#20 七星エリカというライバー

「あー、なんの話だったっけかな」

「芸能事務所の話でしたよね?」


 俺は内心の動揺を隠して話を戻す。

 心の底を見透かすような社長の視線が、俺には怖い。


「ああ、そうだったな。あの世界は、マジでドロドロしてんだよ。同じ事務所に所属してても、ライバル同士みたいなもんだからな。その点、Vtuber同士の仲の良さが、俺には新鮮だったんだ」

「そうなんですか」

「最初は緊張感がねえのかなとも思ったが、そういうわけじゃねえんだ。やっぱこう、同じもんが好きなもの同士の共感があるんだな。そりゃ、人間同士なんだから、トラブルがまったくないとは言わないけどよ」

「そうなんですか」

 ……なんていうか、イメージ通りだな。

 実際はめちゃくちゃ仲が悪い……とかだったらイヤだなぁと思ってたんだけど、そうじゃないようで安心した。

 まぁ、俺のすぐ隣に、てぇてぇとは無縁の女がいるんだけどな。


「だが、シビアな話、ライバーの人気にはどうしたってばらつきが出る。はたから見てるほうがわかるだろ?」

「え、ええ。まあ……」

 俺はぎこちなくうなずいた。


「マイチューブのチャンネル登録者数、メンバーシップの登録者数、ウィスパーのフォロワー数、ハイチャの収益……。Vtuberってのは、人気が数字ではっきりわかっちまう過酷な商売だ」

「そう、ですね」


 俺は、最近話題になっていた海外のウェブサイトのことを思い出す。

 マイチューブのハイパーチャット収益を、チャンネル別にランキングにしたものだ。

 このランキングは、Vtuberに限らず、マイチューブ上に存在するあらゆるチャンネルを合わせたものだ。しかも、日本だけでなく全世界のチャンネルが集計対象になっている。

 驚いたのは、その世界ランキングトップ10のうちの八人が、日本のVtuberだったことだ。11位以下にも俺の知ってる顔がずらりと並んでいた。

 マイチューブの手数料を差し引いても、彼女ら・彼らはハイパーチャットだけで数千万円を稼ぎ出したことになる。

 マジキャスでは十六夜サソリが4位に入り、チカちゃんが23位だったかな。もちろん、七星エリカは圏外だ。


 当たり前だけど、後輩のほうが先輩より稼いでるなんてことはざらにある。前は人気だったが最近は伸び悩んでいる、なんてことも、数字を見れば一目瞭然になってしまう。

 その数字を比べてあれこれ品評する人たちもネットには多い。分析として面白いものも多いけど、「あいつは最近登録者数減ってるな」というような心ないつぶやきもやっぱある。つぶやくなとは言わないけど、せめてライバーさんの目の届かないところでやってくれればな……。


 登録者数で誰が誰を抜いた!みたいな、推しの違うファン同士のマウンティング行為もちょくちょくある。

 あと、箱推しがすぎるあまり他の箱に無意味な敵愾心を燃やして、何かあるたびに「あの箱は終わったな」とかウィスパーでつぶやいちゃうやつ。

 終わってるのはおまえだろうと言ってやりたいが、ウィスパーでそういうのに絡んでいいことなんて何もない。

 結果、どうかしてるやつのどうかしてるコメントばかりがウェブには残るというわけだ。


 たぶん、ライバーさん自身は数字に一喜一憂しないように心がけてると思う。

 でも、本人が自制してても周囲の人たちが気にするってこともあるだろう。

 一部の厄介オタクがやりがちなように、そういう数字でライバーを比べて優劣を論じ出したりな。


「もちろん、数字がすべてなんてつまんねーことを言うつもりはねえよ。数字には出ねえおもしろさだってあるからな。だが、経営側としてはまったく気にしないわけにもいかねえんだ」

「そう、でしょうね」


 社長も言ったように、数字=おもしろさとは限らない。

 ニッチな路線やマイナージャンルで勝負するライバーは、数字の上ではメジャー路線のライバーよりも不利になる。女性ライバーのほうが、男性ライバーより人気が得やすい傾向もある。他のライバーとからむことで真価を発揮するタイプのライバーは、登録者数以上の価値があるはずだ。

 ライバーの存在価値は、単純な数字だけではわからない。ライバー同士の相乗効果によるおもしろさ。多様なライバーがいることで、配信に飽きがこないこと。俺がマジキャスを箱推ししてるのも、そのあたりに理由がある。

 とはいえ、運営する側からすれば、収益に直結する数字が気になるのは当然だ。


「努力すれば数字が上がる、なんつー甘い話でもねえ。人気ってのは、努力だけじゃどうにもなんねえ部分があるからな。

 だが、どうにもなんねえのに、数字だけは一人歩きする。で、それぞれの事情なんぞ無視して、数字の大小だけで比較されちまう。

 これはキツいぞ。共演者が、自分よりあきらかに人気だったりするわけだ。もちろん、リスナーだって露骨には比べねえ。でも、差を実感せざるをえねえ場面はどうしたってある。

