#19 社長来襲
七星エリカが嘘を嫌う理由――
それを聞き出す前に、約束の喫茶店に着いてしまった。
前回神崎がジャンボパフェを食ってたのと同じ喫茶店な。
ドアを開けると、鈴の音とともに、店内の冷気が漏れてくる。
店内を見回す俺たちに、
「お、来たな」
奥の席でコーヒーをすすってた男性が、神崎に向かって手を上げた。
「奥平社長。生ではおひさしぶりです」
神崎が、よそ行きの声でそう答える。
神崎が奥平と呼んだ男性は、三十代の半ばくらいだろうか。
赤いアロハを着てて、まだ春だというのに肌が黒く焼けている。
にかっとヤンチャな笑みを浮かべてるおかげか、顔立ちの怖さのわりに親しみやすい印象だ。
(この人が……)
あまりメディアには顔を出していない社長だが、過去に一度ネットメディアのインタビューを受けている。
その記事によれば、奥平社長はもともとは芸能プロダクションにいたらしい。
が、「テレビにはもう飽きた」と言って、マイチューバー(ヴァーチャルではなく生身の)のプロデュースやマネジメントを手がける会社を設立した。
そして、Vtuberという概念が爆誕するやいなや、そこに新しい可能性を見出して、MAGIC/CASTをぶち上げたというわけだ。
……俺とは真逆の、行動力の権化みたいな人だよな。
サーファーみたいなルックスとあいまって、陰キャの俺としてはちょっとビビる。
神崎と俺は、社長のいるテーブル席に座った。
社長に向かい合って神崎、その隣に俺が腰かける。
「おお? それが絵美莉ちゃんの彼氏か?」
社長が俺を見て、にやりと笑ってそう言った。
「そ、そんなんじゃないです。昨日の配信を手伝ってもらっただけで」
「それだっておおごとだろうが」
「そ、そうですね」
「先に事務所に相談してほしかったってのは伝えとくぜ。大人としてな」
「はい……すみません。いろいろアクシデントがあって、急に手伝ってもらうことになっちゃったので」
「ていうか、ちゃんと紹介しろい」
「そ、そうでした。えっと、こちらはクラスメイトの人見……なんだっけ?」
「やっぱり覚えてなかったのかよ!」
「くはは! おもしれえ関係だな、おい!」
思わずつっこんだ俺に、奥平社長が爆笑した。
……いや、初対面で笑われると、どうしていいかわからなくなるんだが。
社長はひとしきり腹を抱えて笑ってから、
「わ、
「ええと、はい。神崎のクラスメイトの
「おう、マジキャスのファンだったわけか。楽しんでもらえてなによりだ。昨日はエリカの配信を手伝ってくれてありがとな。俺も心配してたんだ」
「結局、荒れてしまいましたけど」
「そうか? ま、他のライバーの配信に比べればな。だが、終盤はリスナーも、七星エリカの『ノリ』に慣れてきてたろ。悪くねえと思ったぜ」
思いがけない評価だった。
「えっ、そうなの? てっきり雷落とされるものとばかり思ってました」
意外そうに言う神崎に、
「俺は血の気の多いたちでね。ああいうにぎやかな配信は好きなのさ」
「そういう人もいるんですね」
「そうだな。まあ、少数派にはちがいねえか。もうちょい間口を広げねえと、人が増えねえってのはあるわな」
「こいつにも言われたんですけど、敵を作らないほうがいいってことですか?」
神崎の言葉に、社長が束の間考える。
「んー。間違っちゃねえよ。でも、敵を作る覚悟だって必要だぜ。広く浅くより、深く狭く響かせたほうが、強い反応が引き出せるからな」
俺と神崎は顔を見合わせた。
「これがチカちゃんならよ、ガチオタだけじゃなく、もっと一般客も楽しめるようにしねえと、人気が頭打ちになるぞって言うとこだ。あいつは、十六夜サソリに次ぐかもしれねえ逸材だからな。ニッチな性癖に特化した配信ばっかじゃもったいねえ。もっと広い舞台を見据えてほしいんだ」
「七星エリカはちがうんですか?」
俺が聞くと、
「昨日の配信をよ、おまえはどう思った?」
社長が質問で返してくる。
「ええと、さっき社長は悪くないって言いましたけど、俺はこのままじゃヤバいと思いました。だって、リスナーの反応を全然制御できてなかったですから。荒れたコメントを見るのが好きな人なんていませんよ。神崎にはなんとか抑えてもらおうとしたんですが……」
「抑えきれなかったんだろ」
「はい……」
俺と神崎が揃って下を向く。
