#31 エピローグ 七星エリカはまだ伸びない

「きぃぃぃっ! むかつくわむかつくわむかつくわっ!」

 頭をかきむしって神崎が叫ぶ。


 俺と神崎がいるのは神崎の部屋だ。

 二人してパソコンを覗きこみ、問題の・・・動画を見直した。

 そしたら案の定、神崎が暴れ出したってわけだ。


「まあ落ち着けって」

「これが落ち着いてられるもんですか! なによこれ!」

 神崎が画面をびしっと指さした。


「なにって、ファンがまとめてくれた切り抜き動画だろ。配信の見どころを抜粋して、短い尺にまとめて拡散してくれてるんだ。ありがたい話だよな」

 実際、こういう動画でライバーを知って本配信にやってくる視聴者も多い。著作権的にはグレーな場合もあるのだが、宣伝効果を見込んで、配信側でOKを出してることもある。


 で、今神崎が激怒してる動画はどんなものかって話なんだが……。

 こいつがチカちゃんに謝罪した(公式には謝罪してないが)後に、あらためてってことでやり直した七星エリカと天海チカのコラボ配信(『チカエリコラボ!』)をファンが編集したものだ。


「そんなことはわかってるわ! 問題はこの動画の中身よ! わたしとチカちゃんのコラボ配信なのに、なんでチカちゃんしか映ってないのよ!?」

「いやぁ、丁寧な編集だよな。おまえとチカちゃんのコラボから、おまえの発言部分だけを削除して繋いでる。どうしてもおまえの声が入っちゃうところはピー音重ねて消してるし。七星エリカのアバターは、チカちゃんのイラストで隠してる」


 要するに、コラボ配信からチカちゃんのパートだけを抜粋した、いわば「七星エリカ全削除バージョン」の動画なのだ。

 俺も動画を編集したことがあるからわかるけど、めちゃくちゃ手間がかかったはずだ。そこまでして七星エリカを映したくなかったとは恐れ入る。


「この動画、めっちゃ高評価ついてるし! わたしの配信なんか、低評価のほうが高評価より多いのよ!?」

「いや、そっちのほうがありえないんだからな?」


 マジキャスライバーの人気配信なら、高評価が数千件、低評価が二桁くらいが相場だろう。いくらいい配信でも必ず低評価を入れるやつはいるからな。

 ところが、七星エリカの配信になると、低評価が千以上も入ってて、高評価は三桁止まり。

 といっても、前のように叩かれてるわけじゃない。実際にはおもしろいと思った人も、ネタの一環として低評価に入れてたりする。

 ……念のために言っとくけど、たとえネタでも低評価を意味もなく入れるのはライバーさんに迷惑だ。マイチューブのアルゴリズムでは低評価が多くても検索順位などに悪影響はないらしいが、自分の配信にサムズダウンがついて喜ぶライバーさんなんていないからな。

 ま、今俺の隣にいるライバーは、炎上に慣れすぎて今更低評価くらいで落ち込んだりはしないだろうが。


「くぅぅっ! チカちゃんからリスナーを吸い取ってやろうと思ってたのに! これじゃ意味がないじゃない!」

 握ったこぶしをぷるぷるさせて叫ぶ神崎。


 俺は、肩をすくめて言った。

「ま、いいんじゃないか」

「なんでよ!?」

「人間、隠されるほど気になるもんだろ。この動画をきっかけにこっちの配信を見にくる物好きもいるって」

「そ、そうかしら……」


「すくなくとも、チカちゃんとコラボした七星エリカって女は、みんなに嫌われてるキャラらしいってことは伝わるだろ。形はどうあれ、潜在的なリスナー候補に認知されたってことだよ」

「嫌われてるって認知されてどうするのよ?」

「嫌われてる『キャラ』だって認知されてるならいいんだよ。本当に嫌われてるんじゃなくて、そういうキャラだってこと。『チカちゃんに謝れ』ってからんだり、低評価入れたりしていじればいいんだってふうに、視聴者は七星エリカへのからみかたを覚えたんだ」


「えっ……じゃあわたし、これからずっとその手でいじられ続けるわけ!?」

 心底嫌そうに、神崎が言う。

「追い追い、ちがう魅力を出してけば変わってくだろ。それとも、自信がないのか?」

「そ、そんなことないわ! ふん! いーわよ! いまは臥薪嘗胆で耐え忍んで、いずれはスーパーヴァーチャルアイドルとして認めさせてやるわ! 十六夜サソリはもちろん、サクラサクだって越えてやろうじゃない!」

「……いや、さすがにそれはどうなんだ?」

 盛り上がりに水を差さないよう、ぼそりとつぶやく俺。

 サクラサクは、Vtuberの黎明期にリスナーをゼロからVtuber沼に引きずりこんできたリアルレジェンドのライバーだ。後発のなかでもさらに遅れを取った感のある七星エリカが、彼女にどこまで迫れるものか。


 だが、そんな無謀な目標を掲げる神崎は、まぶしく輝いて見えた。

 まぶしすぎて、やっぱり俺の手の届くものじゃなかったと再認識する。


「……そういえば、お礼を言ってなかったわ」

 神崎が我に返ったように俺に言う。

「礼?」

「その……あんたがチカちゃんに代役を頼み込んでくれたこと」

「ああ、その話か」

 俺は気まずくなって顔をそらす。


「おおげさなんだよ、チカちゃんは。そんなめちゃくちゃに頼み込んだわけじゃないって」

「嘘。土下座までしようとしたんでしょ」

「ん……まあ、な」

 直前でチカちゃんに止められたから未遂だけどな。


「なんで、そこまでしてくれたの? わたしのこと、そんな好きでもないんでしょ?」

「そうだなぁ。実際、ひどい女だと思うぜ。口を開けば罵詈雑言。無自覚に暴言失言吐きまくる。根本的に人の立場を考えられない自己中だ」

「う……わ、わかってるわよ。ううん、最近ようやくわかってきた……」


「でも、おまえが人を傷つけたいわけじゃないのもたしかなんだよな。神崎はそういうからみかたしかできないやつなんだろ。で、困ったことに、そういう時ほどキラキラしてる。楽しそうで賑やかで、人の目を惹きつける」

