#2 見えてる地雷、その名は
チカちゃんの配信画面は、几帳面に整理されている。
背景にはキラキラ輝く南の海が、目立ちすぎないよう、抑えられた色調で置かれてる。
右側には、背景を透過させたコメント欄。マイチューブからコメントを拾い、独自のデザインで表示してる。
左上隅には、ファンが作った「天海チカ・天壌無窮ラジオ」のロゴがある。ロゴは、配信のたびに入れ替わる。ファンが作成してウィスパー(言わずと知れたショートメッセージSNSだ)にアップしたものを、ファンの許諾を得て使ってるらしい。
それらの真ん中に、天海チカのアバターが立っている。
新進気鋭のイラストレーターが描いた、アニメキャラクターのような美少女だ。
3Dモデルで作られたアバターは、カメラで認識した配信者の動きや表情を、リアルタイムで反映する。
虚構のはずの美少女は、画面の中でまるで本物の人間のように息づいてる。
天海チカが、鈴の鳴るような心地よい声でささやいた。
「今日は、秘密のゲストを呼んでます。マジキャスの一期先輩に当たるお姉ちゃん。先輩、誰だかわかります?」
天海チカは、リスナーのことを「先輩」と呼ぶ。設定では高校一年生のチカちゃんは、リスナーの部活の後輩だ。常にですます口調で話しながら、時に先輩をからかったりもする。ちょっと小悪魔でコケティッシュな後輩。男子の妄想を具現化したようなキャラだよな。
「お姉ちゃん」というのは、同じ事務所に所属してる先輩ライバーのこと。マジキャス(MAGIC/CASTの略)では、先にデビューした先輩を姉や兄と呼ぶことがある。
チカちゃんの問いかけに、コメントの流れが速くなる。
『わからん』『かざみん?』『サソリちゃんは一期だからちがうな』『二期のライバーでチカちゃんとコラボしてない人なんていたっけ』『え、まさかとは思うけど』……
そこで、俺のスマホが振動した。
開いてみると、オタク友達の北村からのメッセージだ。
重いデータを送りたいから、パソコンのメールからファイル転送サービスにアクセスしてくれとのこと。
俺は、天海チカの配信画面とはべつにタブを作り、メールボックスを開く。北村からのメールを確認し、指定URLからファイルをダウンロード。
「ちょっとかかりそうだな」
俺はブラウザのプログレスバーを見てそうつぶやく。
そのあいだに、チカちゃんの配信が進んでる。
「あ、いま一人正解の先輩がいましたね。誰にもわからないかと思ったんですが」
チカちゃんのセリフに、突如べつの声が割り込んできた。
「ちょっと! どういう意味よ! わたしなんて誰にも望まれてないって言いたいわけ!?」
「……はぁ。あのですね、ゲストのお姉ちゃん。ホストであるわたしの紹介を待ってくれませんか? 進行の段取りがあるんです」
「うぐっ……ご、ごめん」
「と、いうわけで。フライングされてしまいましたけど、今回のゲスト、『七星エリカ』お姉ちゃんです!」
「ど、どうも。七星エリカです! エリリって呼んでね! あと、いますぐわたしのチャンネルを登録なさい! わたしもチカちゃんみたいに、登録者数20万人突破を目指してるから!」
画面に現れた、金髪のお嬢様風のキャラクターがそう言った。
サファイアのような蒼い瞳。すこし吊り気味の目尻。背が高めでスタイルがよく、スカートを兼ねたニットのワンピースがセクシーだ。手首のビーズのミサンガが、いいアクセントになっている。
すこしだけ背伸びした、今風のお嬢様って感じだな。
お嬢様が、肩にかかった髪を、ふぁさりと流すしぐさをする。
……もっとも、このモデルはそんな動作ができるようにはなってない。アバターの雰囲気で、なんとなくそんなしぐさをしたんだろうと思っただけだ。
「ええっ! エリリかよ!」
七星エリカと紹介されたキャラクターを、俺はよく知っていた。
