第3話 堕天使ルシファー


イザヤ書によると、ルキフェルは神に反逆し、天使を率いて神の軍勢と戦った、と記されている。

そして敗北し地へと堕とされたルキフェルは、魔王サタンと蔑称され、人々に忌み嫌われていく存在となっていく。


神を写した人形――人間という贈り物を、ルキフェルはとても喜んだ。

神を愛するよう創り出されたルキフェルにとって、人間もまた、愛らしい神に等しかった。

人間は、自分こそが『主人公』だと信じており、自分が絶対的に正しくて、自分の欲は全て満たされるべきだと信じている。

我が儘で、自己中心的で、世界は自分のためにあると信じている。

そして、神の様にそれを叶える絶対的な力は、何も有していなかった。

そこがまた、どうしようもなく可愛らしい。

神の様に傲慢で、けれど、神やルキフェルの力で施されなければ何も満たせない。

天使たちとは全く違う存在、まるで神とルキフェルの子の様ではないか。

ルキフェルは神と同等に人間に夢中になり、人間を愛した。


しかし、神はそんなルキフェルの様子に不快感を感じることになった。

それは――、嫉妬に他ならない。

神としては、人間などルキフェルに喜んで欲しくて贈った人形にすぎない。

その人形は『私』では決してないのだから。

『私』をもっと見て欲しくて贈った人形、しかしそのせいで、『私』へ向けるルキフェルの愛情は半分になってしまった。

さらに、神にとって人間の傲慢さや自己中心的な態度は腹立たしく感じて仕方なかった。

同族嫌悪というのだろうか? 

『私』に生み出されておきながら『私』を敬わない、愛さない。

自分こそが主人公であり、自分の欲を満たす為にだけ一生懸命だ。

ルキフェルは人間の望みが上手くいくよう助言し、知恵を与え、手助けまでする。

そして、たとえ『私』やルキフェルが人間に望みの物を与えてやったとしても、その欲は尽きることがない。

自分たちの為に『私』が与えることは当然だ、という態度だ。

まるで、『私』が、人間の便利な天使ではないか。


『私』にとって、別の『私』という存在は、非常に不愉快なものだ。


自分は素晴らしい存在だと信じていたのに、全くそうは思えなくなった。

まさに、失敗作と言えるだろう。

そう、失敗作の人形ならば、滅してしまえばいい。

滅すれば、再び『私』にルキフェルの愛の全てが戻るはずだ。


この時、神はまだ、問題の厄介さに気付いていなかった。


『神』を愛するよう創り出されたルキフェルにとって、神を写した人形、神に等しい人間を滅することは、たとえ『神』であっても許されざることだった。

ルキフェルにとっては『神』を愛しているが故の反抗。

神も人間も、どちらもただただ『神』を愛しているに過ぎない。

しかし神からすれば、唯一の『私』、ルキフェルが愛すべき『私』の意思を否定し、人間の肩を持ったようにしか映らない。

嫉妬からくる神の怒りは、天を二分する争いを巻き起こした。








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