第12話 未来の楽しみ
日に日に気温は上がっていき、夏が目の前まで近付いていた。
高校生活初めての夏休みを前にクラスの雰囲気は少し浮き足立っている。
香月さんをお祭りや花火に誘おうと狙っている男子は多く、実際誘った奴もいるらしい。
しかしその全ては即答で断られたとのことだ。
それを聞いてホッと安心すると共に、自分も誘えばあっさり断られるんじゃないかという恐怖心も芽生えていた。
そのせいでビビリな俺は未だに香月さんを誘えていない。
「そ、そろそろ夏休みだな」
リハビリ後に食事を作りながらさりげなく話題を振ってみる。
「そうですね……」
香月さんは浮かない声で返事をしてきて、ドキッとする。
遊びに誘われると警戒して用心しているのかもしれない。
「夏は苦手?」
「いいえ。とても好きなんです。ただ……」
香月さんは表情を曇らせて包丁を握る手を止めた。
「休みの前に期末テストがあるのが憂鬱なんです」
「テストが? 香月さん優秀なのに?」
「本番に弱いというか、緊張してしまうタイプなんです。だから不安で」
「本番って。期末テストは大切だけど、そんな人生を決める一発勝負じゃないんだし」
あまりにも深刻な顔をするのでついそんなことを言ってしまう。
「ええ。私もそう思うのですが、うちの父が厳しくて」
「お父さんが?」
「はい。学力テストは常に完璧かそれに近くないと納得しないんです」
香月さんは事情を説明してくれた。
彼女のお父さんは市役所に勤めており、それなりに重要なポストに就いているそうだ。
出身大学は誰でも知っている超一流の名門だ。
そんな父は一人娘の香月さんにも強い期待を抱いている。
どうやらそのプレッシャーが強すぎて余計に緊張に弱い性格になっているようだ。
本番に弱い香月さんは高校進学のプレッシャーに潰れ、身体を壊したそうだ。
それで父の望む志望校をやめ、うちの高校に進学したようだった。
納得していないお父さんは高校の試験は常にトップクラスじゃないと許さないと言われているらしい。
「それはなかなか大変だな」
「理想が高すぎる父で困ってます」
「でもテストって時の運もあるし、困るよね」
「ええ。そうなんです。だからすごく不安で……」
お父さん的には香月さんの将来を思ってのことなんだろうけど、なんだか少し可哀想な気もする。
「もし試験の成績が悪ければ自由な時間は奪われると思います。家庭教師に予備校などを詰め込まれ、なんにも出来ない毎日に逆戻りです」
「逆戻り? もしかして中学の時はそんな感じだったの?」
「はい。部活にも入れず、自由な時間もなく、ひたすら勉強でした。でも高校入学のとき、母が父に反発して自由に暮らすことを許してくれたんです」
「そうなんだ」
「母は父と違い、自由な人です。なんであんなに違う二人が結婚したのか謎なんですけど。今は昔の同僚と共同で花屋をしてます」
「へぇ……」
似た者夫婦のうちとはずいぶん違うようだ。
「あ、でも夫婦仲はいいんですよ。私に対する教育方針が違うだけで。これまでは父のやり方に従っていた母なんですけど、このままじゃ寂しい青春になるって。もっと自由に楽しみなさいって言ってくれたんです」
「その条件が優秀な成績の持続、ってわけなんだ」
「はい……」
それは確かに重要な問題だ。
気が滅入ってしまうのも分かる。
「今回の期末テストが終わってもテストはまたすぐにやって来ます。その都度緊張してしまうと思います。だから自由とはいえ、結局変わらないんです。ずっと先まで緊張が続くと思うと気が休まる時はなくて……」
「それは違うんじゃないか?」
悲観的になる香月さんが痛々しくて、つい強い口調で言ってしまった。
「確かにテストはずっと続く。けど今度のテストが終われば夏休みだろ。その間ずっと次のテストに怯えていても仕方なくない? せっかくお母さんが自由を与えてくれたんだから、楽しまなきゃ意味ないだろ」
「そうですけど……」
「そうだ。夏休みになったらお祭りに行こう」
「え?」
「次に来る苦難を考えてプレッシャーを感じるんじゃなくてさ。楽しみを考えて未来を楽しみにしよう」
「未来を楽しみに……」
そんなこと考えたこともなかったのか、香月さんは唖然とした顔で呟く。
「まあ俺とお祭りに行くなんて、さほど楽しい未来じゃないかもしれないけど」
「そんなことない! すっごく楽しみです!」
香月さんはニコッと笑って俺を見た。
心臓を直接掴まれたようにドクンっと震えた。
「楽しみですね!」
「よし! じゃあ試験、頑張ろう!」
「はい!」
大きく頷くと香月さんの長い髪がたゆんと揺れる。
予想外の展開だったけど夏休みの約束が出来た。
俺の胸は騒がしいほど脈打っていた。
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