#30 それでも絶対謝らない

 翌日の放課後。

 俺と神崎が空き教室に入ると、そこには先客がいた。


「悪い、待たせたか」

 俺は、小柄な一年女子に声をかける。

 一年で指折りの美少女・君原理帆。

 いや、いまはマジキャス三期生きっての人気ライバー・天海チカか。

 七星エリカとコラボでケンカ別れし、その後もトゲトゲしたままだった相手がそこにいた。


「いえ。それより、誰もいませんね?」

 君原が聞いてくる。

「ああ。つけられてないことは確認済みだ」

「さすがに尾行されたりはしないんじゃないですか?」

「念のためだ。駒川……例のこいつの親友だが、ひょっとしたらまだ疑ってるかもしれないからな」


「美夏が疑ってなかったとしても、キモオタと一緒にいるところをクラスメイトに見られたくないし」

 と、余計なことを言う神崎に、

「あなたは相変わらずですね。人見先輩があなたのためにどれだけ尽力してくれたと思ってるんです?」

 君原が冷たいジト目を向ける。


「う……」

 と、神崎が言葉に詰まる。

 俺は、頬をかきながら君原に言う。

「そんなの、俺の自己満足だからいいんだよ」

「先輩……お人好しがすぎませんか?」

「俺はべつに、人がいいわけじゃない。推しが強いだけだ」

「その推しも、だいぶ悪趣味だと思いますが」

「それはよぉくわかってる」

「ちょっと! どういう意味よ!」

 どういうもこういうも、そのまんまの意味だろうが。


「って、お礼がまだだったな。昨日は助かった。ありがとう」

 俺は、改めて君原に頭を下げる。

 君原は、カバンから取り出した俺の・・スマホを、俺に返してくれながら言う。


「どういたしまして。イヤだったんですけどね。リスナーさんを騙すみたいで」

「そうだよな。無理言ってポリシーを曲げてもらったんだ。本当に感謝してる」

「……あんなことまでされたら断れないじゃないですか」

 君原が、すこし目をそらしてそう言った。


「えっ? こいつ、何かしでかしたの?」

「しでかした、じゃありませんよ。あなたじゃないんですから」

 きょとんとする神崎に、君原がこれみよがしのため息をつく。

「人見先輩も物好きですね。こんな傍若無人で気遣いのない人に尽くすなんて。マゾなんですか?」

「天海チカのリスナーなんだから、少なからずマゾだと思うぞ」

「ーーあなたもほしがりさんなんですか? 罵倒してほしいんですか? その礼儀知らずな女のチャンネル登録を解除したら、罵ってあげてもいいですよ?」

「おお、生チカちゃんだ!」

 君原の冷たい視線に俺が感動してると、


「ちょっと待ってよ! 全然話が見えないんだけど!」

 神崎が戸惑った声を上げた。

 君原が、神崎にビー玉のような目を向ける。

「わたしが昨日、『七星ルリナ』になって、あなた――じゃなかった、人見先輩が中身の『七星エリカ』とコラボした。そこまではわかってますよね?」


 いま、君原が言った通り。

 昨日のミニキャス配信に現れた「七星ルリナ」は、君原に演じてもらった偽物だ。

 俺と君原の声質はもともと似てる。俺に天海チカの声マネができるのなら、天海チカがルリナを真似ることも十分可能だ。なにせ、天海チカは三期の天才ライバーなんだからな。


「そこまでは聞いてるけど。でも、どうしてチカちゃんが……」

「人見先輩に頼まれたからに決まってます。昨日一年の教室までやってきて、わざわざわたしを呼び出したんです」

「……それって、ちょっとした騒ぎになったんじゃ……」


「それはもう。学校では清楚な美少女で通ってますから。二年の冴えない先輩がわたしを呼び出したりしたら大変です。あの身の程知らずは誰だ!って話ですよ。わたしの親衛隊が先輩をボコすまであと五秒ってところでしたね」

