第8話 聞き耳
お粥のあとはキウイも剥いてくれる。
お見舞いの果物にキウイ? と思ったが、初夏の今頃が旬で栄養素的にも風邪を引いているときには向いているらしい。
「ありがとう。食べたらなんか元気が出てきたかも」
「まだ無理しないで寝ててください。私は洗濯してきますんで」
「ごめん、ありがとう」
そこまでさせるのは申し訳なかったが断ってもやるだろうし、動けない状態だと素直にありがたかった。
「なんで謝るんですか。いつもお世話になっている恩返しですよ」
「逆だろ? 俺がいつも世話になってるんだよ」
「いいえ。そこは譲れません。相楽くんにマッサージしてもらうようになってからすごく身体が楽になってます。相楽くんには返しきれない恩があるんです」
こんなに感謝されるとは、子供の頃からマッサージをしていてよかった。
「さて、片付けしますね」
「じゃあせめて俺も手伝うよ」
「駄目です。病人はちゃんと寝てて下さい」
香月さんは乱れたベッドを整え、ポンポンと叩いて寝るように促してくる。
仕方ないので大人しく従った。
ベッドで寝転んでいると皿を洗う音が聞こえてくる。
こういう生活音を聞くのは久し振りだった。
一人が寂しいとか家族が恋しいなんて思わなかったけれど、こうして自分以外の誰かの音を聞くと妙に安心する。
ふと母さんのことをを思い出しかけ、慌てて記憶の蓋を閉めた。
やがて洗い物が終わったのか、掃除機をかける音がして、洗濯機が乾燥を終えた音がした。
パタパタと可愛い足音が廊下を通過していく。
姿は見えないけれど香月さんの姿が目に浮かぶ。
「きゃっ!」
……洗い物の中に下着があるのを見てしまったのだろう。
照れて顔を赤くする香月さんの顔が思い浮かび、俺も恥ずかしくて顔が熱くなった。
「お洗濯終わりました。畳んだんですけど、どこにしまうか分からなくて」
「ありがとう。かごに入れたままでいいよ。何から何までありがとう」
「どういたしまして」
香月さんはにっこり笑って手にしたかごを床に置く。
どうせまた汗をかいて着替えるからその方が楽でいい。
「あれ? 顔が赤いですよ。また熱が上がってきたんじゃないですか?」
「いや、これは……その……」
下着を見られた照れくささとは言えずに口ごもる。
ピトッと額に香月さんの手のひらを当てられる。
そんなことされると余計体温が上がってしまうんですけど……
「ちょっと熱がありますね……私がリハビリに付き合わせてしまったせいで疲れが溜まっていたんじゃないですか? すいません」
「そんなわけないだろ。あの程度で疲れるほどやわじゃないし」
心配そうにジィーッと見つめられると更に体温が上がってしまいそうだ。
ティロティロリン……
枕元に置いてあったスマホが鳴る。
「あ、陽祐からの着信だ……」
香月さんは「どうぞ」と手で応答を促した。
お言葉に甘えて通話にスライドさせる。
「どうした、陽祐」
「それはこっちの台詞だ。風邪、大丈夫か?」
「ああ。なんとかなってる」
「お前一人暮らしだろ? 困ってるだろうからこれから買い物してお前んち行くよ」
「い、いや、大丈夫! 心配してくれてありがとう」
陽祐はやたらでかい声でしゃべるから香月さんにも聞こえてしまっていた。
気を遣って帰ろうとする香月さんを手で制する。
「来なくていいからな」
「遠慮するなって」
「本当に大丈夫だから」
「彼女でもいれば看病に来てくれるんだろうけど、いないもんなぁ」
「よけいなお世話だ」
「一人暮らしで彼女とか最高じゃん。家に呼びまくれるし」
帰ろうとしていた香月さんは急に座り直し聞き耳を立てるように耳をこちらに向けてくる。
「なに言ってんだよ。バカなのか?」
「相楽も彼女いないなら作ればいいだろ。もういっそのこと香月さんにコクっちゃ──」
「明日には風邪も治ってると思うから! じゃあな!」
大声で陽祐の声をかき消して慌てて電話を切る。
うまく誤魔化せたはずだ。たぶん……
「陽祐のやつ、お見舞いに来てくれるとか言っててさ。大袈裟だよね、ただの風邪なのに。あはは……」
「友達思いの素敵な方ですね」
香月さんは少し頬を火照らし、ニコッと微笑む。
確かに香月さんは可愛い。
これまで高嶺の花と思い、ただ遠くから鑑賞してきただけの香月さんが、お見舞いにまで来てくれている。
でも勘違いしちゃいけない。
香月さんはただ日頃のリハビリに感謝してくれているだけだ。
いきなりコクるとか、香月さんの好意を裏切るようなものだ。
「あの、香月さん」
「は、はいっ!」
香月さんは急に背筋をぴんっと伸ばし、緊張した顔で正座する。
「風邪が治ったら、またリハビリしようね」
「ふぇ? あ、は、はい。よろしくお願いします」
なぜか香月さんは拍子抜けした顔で頷いた。俺が改まった声で言ってしまったから身構えてしまったのだろう。
踏み込みすぎて壊してしまうより、今はこの距離でもそばにいたい。
そんなことを考えていた。
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