですね。一人暮らしだと帰りが遅くても怒られないし」

「家に帰ると誰かが待ってるっていうのも幸せだよ」

「そっか。そうですよね。一人暮らしも実家もいいところも悪いところもありますね」

「まあ家に帰ったら香月さんがいるって言うのが一番幸せだけどね」


 最後の一言は聞こえないくらい小さな声で呟いた。


「え? なんですか?」

「また遊ぼうねって言ったんだ」

「はい! また遊びましょう! 絶対ですよ!」


 なんだか気分が高揚し、大きく息を吸う。

 肺の隅々まで清々しくなる。

 少し急な坂に差し掛かり、俺たちは立ち漕ぎで加速していった。

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