「学校に親衛隊なんているのかよ!?」


「人見先輩には正体を知られてしまってますからね。弱みを握られてるようなものなので、渋々先輩についていったんです」

「えっ……! まさかあんた……チカちゃんを脅迫して!?」

「しねーよ、んなこと!」

 ま、話くらいなら聞いてくれるだろうとは思ったけどな。


「で、先輩から事情を説明されまして。もう、バカかと。アホかと。今年一年で二番目に呆れました」

「一番目は?」

「もちろん、このあいだのコラボに決まってます」

「ワンツーフィニッシュかよ!」

「七星エリカはわたしを苛立たせる天才ですね」


「それで、君原さんになんとかお願いして代役を引き受けてもらったんだ。俺のスマホを預けておいて、配信開始から十分じゅっぷん経ったところで入ってきてもらったってわけだ」

「ち、ちょっと待ってよ! その時点じゃ美夏があんたのことまで疑ってるなんてわかってなかったはずじゃない!?」


 俺と君原は、顔を見合わせ、ため息をつく。

「……それ、わかってなかったのあなただけですよ。駒川さんが七星エリカの配信にハマってるんだったら、気づかないほうが不自然じゃないですか。トークや声の特徴から七星エリカの正体を見抜くような人なんでしょう?」

「うっ……そう言われればそうだけど……」


「まあ、あなたは中身がまんまで芸がないですからね。身バレしそうって聞いても、ああやっぱりって感じでしたけど」

「ち、チカちゃんだって大概でしょ!?」

「わたしは普段は清楚なんです。ちゃんと演じ分けてますよ。あなたと一緒にしないでください」

 たしかに、自分のクラスにいるときの君原は、借りてきた猫というか、借りてきた猫かぶりのような感じだった。清楚かどうかは知らないが。


「でも……どうして助けてくれたの? わたしに怒ってたはずなんじゃ……」

「怒ってますよ。身バレしても自業自得としか思いませんでした。でも、人見先輩が……」


「お、おい! それは言うなって言ったろ!?」

 慌てて制止する俺を無視して、君原が言い切った。


「土下座までしようとしたんですよ? わたし、最初は『パンツを見せてくれ!』とでも言われるのかと思って、ちょっと身の危険を感じました」

「そんなこと思ってたのかよ!? どおりで引いてる顔だと思ったよ!」

「……土下座しようとしてる時点でドン引きだと思うんだけど」

 と、それこそドン引きした顔で神崎が言う。


「先輩があまりにも哀れだったので、しかたなく引き受けました。まあ、先輩に身バレしたのはわたしの不注意でもありますし」

 たしかに、学校の階段裏で二人が口論してるのを聞いてしまったのがそもそもの発端だ。

 あれは、君原もうかつだった。あんな配信の後じゃ、怒りが収まらなくても当然だけどな。


(あの会話を聞いたのが俺でよかった……のか?)

 すくなくとも、二人のケンカを録音してSNSに上げるようなバカに聞かれなくてよかったとは思う。

 じゃあ、Vtuberなんて全然知らないようなやつならよかったかっていうと、それだって怪しいな。この二人は、二年と一年を代表する美少女だ。そんな二人が階段裏で口ゲンカしてるなんて、別の意味で注目されただろう。その裏の事情を探られれば、どこからかボロが出ないとも限らない。二人とも特徴的な声をしてるしな。


「そういえば、昨日の配信であんた、チカちゃんに焼き土下座?しろって言ってたわね」

 神崎が君原に言った。

 君原扮する七星ルリナが、俺の演じる七星エリカに、そんなことを言ってたな。


「そうでした。ーー本当にすまないという気持ちで胸がいっぱいなら……! どこであれ、土下座できるはずですね?」

 そんなネタをやりながら、君原は、なぜか教室の隅にあった押し手つきの台車を引っ張り出してくる。

 台車にはバーナーで熱された鉄板が!

 ……なんてことはなかったが、その代わりにか、びちゃびちゃに濡れた雑巾が敷きつめてあった。


「うぐ……! こ、これに乗って謝れって言うの!?」

 のけぞる神崎に、

「いや、それネタだから。君原、こいつそういうの通じないんで」

「え? 何言ってるんですか。わたしは本気ですよ? ーー本当にすまないという気持ちで……!」

「それはもういいから」

「まあ、冗談ですけど。でも、ちゃんと謝ってください。配信で。専用の枠取って。20万再生くらい取れるんじゃないですか?」

「鬼か!」


 俺のツッコミをスルーし、君原がじっと神崎を見つめる。

 神崎が一瞬たじろいだ。

 が、決意とともに、君原の視線を受け止めた。

 そして、


「――すみませんでしたぁっ!」


 謝った。

 あの神崎が。

 いや、傍若無人な暴言王・七星エリカが。


 君原が、虚をつかれたような顔をした。


 頭を下げたまま、神崎が言う。

「今回のことで、いろんなことがわかったの。みんながどれだけ心を砕いてリスナーを楽しませようとしてるか……。わたし、自分が有名になりたい、お金がほしいって、そればかり考えてた」