「んー、こっからはややこしい話なんだがな。たしかに、抑えるべき場合もある。だが、あえて抑えず、とんがらせたほうがいい場合もある。わかるか?」
「抑えすぎると、七星エリカの個性を殺してしまうってことですか?」
「おう、よくわかってんじゃねーか、人見君」
と言って、社長はお冷やを一口飲む。
「昨日の配信に問題があったとすれば……だな。それは、七星エリカっつーキレやすい女に、怒りを全部抑えろと言っちまったことだ。そりゃあ、爆弾に爆発するなと言ってるようなもんだ。
爆発しねえ爆弾は、たしかに安全で、安心して見てられるかもしれねーな。でもよ、そんなもんはなんの役にも立たねえし、見てておもしろいもんでもねえんだわ」
強烈なダメ出しを食らい、俺は一瞬言葉に詰まる。
「昨日の配信を思い出してみろ。リスナーの反応がよかったのはどんな時だ? 七星エリカが怒りを抑えて大人の対応をしてた時か? ちげーだろ。七星エリカがブチギレてた時が、やっぱりいちばんおもしろかったんだよ。
ってか、最後のお絵かきはなんなんだよ! マジで腹抱えて笑っちまったわ! くそっ、思い出したらまた笑いが……ヒャッハハハッ! ギャハハ……ぐふっ、げほっ、がはっ……」
いきなり笑い出し、いきなりむせた社長が、お冷やを一気に飲み干した。
あぜんと見守る俺と神崎。
そのあいだに、喫茶店のマスターがドリンクとお冷やのおかわりを持ってきてくれた。
社長は口元を手の甲でぬぐって、
「ネットで叩かれたって死ぬわけじゃねえ。とことんまでやってみろ。十回中八回叩かれたっていい。一回か二回、悔しいけど笑っちまう、そんな配信ができればいいんだよ」
「いいんですか、そんなこと言って。事務所的には……」
「ふん、人見君。そいつはおまえが心配することじゃねえ。俺たち大人はそのためにいるんだ。ま、もっと年長のライバーだったら、すこしは配慮しろって言うけどな。
でも、七星エリカや天海チカみたいな若いライバーには、思う存分やりたいようにやってもらいてえ。他のライバーにとっても、いい刺激になるんだよ。大人になると、どうしたって小さくまとまっちまうところがあるからな」
「でも、スポンサーを敵に回すような発言とか」
「エリカが炎上しかねないことを言ってるのも事実なんだがな。それでもな、差別や偏見を煽るみたいな、『悪』としか言いようのねえことは言ってねえよ。おもしろいことを言おうとして、失敗して怒らせたってだけだわな。んなもん、このあいだはちょっと言い過ぎた、その程度で済む話なんだよ」
「え、オタクへの差別と偏見は?」
「オタクが迫害されてる!なんつーのは、オタクにとっちゃ定番のネタなんだろ? ちゃんとネタになる形で扱えるんならそれでいい。オタクがガチで少数派になるような場所でオタク叩きをするのはダセェけどよ、マジキャスの配信を見てる連中は九割方オタクだろ。居心地のいい安全な場所で、いじりあいを楽しんでるだけなんだ」
「そ、そうですよね!」
神崎が、我が意を得たりと顔を上げた。
「ち、ちょっと。こいつをあんまり調子に乗らせると……」
止めに入った俺に、社長が苦笑する。
「もちろん、失敗したらリスナーは減る。あっちこっちで叩かれたら、他のライバーにまで影響するわな。リスナーからお金もらって配信してんだから、失敗から学んで成長してもらう必要はあるんだぜ?」
「うっ……は、はい。がんばります」
「そう固くなるな。そいつに関しちゃ、そんなに心配してねえよ。そもそも、ただの高校生をライバーにした以上、失敗は織り込み済みなんだよ。大事なのは素質と伸び代だ。絵美莉ちゃんには素質がある。伸びるための努力もできる。だから俺は絵美莉ちゃんを、ヴァーチャルライバー・七星エリカとして起用したんだ」
「わたしの素質……ですか?」
「一言で言やあ、前に出る力があることだ。いまちょうど四期生の面接をやってんだけどな」
「四期生!」
思わず食いついてしまい、赤くなる。
マジキャスファンとしては聞き逃せない話だからな。
「す、すみません」
「いいってことよ。楽しみにしてくれてんのはありがてえ」
と言いながら、社長の口ぶりには迷いがあった。
「マジキャスなら、志望者は選り取りみどりなんじゃないですか?」
「まあな。それは否定しねえよ。マジキャスを立ち上げた頃に比べたら雲泥の差だ」
「じゃあ、何が気になるんですか?」
と、神崎。
