#3 七星エリカ、大炎上(46日ぶり・4度目)

「ええっと……コホン」

 チカちゃんは、かわいらしい咳払いをしてから話を進める。

 予定通りに進行しないとエリカが何を言い出すかわからない――そんな怯えが見えなくもない。

 

「まずは、チカアートのお時間です。ウィスパーに #ハッシュタグチカアート で投稿してくれた先輩のイラストを紹介します。今回も、たくさんのご応募ありがとうございました。すべてにリプはできなかったですけど、全部見させてもらってます。ちょっと数が多すぎて、見るだけでいっぱいいっぱいでした。はぁ……先輩って、よっぽど暇なんですね」

 チカちゃんが、リップサービスで視聴者をいじる。

 いつもなら、コメント欄が一気に盛り上がる流れだった。

 

 だがそこで、

 

「ほんとよね! こんな絵が描けるならお仕事にすればいいじゃない! ウィスパーにファンアートなんて上げても一銭にもならないでしょうに」


 エリカのあんまりなセリフに、時が凍った。 

 チカちゃんのアバターが、口を半開きにして固まってる。

 コメント欄すら、言葉を失ったかのように、流れが一瞬止まっていた。

 が、次の瞬間には、猛然とコメントが溢れ出す。

 

『不快』『信じられん』『みんな好きで描いてんだよ』『金がすべてじゃねえだろ』『金がほしくて来たなら帰れ』『ありえなさすぎて笑えてきた』……


 コメントを見て顔色を変えたのは、エリカではなくチカちゃんのほうだ。

「……っ。わたしは、先輩の絵を見るの、好きだから。ほら、この先輩のイラストとか、かわいいじゃないですか」

 チカちゃんが配信画面にイラストを載せる。

 俺は思わず、

「おっ、すげーな。プロの犯行じゃねえか」

 めっちゃうまかった。

 上目遣いにこっちを見上げてるチカちゃんの図。

 俺に絵心はないから細かいことはわからないけど、チカちゃんのキャラをちゃんと理解してないと描けない絵だ。

 文句なしに、チカちゃん愛に溢れた一枚だろう。

 

 だが、そうは思わない女がここにいた。

「たしかに構図はいいけど、公式絵と比べると線が歪んでるわよね? このあたり、もっとしゅって感じじゃない? チカちゃんがすこし太って見えちゃうわ。っていうか、胸大きく描きすぎでしょ。願望見え見えでキモいわよ」

「え、ぁ、ぁ……」

 続けざまの暴言に、チカちゃんが言葉を失ってる。

 トーク力の高さに定評のあるあのチカちゃんが、七星エリカの悪意なき暴言を、とっさに受け流すことすらできずに絶句している。

 

「や、やべーぞ、これ……」

 ネット越しに見てるだけの俺ですら、変な汗をかいてきた。マウスを握る手がヌメってる。

「エリリがやべーのは、本気で悪意がないことなんだよなぁ……」

 暴言王・七星エリカの配信をまともに見てるやつはあまりいない。掲示板でも、悪意の塊のように書かれてる。

 でも、俺の見たところではそうじゃない。

 ――七星エリカは、マジで悪意を持ってない。

 正真正銘、ありのままに、自分の思ったことを、そのまま口に出してるだけだ。

 だが、だからこそ厄介なのだ。

 

「あ、あのー……ですね。先輩への批判は控えてもらっていいですか? そういうコーナーじゃないんです。空気って、読めますよね?」

 チカちゃんが、怒気を孕んだ声でそう言った。

「ええっ? 絵を見せられたから、率直な感想を言っただけじゃない! 感想がほしくて送ってきてるんでしょ? 悪いところを指摘されたら、次からは直せばいいだけのこと。そしたら、絵描きとしても成長できるわ!」

「そ、そういうことじゃ、なくて、ですね……。わたしたちは、絵描きさんじゃないんです。専門家じゃない人が、絵の上手な人に思いつきでいちゃもんつけたってなんにもなりません。そんな資格もないですよね?」

「資格ってなによ。素人なりに感想くらい言ったっていいじゃない。絵師さんだって、素人の率直な……フィードバック?っていうのも、大事にすべきなんじゃないかしら」

 エリカが平然と言ってのける。

 

『クソリプすぎる』『マジで何様』『上から目線でプロレベルの絵を叩ける身分かよ』『ファンの気持ちを踏みにじる奴にVtuber名乗る資格があるんですかね』『ていうかおまえ、さっきから自分への批判コメガン無視してるよな? 率直なフィードバックだぞ。感謝して受け取れよ』……


 案の定、コメント欄は大荒れだ。

「っ。エリカお姉ちゃんの感想は、プロが参考にできるような高度なものだとでも言うんですか? わたしはこの絵を見て、素敵だな、愛してくれてるんだなって、感謝の気持ちしか浮かびません」

「高度かどうかは知らないけど、いち素人の意見として受け止めてほしいわよね。このわたしがそう思ったのはまぎれもない事実なんだから。チカちゃんは当事者だから、嬉しさで目が曇って絵を冷静に見れてないのよ」

「……ふぅ……わかりました。もういいです。

 先輩、申し訳ないですけど、今日のこのコーナーはここまでにしますね。後日、この埋め合わせはしますから」

 チカちゃんがそう言ってイラストを消す。

 

