第4話 いじめ


ルキフェルは、神とは対極に位置する、深い場所へと堕とされた。


言ってみればそれは――単なる痴話喧嘩であり別居生活、と俺には思えた。

何故俺が、昼休みも終わっているのに優太から神様の話を延々聞かされ続けているかといえば、『天井』のことを聞き返してしまったのが原因だ。

何のスイッチが入ったのか解らないが、優太は懇々と俺に話し続けている。


俺は神なんて信じちゃいない。

それは短い人生の中、何度だって祈った神は一度も助けてくれたことなんてなかったからだ。

むしろ神が助けてくれるほど優しい奴なら、最初からこんな酷い世界は創らないだろうって思っている。

俺が優太の話を遮ることなく聞いてしまったのは、話のある部分に共感を覚えたからに他ならない。


俺が小学4年生の時、クラスでとてもおとなしい無口な少女がいた。

殆ど誰も話したことはなく、稀に声を聞く機会があっても、それはとても小さく聞き取れないほどの声だった。

ある日、彼女の机の中から腐った牛乳パックが見つかる事件があって、その日を俺はよく憶えている。

彼女が嫌いな牛乳を机に隠して腐らせてしまったのか、誰かが嫌がらせで彼女の机に入れたのか、それは解らない。

けれど、破れて漏れ出した牛乳は悪臭を放ち、クラスメイトの嫌悪を一心に集めた。

その日からしばらく、彼女はサンドバッグになることになる。


最初は数人が、囲んで言葉で責め立てているだけだった。

無反応で喋らない彼女は、小学生というクラスメイトのフラストレーションの捌け口として丁度良かったのかもしれない。

そしていつしか、誰かが小突き、誰かが叩いた。

それはすぐに波及して、人を殴ってみたいという興味本位の欲求や、誰かを罵るという快感の欲求を、どんどんと満たしていくことになった。


妹が二人いる俺にとって、おとなしい女子を虐めるその状況は、とても胸糞悪くて……。

けれどクラスの友達に異を唱えて注目を浴びる勇気はなかなか出なくて……。

数日たって、もはや常習化した囲みに向かって、「やめろっ」って言えた時、俺は正しいことがやっと出来たんだって信じていたんだ。

碌に殴り合いの喧嘩もしたことはなかったけれど、誰にも負けねぇぞっていう強情な覚悟だって一端いっぱしだった。

彼らにも罪悪感はきっとあったのだと思う。

男子も女子も、自分たちは何も悪くないっていう主張をしてきたし、何人かとは殴り合うことになった。

そして、その日からいじめの矛先は俺に向き始めた。


俺がその少女を好きだとか、威張って命令する嫌な奴だとか、そう言われることから始まって、至る所に落書きをされたり、靴、体操着、筆箱、鞄、沢山の物が隠された。

正面から喧嘩を売ってくる奴は殆どいなくて、誰がやったか判らないように嫌がらせをされた。

腐った牛乳を机に入れられ、うんこを机に擦り付けられた6年生の時、俺は我慢ならずに誰彼構わず目ぼしい奴らを殴り飛ばしていった。

その事件は教師とクラスメイトの親達から、俺が問題児としてのレッテルを張られるのに十分なもので、事後、親と共に各家庭に頭を下げて回らされた時、「うちの子に暴力を奮うなら絶対に許さない! 分別のつかないガキは少年院に行くべきだ!」と繰り返し説教された。

俺の親は泣いていて、「自分たちの育て方が悪かった。お前は親の信頼を裏切った」と何度も責め立てられた。

俺はずっと、悪人は特殊な人間で、40人いたら一人二人特別に悪い奴がいるのかもしれないって、そう思っていたんだ。

けれど、周囲の全て、クラスメイトも、教師も、親も、みんな同じだった。

同じ『人間』だった。

いつも自分が主人公であり、いつも自分が正しくて、いつも気にいらない奴を敵と言っていた。


中学生になって他の小学校からの人間が増え、俺への嫌がらせは薄まったけれど、すぐに起きた妹への悪戯でいじめは完全に終わることになった。

公園で遊んでいた当時小学生の妹に、何人かの男子が近づいて、叩いたり、パンツを脱がしたり、色々していたらしい。

誰かの通報で、警察もやってきたしその男子達もこってり絞られた様だったが、泣いていた妹の、恐怖や恥辱を考えると俺は収まらなかった。

その男子達を気の済むまで殴り倒した。

当然問題になったけれど、警察の介入で事情は広まっていたし、すでに教師や親から問題児のレッテルを張られていた俺は、教師や親にモブのレッテルを張って彼らの言葉は聞き流していた。

俺は『不良』というレッテルでアンタッチャブルになり、中学3年間をやり過ごして、誰も知り合いがいない遠い高校へ入学した。


『誰も信じるな』


それが、16歳にして俺の信条であり、屋上で弁当を一人で食うことも、そんな背景から自然にそうしていた。


優太が何故、屋上で一人で弁当を食うのかは解らない。

けれど、毎日毎日屋上で顔を合わせるお互いは、半年たった今、近くに並んで弁当を食うくらいの知り合いにはなっていた。

屋上でひとりで弁当を食う、その同じ境遇に、仲間意識が少しあったのかもしれない。


人間は、いつも自分が主人公で、いつも自己中心的で、いつも我が儘である。

それは、本来唯一であるはずの主人公『神』の写し身であるから。

その説明が、俺の気を引いた。

人間が自己中心的であることに、とても納得を覚えさせられたのだ。


「ダンテの神曲では、地獄の最下層はコキュートスと言われているんだ。神との間には遠く幾層もの隔たりがある。ルキフェルと共に堕とされた人間は、この地獄の9層コキュートスでずっと生きてきたんだよ」




 

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