第20話 よくあるハプニング

 てっぺんに到着するとさすがに俺もその高さに少しビビる。

 香月さんはもうほとんどなんにも喋らず青い顔をして視線を天井の方へと向けている。

 怖くて下を向くことすら出来ないのだろう。

 先に行っていた陽祐と沖田さんは既にチューブに乗って滑る準備をしていた。


「ちょ、陽祐くっつき過ぎ!」

「仕方ないだろ! こういうもんなんだって」


 赤い顔で罵り合いながら巨大な8の字型のチューブに跨がっている。

 それほど大きくないから後ろに座る陽祐の脚が沖田さんにかなり触れていた。


「行きます」と係員が声をかけて二人が乗ったチューブを押す。


 一瞬で消えていき、数秒後に「ひゃあー!」という悲鳴がトンネルから聞こえてきた。

 香月さんは不安げに僕の手をギュッと握ってきた。


「だ、大丈夫だよ、たぶん……」

「は、はい……」


 今さら引き返せない。

 俺が前に乗り、香月さんが後ろだ。


 香月さんは表情が固く、さっきからほとんど何も喋っていない。


「行きます」


 係員の人の声が聞こえ、グリップを握る。

 次の瞬間、猛スピードでスライダーが滑りはじめた。

 勢いよく滑るので飛沫が上がり、顔が濡れる。

 勢いと恐怖で少しの間、息ができなかった。


「きゃあああ!」


 大きく右に揺れ、香月さんが悲鳴を上げた。


「大丈夫?」

「怖いですっ! 大丈夫じゃありませんっ!」

「うわっ!?」


 右から左、そして急降下と続き、俺も焦った。

 香月さんの悲鳴はトンネルに細く高くこだまする。


「きゃっ!?」


 突如、香月さんからそれまでとは違った種類の悲鳴が聞こえた。


「どうしたの!?」

「み、見ないで! 振り返らないでください!」

「え?」

「み、水着が解けてしまいましたっ!」

「ええー!?」


 それはまずい。

 スライダーの終点はプールだ。

 遊泳区域ではないが、たくさんの人がいる。

 そんな中に水着がはだけた姿で突入させるわけにはいかない。


「ど、どっち? そ、その、上か、下か……」

「う、上です」

「よし、わかった。ゴールのプールに着いたら水に飛び込んで。俺が隠すから水中で何とか整えるんだ」

「は、はい!」


 スピードの恐怖はなくなり、もっと切実な恐怖で震える。

 急降下のあと、減速用の長い直線に差し掛かり、視界の先に出口の光が見えた。


「ゴールに出るぞ。左に傾けるから、飛び込んで」

「はい!」


 トンネルを抜け、ゴールに出た瞬間、チューブを傾ける。

 ぐらっと揺れた瞬間に香月さんが水に飛び込む。

 すぐさま俺もその後を追った。


 水中でアセアセと胸元を隠している。

 潜ってる間に水着をきちんと直すのは無理だろう。

 香月さんに覆い被さり、取りあえず隠せる体勢になるのを待ってから水面から顔を出した。


 幸いハプニングに気付いた様子の人はいなかったので、そのままそそくさとプールから上がった。


「どうしたの?」


 異変に気付いた沖田さんが訊ねてくる。


「ちょっとハプニングがあって」


 事情を説明し、沖田さんと香月さんは更衣室へと向かっていった。


「危機一髪だな」

「ああ。マジで焦った」

「いいなぁ、相楽は」

「バカ。そんないい思いしてないから。なんにも見えてないし」

「そうじゃなくて。香月さんのピンチを救って好感度アップじゃん」


 陽祐はふて腐れた様子でプールを眺めていた。


「陽祐だって沖田さんと仲良くしてただろ?」

「どこが? 喧嘩してばっかだし」

「そういうのが陽祐と沖田さんのコミュニケーションというか、親しみの表現なんじゃないの?」

「そんなのいらねーし。もっと普通にいちゃついた展開にしたいんだよ」


 俺から見たらよそよそしさがない二人の関係はある意味羨ましくもあるが、本人的には不服なようだ。


「まだチャンスはあるだろ。焦らず頑張れよ」

「いくら努力しても無駄な気がする。やっぱ沖田って脈ないのかな……」

「そんなことあるかよ。結構楽しそうにしてるぞ。諦めるな」

「そりゃ諦めはしないけど、なんか凹むな」



 水着を整えた香月さんが沖田さんと戻ってくる。


「すいません。お騒がせしました」

「無事でよかったね」

「はい。助けていただき、ありがとうございます」


 香月さんは感謝の表情で頭を下げる。


「そんな大したことはしてないよ」

「いえ。相楽さんがいなかったら、大変でした。感謝してます」


 丁寧なお礼になんだかくすぐったくなる。

 沖田さんはニヤニヤ笑いながらそんな僕たちを眺めていた。

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