第2話 神


日本人が持つ『神』のイメージは、大凡、絶対的な善であろう。

全知全能、全てを見通し、全てを愛し、全てを育む。


『神頼み』――それが指すように、困ったとき、心底望んだとき、人は神にすがる。

助けて欲しい、願いを叶えて欲しい、それは、絶対的な力を有する神への懇願であり、その善性を期待して投げ掛ける我欲に他ならない。

つまり――、人にとって神とは、ただの便利屋でしかない。


原初。

人に『神』と呼ばれるものは、世界で唯一の精神、自我、『私』だった。

それはオリジン。

そして、神はいつも正しい。それはそうだろう。

世界には神である『私』しかおらず、世界は全て『私』の物であるし、『私』が右と言えば右、黒と言えば黒なのだから。

『私』だけが主人公であり、『私』こそが絶対であり、『私』の為に全てはあるべきなのだから。


『神』がひとつの自我、独立した個である限り、人の考える様な全知全能の、慈愛に溢れる神など存在し得ない。

個はどこまでいっても個であり、例えどのような姿形をしていても、どのような力を有していようとも、その精神はあくまで独立している他者なのだから。

人の心の内を知り、望むように結果を与えてくれる便利屋など何処にも存在しないのだ。


だから、神がルキフェルを創り出したのも当然と言えるのかもしれない。

神が、神の為に――神を愛し、神を癒し、神の心を満たす存在を創った。

それがルキフェルと呼ばれた存在だ。

妻の様に、恋人の様に、友人の様に、弟妹の様に、神と共にあり、神を肯定し、神を愛する、それがルキフェルという存在なのだ。

神とルキフェル、ふたりの蜜月は長く続き、その間には、神が独りだったときには思いもつかなかった多くの幸せが生み出された。

神の為に動く天使も、ルキフェルの為に動く天使も、また数多く創り出されたが、ルキフェルほど神に近しく神に必要とされる者はありはしなかった。


そして、は神の些細な思い付きでしかなかった。

いつも共にいる、大切な相手を喜ばせたい。

そんな、誰にでもある無邪気な心の在り方。

ルキフェルに贈り物をしたい、何が良いだろう、と考えた神が至った結論は――

『自分』だった。

神にとっては当然の結論。

ルキフェルに最高のものを贈りたい。

最高のものとは何か、と考えれば、それは自分以外にあり得ない。

自分はいつも絶対的に正しく、愛される存在であり、自分ほど素晴らしいものはこの世に存在しないのだから。

現代の日本人の感性からみれば、それは力ある者の傲慢で稚拙な考えに聞こえるかもしれない。

けれど、世界にたったひとりの『主人公』が、力を持ち自由に生きる時の中で、そう思わずにいられる精神へ至れるなどと、誰が言えるだろうか?


神を写した魂を込めた人形――人間。


もちろん、神の力など使えないただの人形であったが、世界で最も素晴らしい『私』を写してあるのだ。

きっと何よりも喜んでくれるだろうと、神は思ったのだ。






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