『気にしないで、チカちゃん』『ほんとなんなんだこの女』『お呼ばれしてきてドヤ顔でダメ出しとかわけわからん』『ふざけんな』……


 そこで、エリカの目線がすこし動く。

 たぶん、コメント欄を見たのだろう。かなりいまさらだが、エリカはスマホで配信してるらしいので、コメントを見るには画面を切り替える必要があるはずだ。

 荒れまくるコメント欄に首をかしげ、エリカが言った。

「ねえ。チカちゃんの配信って、いつもこんなに荒れてるの? 人気者も大変ね」

 エリカのマジで悪意のなさそうな言葉に、チカちゃんの顔が引きつった……ような気がする。アバターだからわからないけどな。

「っ……そ、そんなこと、ない、ですよ。先輩にはいつもよくしてもらってます。でも、今日はいつになく荒れてますね。どうしてなんでしょう?」

 と、チカちゃんが当てこする。

(珍しいな)

 チカちゃんは毒舌キャラではあるが、こんな言い方をするのは初めて見た。


 七星エリカは、当然のように、裏の意味には気づかない。

「さあ、見当もつかないわね。でも、わたしの配信よりは全然マシよ。チカちゃんが気を落とすことはないわ」

「そ、そうですか……。と、ところで、エリカお姉ちゃんって、ゲームはやる人です?」

 チカちゃんが急に話題を変えた。チカちゃんにしては雑な話題転換だ。かなり焦ってる感じだな。

 チカちゃんの焦りにはもちろん気づかず、七星エリカがかぶりを振った。

「ううん、全然。わたし、マジでわかんないんだけどさ。サッカーとか野球とかのゲームってあるじゃない?」

「ありますね。あっ、ひょっとして、そういう系が好きなんですか?」

 話に乗ろうとしたチカちゃんに、七星エリカが首を振る。

「じゃなくって。わたし、ああいうのをゲームでやりたがる気持ちがさっぱりわかんないのよね! 外に出て、友達とサッカーしたり野球したりすればいいじゃない。そのほうがずっとすっきりするし、美容にもいいわ。家でゲームなんて不健康よ」

「……そ、それは人それぞれだと思いますけど。ゲームにはゲームのよさがありますよ。開発者さんたちは心を砕いて作ってるんです」

 チカちゃんがなんとかフォローを試みる。

 チカちゃんは無類のゲーム好きだ。ゲーム会社から依頼を受けて、ゲームの実況配信をしたりもしてる。

「好きなら好きでいいけどね。わたしとは関係ないなってだけで」

「そ、そうですか……じゃあ、ゲームの企画もやめときますね」

 チカちゃんが投げやりにそう言った。


「……チカちゃんのことだから、七星エリカと一緒にできそうなゲームを見繕って用意してたんだろうな」

 ノープランで配信する即興に強いライバーもいるが、チカちゃんは事前準備をしっかりするほうだ。即興にも十分強いけどな。


 そこで、七星エリカが唐突に手を叩く。

「そういえば! 見たわよ、チカちゃんのテレビCM!」

 エリカが、初めて建設的な話題を振った。

 チカちゃんが、ほっとしたようにうなずいた。

「あ、見てくださったんですね。ありがとうございます。わたしなんかが地上波に映っていいんだろうかって思ったんですけど、好評のようでよかったです」

 天海チカは、最近飲料メーカーのテレビCMに出演してる。

 陽光輝く砂浜を駆ける、ワンピース姿のチカちゃん。

 最後にはドリンクのボトルを持って、画面に向かって微笑みかける。

 マジキャスで最初にテレビ出演したのは一期生の十六夜サソリだが、テレビCMはチカちゃんが初めてだ。CMを見てチカちゃんの配信を見はじめたってリスナーも多いらしい。

 

「すっっっ……ごくかわいかったわ!」


 七星エリカが……褒めた!

 それだけで驚いてしまうのもどうなのかと思うが。

「あ、ありがとうございます、エリカお姉ちゃん」

 チカちゃんが、顔をすこしほころばせて言った。

「オンエア日はとても緊張したんですけど、先輩以外の人たちからも好評で……」


「――わたし、あのドリンクって、甘くてベタベタしてて苦手なんだけどさ。チカちゃんのCM見てたら、ひさしぶりに買ってあげてもいいかなって思えたわ! そのくらい、あのCMはよかったわよ!」


「あ……ありがとう、ございます……?」

 チカちゃんが微妙な表情でそう応える。

 ……雲行きが怪しくなってきたな。

「飲料メーカーって、どうしてああも砂糖ばっかり入れたがるのかしら! 最近さぁ、味付きのミネラルウォーターがたくさんあるじゃない? レモンとかオレンジとかヨーグルトとかの」

「は、はぁ……ありますね」

「カロリーゼロだと思って買ったら、よく見ると砂糖がけっこう入ってるのよね! あれ、めっちゃ腹立つわ! あいつら、とりあえず甘くしとけば喜ぶとでも思ってんでしょ! こっちは年中ダイエット中なのよ!?」

「ま、まあ、そういうのもありますけど……わたしがCMに出させてもらったドリンクは、もともと原液を割って飲むやつですし。最初から甘いものを飲みたい人が飲むものだと思います」

「チカちゃんも罪作りよね! ただでさえ暑苦しい豚みたいなキモオタに、ゲロ甘いジュース飲ませてさらにぶくぶく太らせようっていうんだから! あははははっ!」


 ピキッと……なにかが軋んだような音がした。

 いや、そんな音はしなかったのだが、そんな音がしたような気がしたんだ。

 

「……もう我慢できません。すみません、先輩。あとでちゃんとお詫びしますので」

 何かを押し殺した声でチカちゃんが言った。

 

 次の瞬間、配信画面が暗くなる。

 左上に、「このライブストリームは現在オフラインです」と表示が出た。

 

「えっ……切断!?」

 マイチューブ側の事故ってセンはなさそうだ。

 直前の発言からして、チカちゃんが配信を切ったとしか思えない。

 七星エリカの暴言に耐えかねて。


「ま、マジか……」

 俺は暗くなった配信画面を前に呆然とした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る