第10話 香月さんの価値観

「こら、春花。香月さんが困ってるだろ。そんなにじろじろ見るな」

「はいはい」


 はぁとため息をついた春花はゆるゆると首を振った。


「こんな駄目な兄ですけどよろしくお願いします」

「そんな。私こそよろしくお願いします」


 香月さんはペコッと大きく頭を下げる。


「すいません。このマット、香月さんのために敷いてたのに私が使っちゃいました」

「いいですよ。せっかく妹さんが遊びに来られたんですから、ゆっくりしてください。私は帰りますんで」

「えー? そんなのだめ」

「でも」

「じゃあ三人でリハビリしようよ! 私も身体を整えるのに助かるし」

「なんで春花が勝手に決めるんだよ?」

「賛成です! そうしましょう、相楽くん!」

「まあ香月さんがいいならいいけれど……」


 嬉々として俺を見る香月さんを見て拒否はできなかった。


「じゃあ早速しよ。まずはマッサージからでしょ?」

「えっ、あ、うん。それはまぁ……いいかな……」


 乗り気だったくせに香月さんはやけに及び腰になる。


「しないの?」

「人に見られるのが恥ずかしいので……」

「そう? 別に大丈夫だよ。春花も痛がって声上げたりするし。あれに比べたら香月さんは全然大人しい方だから」

「でも……」

「いいから。ほら」


 渋る香月さんをマットに寝かせて指圧を始める。


「うん。だいぶ良くなってきたね」

「ふぁ、ふぁい……相楽くんのおかげです」

「この肩甲骨の辺りはまだ固いかな」

「んあっ!」

「痛い?」

「ッッ……」


 香月さんはなぜか答えず首をふるふると振った。

 わずかに見える耳が赤い。

 恐らく圧迫されて声が出しづらいんだろう。


「あっあっ……あぁっ……くぁ……はぅんっ!」


 鼻にかかる声を上げ、なぜだか腰をモゾモゾとさせている。

 春花はぽーっとした顔でそんな香月さんの様子を眺めていた。


「だ、だめ……そこ、肩甲骨ばっかり……いじわるです」

「え? あ、ごめん。意地悪ではないんだけど」


 背骨に沿ってゆっくりと指を腰の方へと下ろしていく。

 臀部は様々な大きい筋肉が集合している。

 足腰を支える重要な役割なのでしっかりほぐさなければいけない。


「ぴゃうぅ!」

「くすぐったい?」

「は、はい……ちょっとだけ」

「凝りすぎると擽ったく感じることがあるんだ」

「そ、そぉなんですね……ぞわって、なります……はわわっ! あうっ!」


 なるべく刺激が強すぎないよう、柔らかく優しく揉んでいく。


「だ、大丈夫ですか?」

「うん……」


 心配した様子の春花が声をかける。

 環跳かんちょうと呼ばれる臀部の筋肉の柔軟性を高めるツボを押す。


「かはっ……ああぁ……そこ、弱いです……んっ……力が抜けちゃう……」

「抜けていいんだよ。楽にして」

「でも、怖い……」

「心配しないで」

「はううっ! やっ……ぴゃああ! へ、変な声出ちゃいます! やだ、おねが……ああっ! ダメ……ダメなのっ! んひゃあ!」


 春花は顔を真っ赤にして部屋を出ていってしまった。

 恐らく香月さんの集中の邪魔になると判断してくれたのだろう。

 あいつも気が利くようになったものだ。


「はぐっ……う、ううっ、う……」

「力まないで」

「そ、そんなの無理ですっ……あぁ、ムリムリ無理っ……無理ですぅう!」

「香月さんっ!?」


 香月さんは急に背筋を反らし、歯を食い縛って天を仰いだ。


「ごめん! そんなに痛かった!?」

「ふへ……らいじょおぶれす……」


 先ほどの険しさから一転して香月さんは弛緩しきった顔で笑う。

 なんだか見てはいけない気がして慌てて目を反らす。


 臀部の筋肉を和らげる目的だったが、全身の筋肉が柔らかくなったかのようだ。

 香月さんは本当にマッサージの効果が現れやすい人だ。



 香月さんが落ち着いてから三人でウォーキングに出掛ける。

 美少女が好きな春花は香月さんにまとわりついていた。


「へぇ。香月さんって頭もいいんですね」

「全然ですよ。ただ授業を聞いて暗記しているだけ。応用とか効かないから頭がいい訳じゃないの」

「でも学年トップなんでしょ? すごい! 美人な上に頭も良くて性格もいい。お兄なんかとは釣り合いがとれないね!」

「悪かったな」

「び、びび美人なんかじゃないよ」


 香月さんは手をブンブン振って否定する。


「えー? きれいですよ! まさに正統派美少女って感じ」

「うちの学校にはおしゃれな子とか綺麗な人多いから。私なんか垢抜けない女子って感じですよね?」


 笑いながら同意を求められても頷けない。

 恐らく香月さんの価値観ではお洒落で華やかな人が美人なんだろう。

 それも一理あるが、香月さんの美少女具合は群を抜いている。

 着飾ったりメイクのテクニックはなくとも香月さんは一際輝いて見える存在だ。


「そうかな? 俺は香月さんが一番美人だと思うけど?」


 素直に答えると香月さんは顔を真っ赤にして呆然としてしまう。


「そ、そそういうの、反則です」

「そういうの?」

「なんでもありません!」


 香月さんは急に競歩みたいに早歩きになる。


「あ、ちょっ……速すぎるよ! 身体に負担かけたらリハビリの意味なくなるから!」


 慌てて追いかけるとニタニタと笑う春花もあとを追いかけてきた。

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