第3話 リハビリ、お願いします
翌朝、香月さんはいつもと変わらない様子で登校してきた。
痛みも少しはましなようで、手を振りながらにこやかに歩いていた。
あの肩の高さ、腕の振り方を見るに痛みは和らいだようだ。
(よかった。マッサージは無駄じゃなかったな……)
香月さんは辺りをキョロキョロし、誰か探している。
その最中に俺と目が合い、はにかんだ笑み浮かべてやって来る。
「昨日はありがとうございました。おかげですごく楽になりました」
「そっか。お役に立ててよかったよ」
気まずい別れで嫌われたかと思ったが、そうでもなかったらしい。
よかったと胸を撫で下ろす。
その一言を告げると一礼して香月さんは女子の輪へと戻っていった。
「おい、相楽。なんだよ『昨日はありがとうございます』って?」
親友の
「なんでもない。内緒だ」
「なんだよ、それ!」
昨日の出来事は俺と香月さんだけの秘密だ。
陽祐は不服そうだが、余計なことを言わずやり過ごした。
楽になったというのはお世辞じゃなかったようで、香月さんは授業中普通にノートを取ったり、休み時間は友だちとトランプをしたりしていた。
っていうか一日中ずっと香月さんを視線で追ってしまっている。
ああいう美少女は遠くで鑑賞するもの。
そう思っていたのに妙に意識してしまう自分が恥ずかしかった。
身の程知らずの恋をするほど俺は愚かじゃない。
放課後は陽祐と駅のホームで少し雑談してから家に帰った。
待ってる家族はいないが一人暮らしだと洗濯とか掃除とか食事を作るとかすることは多い。
洗濯物を取り込んでいるとピンポーンとインターフォンが鳴る。
誰かがマンションのエントランスに誰か来たらしい。
「はい?」
「あ、あのっ、こ、香月です。香月悠華ですっ!」
「香月さん? どうしたの?」
「昨日お借りしたジャージをお返しに上がりました」
「わざわざ家に来てくれたんだ」
「ご迷惑でしたでしょうか?」
「そんなわけないって。どうぞ」
マンション玄関のロックを解除する。
まさか香月さんが来るなんて思わなかったので、心臓が高鳴ってしまう。
数分後に玄関のチャイムが鳴った。
「わざわざ悪いね」
「いえ。助かりました。ありがとうございます。あの、これはお礼です」
ジャージと共に可愛らしい紙袋を渡される。
「これは?」
「クッキーです。下手くそで恥ずかしいんですけど」
「え? 香月さんが焼いてくれたの?」
「はい」
袋の中からはバターの香ばしく甘い香りが漂ってくる。
「ありがとう。美味しそうだね」
「そんな大層なものじゃないんで」
香月さんの手作りがもらえるとか嬉しすぎる。
「あのっ……」
「ん? なに?」
「そのっ……またマッサージしてもらえませんか?」
「もちろん。いいよ。クッキーのお礼にさせてもらうよ」
「い、いまからでもいいですか?」
「もちろん。じゃあ上がって」
「はい、失礼します」
そんなに顔を赤くしてもじもじしながらお願いすることでもないのに。
遠慮深い性格だ。そこがまた魅力なんだけど。
家に入ると香月さんは俺に背を向けてシャツのボタンを外し始める。
「ちょっ!? なにしてんの、香月さん!」
「マッサージを受けるなら軽装の方がいいかと思いまして、タンクトップとハーフレギンスを着てきました」
「あ、ああ、なるほど……」
それなら先に言ってくれればいいのに。
変な妄想をして恥ずかしいほど動揺してしまった。
香月さんは真面目にマッサージを受けようとしているのに失礼だ。
「じゃあここに寝転がって」
「はい……」
香月さんはマットにうつ伏せになる。
細すぎず太くもない健康的な肉体につい見惚れてしまう。
「あ、あんまり見ないでください……恥ずかしいです」
「ご、ごめん」
香月さんは恥ずかしそうに手のひらでお尻付近を隠す。
男性のマッサージは慣れているが、女性は家族以外に経験がないので緊張してしまう。
「昨日のマッサージは効果があった?」
「はい! なんか身体が軽くなりました」
「よし。じゃあ今日も肩と首回りを重点的にやってみよう」
「そのっ……今日は腰や脚……とか下半身もお願いしたいのですが……」
「あーなるほど。そっちも痛いだろうね。了解」
しばらく固定していたから筋肉も固まってしまっているのだろう。
腰に手を当てると強張りを感じる。
親指で軽く押し、そのまま力を加えていく。
「ぴうっ……」
「痛い?」
「ちょ、ちょっとだけ……」
「この辺り?」
「はうっ!? そ、そこっ……」
「かなり痛いんだ?」
「痛いけどきもちいい……です……あっ……んわぁっ……」
骨折した左脚を庇おうと無意識のうちに不自然な力がかかったのだろう。
こういう場合は腰だけでなく周辺の筋肉もほぐさなくてはならない。
はじめは緩やかに、ぐぐっと親指を押し込んでいく。
「い、いいっ……痛っ……かはっ!」
「少し痛い? もうちょっと優しくする?」
「だいじょぉぶで……すぅっ! ああっ! お気になさらず、続けてください」
「そう? つらいときは言ってね」
「はい……」
柔らかな肌の下に芯のある強張りを感じた。
ここを揉みほぐさなければ……
「んっ……ンンっ……きゃうっ!」
香月さんはマットをぎゅっと掴み、身体を震わせている。
「はぁはぁっ……あうっ……きもちいいっ……痛いけど、きもちいーっですっ!」
「ほんと? 無理しないで?」
「む、無理なんて……してませんっ……」
口ではそう言っているが、無理しているのは一目瞭然だった。
俺はそっと指を離す。
「えっ……終わりですか?」
香月さんは振り返り、うるうる目で俺を見た。
「一度にやりすぎてもよくないから。特にダメージが大きいところは慎重にしないと」
「いじわるです……」
「意地悪でやめたんじゃないって。無理はよくないから」
「はい……」
香月さんは放心状態のような顔で身を起こし、用意しておいたタオルケットを肩にかけてくるまった。
「あの、相楽くん。マッサージって、その……クセになったりしないんでしょうか?」
「クセに?」
やり過ぎると逆に揉み返しでダルくなることを心配してるのだろう。
「大丈夫。そんなに強くやり過ぎてないから」
「そうなんですね。安心しました」
「まあ素人のマッサージだから効果はどんなものか、怪しいとこはあるけどね」
「あ、あの……図々しいお願いなんですが、ちゃんと歩けるまで時間をかけてマッサージをしてもらえないでしょうか?」
「えっ……でもそれは俺みたいな素人よりちゃんとしたリハビリ師さんにお願いした方が……」
「相楽くんがいいんです。ダメ、ですか?」
「だ、ダメではないけど……」
なんかすごい勢いでお願いされてしまった。
香月さんと一緒にいられるならむしろ嬉しいくらいだ。
「もちろん私もお返しをします!」
「いいよ、そんなの」
「ギブアンドテイクです。私はお掃除やお料理を作らせてもらいますから!」
「忙しいのに悪いよ」
「いいえ。それくらいじゃ足りないくらいです。それに私、お料理得意ですよ」
香月さんの手料理……
その甘い響きに抗うことは出来なかった。
「じゃ、じゃあ……可能な範囲でお願いしようかな?」
「はいっ!」
香月さんは嬉しそうに頷く。
こうして学校一の美少女と奇妙なリハビリ生活が始まった。
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