「そ、そう……ま、まあそうかもね。わたしだもの」

 急に褒められ、やや戸惑いながらも、神崎はいつも通りにイキってみせる。

 ……うん、これなら安心だ。


「言いたいこと言って、言いたい放題言われて、それでも楽しそうに前に向かって走ってく。俺にはとてもできないことだ」

「七星ルリナだって、悪くはないじゃない。これからだわ」


 神崎のフォローには答えず、俺は続ける。

「俺は、スターって柄じゃないんだよな。リスナーの気持ちはたしかにわかるけど、リスクを負ってまでリスナーの気持ちを強く揺さぶる勇気がない。

 でも、七星エリカはそうじゃない。良かれ悪しかれ、七星エリカは注目の的だ。七星エリカは、いるだけで人の心を揺さぶるんだ」


 無難に、人を傷つけないようにしゃべるだけなら俺にもできる。

 だけど、そこから一歩踏み込んで、怒られるかもしれないことをぶっこんで、それを笑いに変えてしまうような度胸や技術が俺にはない。

 ほんと、ライバーってすげーと思うよ。生配信の一発勝負で、滑ったり怒らせたり傷つけたりするリスクを、毎回毎回負ってるんだぜ?

 七星エリカは、たしかに現状では問題が多いけど、そういう太い勝負ができるライバーだってことはまちがいない。

 七星エリカは、俺が自分にはないと思ってるものを有り余るほどに持っている。

 だから、憧れ、恋焦がれた。

 たとえヴァーチャルな存在だろうと、俺が七星エリカに惚れていたことはまぎれもない事実リアルなのだ。


「な、なによ。気持ち悪いわね。あんたがわたしを褒めるなんて」

 照れ半分、戸惑い半分の神崎に、

「敵を作らないほうがいいってのは、いまでもそう思うんだよ。ただ、敵を作ってでも前に進むことが必要な場合だってあるんだろう。俺はどこまでも無難だし、おまえはどこまでも危なっかしい。俺にはないものを持ってるから……だろうな。その先を見たくなるのは」


 俺は、神崎を正面から見た。

「なあ、いまでも嘘は悪いと思うか? 現実の話じゃなくて、配信での話だが」

「その話? えっと、いまはそうでもないわよ。もともと、頭ではわかってたのよ。Vtuberは、べつに嘘をついて楽しんでるんじゃないわ。みんなに楽しんでもらおうと思って、普段とはちょっとちがう自分を演じてるだけ。役者や手品師だって、ある意味では観客を『騙す』わけじゃない。でも、最後にはみんな笑顔になる」

「そうだな。楽しませるために吐く嘘もあるよな。リスナーだって、アバターの向こうに人間がいることなんか百も承知だ。ネットの向こうにいる人間が、自分がキャラに抱いてるイメージとは全然ちがうかもと恐れたりもしてる。でも、嘘とわかってても、その魅力的な嘘を信じて楽しむんだ」


 神崎がすこし迷ってから口を開く。

「わたしが嘘が嫌いなのには理由があるのよ」

「理由?」

「ええ。わたしね、小さい頃は嘘つきだったの。それも、かなり病的な」

「ええっ?」


 神崎は、すこし目を伏せて語りを続ける。

「まだうちにパパもいてね。ママとはあまりうまくいってなかったから、わたしは精一杯いい子にしてた。いい子にするために、たくさん嘘をついてたの。そうするうちに、いつのまにか、なにがほんとでなにが嘘かわからなくなっちゃった」

 神崎の告白に、俺は何も言えなかった。


「でも、しょせん子どものつく嘘でしょ? 歳とともに巧妙になってたとはいえ、バレるときはやってきた。両親が学校に呼ばれて教師から説教されたの。その夜に、パパとママはケンカして、ついに離婚することになっちゃった」

「教師がきっかけか……」

 どうせ、家庭に問題があるんじゃないかとでも言ったんだろう。

 教師は気軽にそういうことを言うよな。

 そのあと家に帰って、ふだん育児を母親に任せっきりの父親が、母親のことを責め立てる。俺にも似たような経験がある。うちは離婚することはなかったが。


「パパとママは言ったわ。絵美莉は両親に一緒にいてほしいかって。わたしは答えた。『ううん、わたしは平気。パパとママが幸せになれる道を選んでほしい』って。いい子づらして……嘘をついて」

「……優しい子どもだったんだな」


「どうかしら。子どもにそんなことを聞く親も親だけど、そんなときにも嘘をついて相手に合わせちゃうわたしもわたしだったわ。それ以降、わたしは嘘をつかないことにした。ママも、冷静になってから後悔したみたいね。それからは、自分の気持ちに正直になりなさいって言うようになった。まあ、今回美夏には嘘をついちゃってるんだけどさ……」

「しょうがないよ」


 俺は、しばし口を閉ざす。

 何を言うかは決めてきた。

 できれば自然な流れで、とは思ってたが、やっぱりこんなこと、どうしたって唐突な言いかたになってしまう。

 俺は言った。


「七星ルリナは、封印しようと思ってる」

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