「たしかにすげえ倍率だし、芸達者な志願者も山ほどいる。だが、俺にはどうも、そいつらが繊細すぎるように思えてな」
社長の言葉に、俺は思わず首をひねる。
「繊細、ですか? Vtuberのオーディションを受けるなんて、かなり勇気がいると思うんですけど」
「たしかにそれは間違いじゃない。勇気もあるし、自信も持ってる。だが、マジキャスがなまじ人気になっただけに、志望先としてはいくらから無難になったんだろうな。わかるか?」
俺にはわからなかったが、
「ああ、わたしが受けたときよりは、デビュー後に成功する可能性が高いでしょうね」
という神崎の言葉に納得した。
「Vtuber界隈の事情をちゃんと調べた上で、人気はあるがその分倍率の高い大手は避け、かつ倍率は低いが人気のない事務所も避ける。今のマジキャスの公募には、頭のいい、優等生タイプが集まりやすいってわけだな。つっても、学校の成績のことじゃないぜ?」
「要領のいいタイプってことね」
「そう、繊細で、叩かれるのが怖いから、事前に完璧な準備をしてからことに臨む。そういうタイプが多いんだな。そつがないから、面接対策もばっちりだ。毎度毎度感心するんだが、俺の一存で落とすこともある」
「そつがない……ですか。それって、悪いことなんですか?」
「普通の仕事なら、むしろいいことなんじゃねえか? マジキャスでも、事務所の仕事はどれだけそつなく段取りを踏めるかだからな。そつのねえスタッフがいると大助かりだ。
だが、ライバーはちがう。いや、ちがうってのは言いすぎか。半分合ってて半分間違ってるって感じだな」
「どういう意味よ?」
神崎が聞いた。
「事前準備で独自の世界を煮詰め切っちまうタイプのライバーもいるがな。そういうのは、七星エリカとは別種の才能だよ。エリカには、リスナーとのコミュニケーションの中で自分のスタイルを見つけていってほしいと思ってる」
「準備するなって言うんですか?」
「事前にウケるものを準備しようったって、おまえはまだ高校生だ。社会人まで含むオタク系男子のニーズにあったもんを用意できるとは思えねえ。
言っとくが、女だから、子どもだから無理だって言ってんじゃねえぞ? 単純に人生経験や社会経験が少ない以上、想像できる範囲が限られるって言ってんだ。
チカちゃんは、本人いわく、オタクの両親に育てられたサラブレッドなんだと。だから、あの歳でそういう勘所がわかってる。おまえは、オタクのオの字も知らねえだろ」
「う……そ、それは……」
神崎が口ごもる。
「だが、んなことは気にするな。ねえもんはねえ。
その代わり、おまえには普通の女子高生としての感性がある。世の中全体を見渡せば、チカちゃんの感性よりおまえの感性のほうが主流だろ?」
「そうかもしれませんけど。でも、マジキャスのリスナーは男性オタクが中心なんですよね?」
「べつによ、おまえがオタクになりきらなきゃオタクにウケねえってわけでもねえだろ。人間、ちがうからこそおもしれえってこともあるもんだ。おまえには独自の個性があるんだから、わざわざ不利なところで戦わんでいいってことなんだよ。
おまえの強みは物怖じしないことだ。反省しすぎないのもいいとこだな。どんどん前に出て、リスナーと押し問答しながら、リスナーのことを理解していけ。それは、繊細なやつには真似のできねえ強みなんだ。
炎上? けっこうじゃねえか。いいぞ、リスナーとケンカしても。もっとやれ。そのほうがおもしれえ」
「は、はぁ……」
神崎があいまいにうなずいた。
(もっとやれって言われてもな)
いままでやってきて散々失敗してきたのだ。それを抑えるどころか助長して、勝てるビジョンが見えてこない。
揃って黙りこむ俺と神崎に、社長が言った。
「エリカ。伸びねえ配信者の何が悪いかわかるか?」
「う、うーん……つまらないから?」
「おまえ、それじゃ答えになってねえだろ。伸びねえからつまらねえ、つまらねえから伸びねえ。それじゃ答えになってねえ」
「う……じゃあなんなんです?」
「大人しすぎるんだよ。ビジュアルがよくて、いい声も持ってるのに、一向に人気が出ねえ配信者がいるだろ? キャラがかわいい、声もいい。それだけじゃ、三十分もしねえうちに飽きられるんだ。なんでだかわかるか?」
「……わかりません」
神崎が首を振った。
社長は、俺に目を移す。
「じゃ、人見君はどうだ?」