 たとえライバー同士の仲がよくたって、内心では苦しいこともあるんだぜ?」


「……そんなふうに考えたことはなかったですね」

 でも、言われてみればその通りだ。

 クラス内のモテるモテないですら、トラブルの原因になったりする。

 お金のからむ人気商売となればなおさらだろう。


「俺が七星エリカを評価してるのはそこだ。こいつは、たとえ誰かに嫉妬したとしても、それで落ち込んだり、気持ちをこじらせたりはしねえだろ。逆に、なにがなんでも勝ってやると思って、いっそうしゃかりきになるはずだ。たとえいまは負けてたとしても、そこで縮こまって勝負を避けたりはしねえんだ」


「え? そんなの当然じゃない。落ち込んでても何もいいことなんてないんだし。最後に勝てれば十分でしょ」

 神崎があっけらかんと言った。

 何を褒められてるのか、本気でわかってないようだ。

 さっきからのライバー同士の関係の話も、うっすら退屈そうに聞いていた。


 社長が苦笑する。

「な、坊主。七星エリカっつーのはこういうやつなんだ。ライバーとしての常識的な心得をこいつに説いたってしょうがねえだろ?」

「……ですね」

 俺も、社長につられて苦笑する。


 話に置いてかれた神崎がムッとして言う。

「なによ、感じ悪いわね。当てこすり?」

「いやいや、褒めてんだよ。

 今回チカとコラボさせたのは、エリカにはカウンターパートが必要だと思ったからだ。同じレベルで殴り合いができるようなやつがほしかった。チカならやれるかと思ったんだが、本当の殴り合いになっちまった。あいつもクセがあるし、まだ若い。毒をもって毒を制する作戦は、正直俺の見込み違いだった。すまんな」


 社長が神崎に謝った。

 神崎は、その謝罪に複雑そうな顔をする。


「……今日、チカちゃんにも会ったんですよね? チカちゃんにも同じことを言ったんですか?」

「いんや。たしかに会ったが、あいつには発破をかけておいた。おまえならやれただろ、エリカの暴走を吸収して指向性のある爆発に変えろ。そう言った」

「……つまり、わたしにはできないけど、チカちゃんにならできるはずだ、と」


 社長は、その言葉を聞いてにやりと笑う。

「おまえは殴られても前向けるやつだから、正直に言ってやろう。

 そうだ・・・。チカには、あれくらいいなして笑いに変えろ。そういう芸を身につけろ。それができねえと、いつまで経ってもうちのエースには追いつけねえぞ。そう伝えた。

 一方でおまえだが、そういう芸に関しちゃ見込みはねえ。十六夜サソリはおろか、天海チカにも勝てねえだろう。才能の土台がちがうんだ」

「……っ!」

 神崎が悔しそうに唇を噛んだ。

 それを、社長はニヤニヤと見守ってる。


 社長が俺を見て言った。

「坊主にも言っとくぜ。昨日の路線を目指しても、こいつがトップに立てる日は絶対来ねえ。

 なあ、坊主。学校じゃ、なんでも努力すればできるようになると教わるな?」

「え……まあ、そうですね」

 がんばればテストで点が取れる。がんばれば逆上がりができるようになる。ほら、世の中のすべてのことは、あなたががんばりさえすればできるのよ。

 単純化しすぎかもしれないが、学校はそういう原理で動いてる。


 だが、社長は首を振った。

「残念ながら、そいつは嘘だ。

 勉強やスポーツなら、ある程度はその通りかもしれねえな。もうすこし勉強すれば、一個上の学校に入れる。もうすこし練習すれば、地区大会に出場できる。

 だが、勉強やスポーツみたいにかっちりルールの決まった競争なんざ、世の中に出たらほとんどねえ。人気なんざその最たるもんだ。こんなに残酷でえげつねえ世界はそうそうねえ」

 鋭く宙を睨む社長に、俺と神崎が息を呑む。


 社長は、にやりと口の端を吊り上げた。

「だが、だからこそおもしれえ。魂と脳髄を振り絞って、おのれのすべてを賭けて立ち向かう。ルールなんてねえ。なんでもありだ。戦争と一緒だよ」

「戦……争」

「そう。その最前線に立つのがライバーだ。もちろん、俺たちは援助を惜しまねえさ。だが、カメラの前に立てるのはライバーだけなんだ。ライバーが人気を取ってこなくちゃ、なにひとつ回らねえ。いくら金を積んでプロモーションしても、いまの時代、視聴者からは見透かされる。金の力だけで、つまんねえもんをおもしろくすることはできねえんだ。

 何もねえとこにいきなり『おもしろさ』を生み出しちまう――そんな魔法みてーなことができんのは、やっぱりライバーだけなんだよ。『おもしろさ』を生み出すのは、組織には無理だ。強烈な個性だけが、『おもしろさ』を生み出せる」


 社長が俺たちの後ろを見た。つられて見ると、がらんとした店内で、窓の外はもう藍色に染まってる。


「責任重大だろ? だがな、責任なんて重いほうがおもしれえと思うぜ。ただぼーっと生きてるより、解決困難なモンと取っ組み合ってるほうが、よっぽど生きてる心地がしねえか?」

 社長は、そう言って立ち上がる。


「さあ、夜だぞ。配信の時間だ。おまえたちの戦場が、手ぐすね引いて待ってるぜ」

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