第5話 部屋の鍵

 今日のメニューは豚のしょうが焼きと根菜類の煮物、味噌汁だった。

 副菜にも手を抜かない辺りが完璧少女の香月さんらしい。

 とはいえ今日は少し量が多い気もする。

 これなら明日のお弁当にも使えそうだ。


「あ、あのっ……」

「ん? なに?」

「きょ、今日は、私も一緒に頂いてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだよ! でも家で夕飯食べないの?」

「両親とも帰りが遅いので、今日は私も家で一人で食べないといけないんです」

「そうなんだ」


 なんか多いと思ったら二人分だったのか。

 一緒に食べられるなんて幸せだ。


 しょうが焼きは豚ロースのステーキ肉を使ったもので、火の通し具合が完璧だった。

 俺なら焼きすぎて肉を固くしてしまう。


 肉を頬張りながらご飯を掻き込む。

 味噌汁も具だくさんで美味しいし、煮物はなんだかほっとする優しい味だ。


「ごちそうさま。相変わらず上手だね」

「大したことないです。ただの手抜き料理で恥ずかしい」


 時計を見ると六時半を回ったところだった。


「そろそろ帰る? 送っていくよ」

「あ、あの……もし可能なら、マッサージをお願いしたいのですが」


 香月さんはやけにモジモジと俯きながらそう呟いた。


「もちろんいいよ。今日はどこが痛む?」

「い、痛いところですか? えっと……さっきしてもらった脚が……」

「脚ね。了解」

「シャワー借りてからでいいですか? 汗かきましたんで」

「いいよ。その方がマッサージの効果も上がるからね。じゃあ用意しておくね」


 香月さんがシャワーを浴びている間にマットを引いてリラックス効果のあるアロマを焚く。

 部屋の明かりも消してオレンジ色のライトを灯した。


「わ、本格的ですね」


 部屋に戻ってきた香月さんは驚いた顔をする。


「どうせやるならと思ってね。さ、ここにうつ伏せで寝転がって」

「はい」

「まずはふくらはぎから揉んでいって、ゆっくりと膝の裏、腿へと上がっていくからね」

「はい。お願いします」


 香月さんの肌は柔らかく、そして弾力がある。

 力を入れすぎないようにじんわりと親指を押し込んでいく。


「ふぁ……」

「この辺り?」

「はい。その辺もきもちいいです」


 心地よく感じるのは筋肉が張っていたり凝っている証拠だ。

 香月さんの反応を見ながら徐々に上へと上がっていく。

 膝裏の下辺りにくると香月さんはびゅくんっと震えた。


「ここが痛いの?」


 張り具合から考えてそれほど痛みはないと思っていた箇所だ。


「い、いえ……痛いというよりは……その……気持ちいいです」

「へえ。ここが?」

「あうっ! そ、そぉです……あっ……あっ、あっ、あっ……」


 血流をよくするように親指でググーッと圧しながら指を滑らせて揉んでいく。


「ひゃううっ……だだだ……だめ……」

「あ、ごめん」

「やめないで……も、もっと、して欲しいの意味の『だめ』です」

「え? どういう意味?」


 指を止めると香月さんは振り返って俺を恨めしそうに睨んできた。

 よく分からないが、言われた通りに揉み続ける。

 とはいえいつまでもそこばかり出来ないので指を太ももの裏へと上げていく。

 太ももの裏はさほど凝るところではないので、内腿や逆の外側辺りを圧す。


「上手です……相楽くん、すごく上手……」

「ありがとう」

「なんだか、体が熱いです」

「血行が良くなってるからだな。溜まった悪い老廃物も流れていくよ」


 脚の付け根まで辿り着き、再び下へと親指を戻していく。


「んあっ!?」

「なに?」

「も、戻っちゃうんですか?」

「何度か行き来すると、より血行が良くなるからな」

「そ、そうなんですね……なんだか焦れったい」

「焦っちゃだめだ。こうして地道にやるしかないから」


 香月さんは近くにあったクッションに顔を埋めてしまう。


「ひうっ……あぁっ……あっ……ンンーッ!」

「あ、だめだって、香月さん。そんなに脚に力を籠めないで」

「だって脚をピンってしたくなっちゃうんです!」

「そ、そうなの?」


 それは変わった症状だ。

 先ほど気持ち良さそうにしていたふくらはぎ上部に再び指が達したとき──


「んあああっ!」

「え? 痛かった?」

「やめないで、圧して……圧してください!」

「こ、こう?」


 香月さんはコクコクコクと何度も頷き、脚の爪先までピンと伸ばす。


「んんーっ!」


 その姿勢を三秒ほどキープすると、プツンっと糸が切れたあやつり人形みたいに脱力する。

 はぁはぁと息も荒く、辛そうなので今日はこの辺にしておこう。


「はい、終了だよ」

「……ふぁい……ありがとうございます……」


 香月さんはぐったりと脱力し、しばらく動かなかった。

 心配になって覗き込むと「見ないで。恥ずかしい」と慌てて顔を背けられる。


「大丈夫? 少し強すぎたかな? 次はもう少し弱くしようか?」

「だめです」


 ぐてーっとしていた香月さんは弱々しく顔を上げ、俺を見る。


「もっと激しくても大丈夫なくらいです」

「そ、そう?」


 香月さんの顔は赤く火照っており、瞳も潤んでいる。

 弛緩しきったこんな姿、学校生活をしているときの彼女からは想像できない。


「さあ遅くなる前に帰ろう。送っていくから」

「そうしたいのですが……体に力が入らなくて……」

「え!? 大丈夫!?」

「はい……もうしばらくこのまま余韻に浸らせてください」

「余韻?」


 なんだか香月さんは変わっている。

 これは俺が思っているよりも重症なのかもしれない。

 リハビリは難航するかもしれないと気を引き締めた。


「あ、そうだ。これ、渡しておくね」

「鍵?」

「そう。この家の鍵。このあいだ俺の帰りが遅くて待たせちゃったことあるだろ?」

「い、いいんですか?」

「リハビリはまだかかるかもしれないし。念のため。迷惑だった?」

「迷惑だなんて、とんでもないです。ありがとうございます!」


 香月さんはニッコリと笑ってぎゅっと鍵を握り締めていた。

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