「そうですね……よくあるのは、自分からは何もせず、ただリスナーからのコメントを待ってるだけの配信とか。せっかく質問をもらっても、ただまじめに答えるだけで、話が全然膨らまなくて。その配信者がどんなやつで何をしたいのか、全然わからないんですよね」
十分もしないうちに退屈して、ブラウザバックすることになる。
社長がおもしろそうに俺を見た。
「へえ、よく見てるもんだ。じゃ、なんでそうなっちまうかはわかるか?」
「ええと、まじめにやろうとはしてるんですよね。ただ、意識が受け身というか……」
「そうだな。最初から質問を『もらう』気でいやがるんだ。リスナーからネタをもらわねえと話ができねえってことなんだよ。リスナーに楽しさを『与える』のがおまえの仕事だろと……
そういうやつらは、よく言うよな。『なんでも聞いてください』ってよ。
そうじゃねえだろ。『いまからおもしれえことやるぜ!』っつって、リスナーをまずは楽しませる。自分がどんな人間かをわからせる。話はそれからじゃねーか」
「……たしかに、初対面の相手になんでも聞いてくれと言われても困りますね」
それでも、デビューしたての新人までチェックしてるようなVtuberファンなら、定番の質問を投げかけるだろう。
でも、その質問に定番の答えを返すだけじゃ、そのVtuberならではの魅力は伝わらない。
デビュー直後で関心を持ってもらえてるうちに「ならでは」の魅力を伝えられなければ、リスナーは時間とともに潮が引くように消えていく。
なにせ、マイチューブに限ってもVtuberは既に2万人もいる。
そのうえ、大手事務所が矢継ぎ早に新人を世に送り出してくるんだからな。
リスナーの可処分時間が限られてる以上、リスナーはどのライバーを追いかけるかを選ばざるをえない。
いや、選んだつもりなんてなくても、どのライバーも応援したいと思っていても、登録だけしていつのまにか見なくなってるという形で、リスナーはライバーから離れていく。
新しい個性が次から次へと現れる中で、リスナーの注意を惹きつけ続けるのは、とんでもなく難しい。
人間ってのは、見慣れたものより新しいものに注意を惹きつけられるもんだしな。
……その意味じゃ、七星エリカはリスナーの注意を惹きつけるという点に関して
炎上しても火の気も立たないよりはずっとマシ……とは言いたくないが。
「人見君はいま、そいつらもまじめにやろうとはしてるっつったな」
「え、はい。ちがうんですか?」
「ちがくはねえよ。まじめはまじめだ。だが、テストが配られるのを待ってから答えるタイプのまじめさだな。他人から与えられるのを、ただまじめ面して待ってりゃいいと思ってる。
そいつらは結局、サボってんだよ。ネタはリスナーからもらえばいいと甘えてる。そのくせ、ひょっとしたら人気者になれるかもと、根拠もなく期待してやがるんだ。
マジキャス補正があれば、自分も人気Vtuberになれるかもって? ふざけんな、うちのライバーたちが必死でがんばってきたからこそ、マジキャスってだけで期待されるようになれたんだ。そこに貢献する気がないどころか、寄らば大樹みたいな発想でうちの門を叩くやつが多すぎる……。まあ、贅沢な悩みなんだろうけどよ。
っとすまん、愚痴になっちまった。ったく、歳を取るといけねえな」
「い、いえ……」
人気急上昇中の事務所とはいえ、社長も大変なんだな。
社長が、お冷やをぐいっと飲み干した。
「なあ人見君。うちのライバー同士のからみを見てどう思う?」
「どうって……仲がよさそうだな、と。こいつだけはべつですが」
「ちょっと! どういう意味よ!」
そのまんまの意味だっての。
「だな。実際、うちのライバーは仲がいいよ。タテマエじゃなくて本当にそうだ。俺が芸能事務所にいたって話はしたっけかな?」
「インタビューで読みました」
「おっ、すげえな。あんなマイナーなウェブ記事まで読んでんのか。ひょっとして、ライバー志望だったのか?」
「い、いえ、そんな! 俺なんかじゃ、とても……」
慌てて否定する俺を、社長がまじまじと観察する。
最初は興味の光が混じっていたが、数秒後にはその光が消えていた。
「……ま、人それぞれだからな」
社長が、火の消えたような声でつぶやいた。
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