「ですね」

 君原は容赦なくうなずいた。


 神崎が顔を上げる。

「でも、最近ようやくわかってきた。リスナーを楽しませる楽しさが。これって、有名になるとか、お金を稼ぐってことなんかぶっ飛ぶくらい気持ちがいいわ。だから、わたしはまだライバーでい続けたい」

「それは、ご勝手に、としか。迷惑をかけられるのが人見マゾ先輩だけなら、わたしも文句は言いません」

 ……なんか敬称にいらん称号がついてた気がするけど、俺は自制心を発揮して受け流す。


「それじゃダメなのよ! 昨日の配信で、ちょっとだけだけどチカちゃんとからんだじゃない?」

「わたしは七星ルリナでしたけどね」

 あのあと、役目を終えた俺は七星エリカを神崎と交代した。

 でも、ルリナのほうは君原のままだ。

 その後、配信が終わるまでのあいだ、神崎と君原は実質的に「コラボ」したともいえる。


「……悔しいけど、流石だと思ったわ。いまだからこそ、一見毒舌に見える天海チカが、どれだけ気を配って言葉を選んでるかがわかったのよ」

「はあ。いまさら気づいたんですか?」


「だよね。ほんと、わたしは何もわかってなかった。そこのキモオタ虹豚のほうがよっぽどわかってる」

「じゃあ、マゾ豚先輩に教えてもらうんですね」

「……おいおまえら、当然のように人のことを罵るな。興奮するだろ」

 俺のツッコミは双方に無視された。ちくしょう。


「それももちろんやるけど。チカちゃんから学ぶこともたくさんあると思う。ううん、わたしはチカちゃんから学びたい! だから――どうか、仲直りしてください!」


 神崎が君原に手を差し出す。

 堂々としていた。

 その態度は、ライバーとして先を行かれた後輩に対し、これからは負けないぞ、と挑みかかるもので。

 謝罪としてはふさわしくないかもしれない傲慢さで、神崎は君原に和解を呼びかけた。


(いいな)

 俺は不覚にもそう思う。

 涙ながらに詫びて焼き土下座なんかするより、こいつにはこのほうが似合ってる。


 君原は、差し出された手を前に、態度を決めかねているようだった。

 だが、やがて、

「……しかたありませんね」

 君原は差し出された手に自分の手を伸ばし――


 パチン!


 景気のいい音とともに、君原の手が神崎の手を弾いていた。


「辛気くささなんて、マジキャスにはいらないんですよ。どのライバーだってなにかしらやらかしてるものなんです。やらかしたことが脳内でエンドレス再生されて叫び出したくなる……そんな夜を過ごした経験のない人に、人を楽しませることはできません」


 君原は――いや、天海チカは、そのまま身を翻し、空き教室を出て行った。


 俺と神崎はそれを見送り、

「……やっぱり、敵わないわね」

「だな」

 息をついてそう言い合う。


(あいつ、なんだかんだで七星エリカの配信を見てたんだよな)

 いくら天才ライバーでも、ぶっつけ本番で七星ルリナのコピーを、あそこまで完璧にこなせるわけがない。

 ルリナのキャラを俺以上に完璧に演じきることで、俺や神崎に当てつけようとしてる節すらあった。

 おまえらとは格がちがうのだと。

 おまえらにこの高みまで登ってくる覚悟があるのかと。

 イキリって意味じゃ、七星エリカとどっこいじゃないか。

 社長がエリカとマッチアップしたのも納得だ。


 俺たちは、しばし夕暮れの空き教室にたたずんだ。


 ふいに、神崎が気がついた。


「……そういえば。この台車、わたしたちが片付けるの?」

「あっ」


 ……雑巾はちゃんと絞って、雑巾かけに戻したぞ。

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