その魅力と――悪評を。
だからこそ、人気絶頂のチカちゃんが、よりによってこいつをコラボ相手に選んだことに驚いた。
コメント欄も、驚きの声で溢れてる。
驚きの声――いや、ちがうな。
『ええー、こいつかよ』『こいつとだけはコラボしてほしくなかったな』『七星エリカが出るなら見るのやめようかな』『羽丘風見の配信でやらかしてたやつだよな?』『サソリちゃんが「見えてる地雷」って呼んだんだっけ?』……
「エリリ、嫌われてんなー」
傲岸不遜、唯我独尊なお嬢様キャラ。それ自体は悪いわけじゃない。むしろ、インパクトがあっていいと思う。
ただ、七星エリカの場合は……
「ちょっ……人の配信でいきなり宣伝ですか!? そういうのはせめて最後にしてくれません!? 最後でもどうかと思いますけど……」
チカちゃんが、冗談めかしてつっこんだ。
冗談めかしてはいるが、わりと本気で怒ってるようにも見えた。
いつも冷静なチカちゃんにしては珍しい。
七星エリカは、チカちゃんの苦言も、荒れるコメント欄も、まったく意に介さず言い放つ。
「いいじゃない、そんな細かいこと。せっかくチカちゃんの配信にお邪魔したんだもの。こんな機会を逃すなんてありえないわ! わたしにはお金が必要なのよ!」
七星エリカが胸を張る。
『帰れ!』『チカちゃんとからむな』『チカちゃんもこいつなんか呼ぶなよ』『事務所のテコ入れだろ。登録者が増えないエリカをチカちゃんが引き上げてやれっていう』『金金言われて誰が登録するんだよ』……
「うーん、これはひどいな……」
俺は普段、ネットで荒れたコメントを見かけても、見なかったことにするほうだ。いまどき、学校でもネットマナーについて教えてる。自分のスマホを持ったときからどっぷりネットに浸かってきた俺は、スルースキルなんて中学の頃に習得済みだ。
だが、今回に限っては、コメントに百パー分があるとしか思えない。
「そういうキャラで売ってるんだから、傲慢を演じるのはいいんだけどさ」
本当に傲慢に見えてしまっては、エンターテイメントとして成り立たない。ただリスナーを不愉快にするだけだ。
七星エリカには、数々の「前科」もある。登場した瞬間からコメント欄で叩かれてるのはそのせいだ。ま、登場した直後に、本人がさらに燃料を投下したんだけどな。
「俺は、嫌いじゃないんだけどな」
空気を読まない言動で嫌われてるエリリだが、その爆発力には、他の配信者にはない魅力がある。
北村にはゲテモノ好きと言われるが、俺はエリリの大ファンだ。エリリ以外のマジキャスライバーも全員好きなので、「マジキャス箱推し」っていうのが正しいけどな。
「ライバーが助け合ったり刺激しあったりしながら成長していく過程も面白いんだよな。ちょっと悪趣味かもしれないけど……」
後方で腕組みして見守るプロデューサー気取り――そう言われてもあながち否定はできないな。
まあ、自分の中で完結してる分には大目に見てほしい。
って、話が逸れてしまったな。
七星エリカのことだった。
「今はまだ、調整過程だと思うんだよな。場数を踏むうちに超えちゃいけないラインがわかってくると……思うんだけどなぁ」
と、さっそく俺はプロデューサー気取りで品評する。
ただのユルオタ高校生が何様だって話だよな。
でも、七星エリカに好意的な
イジり、イジられっていうのは難しい。
表面的には暴言に聞こえるようなことでも、相手との関係やその場の空気次第で笑いになる。
仲のいい友達同士でのイジりあいなんてのはその最たるものだ。
でも、空気が読めてないイジりは、ただの暴言になってしまう。
イジられる側があきらかに嫌がってたり、イジりを見ている周囲の人が嫌な気分になってしまったり……。
テレビのバラエティ番組でも、たまに行きすぎて炎上することがあるくらいだ。プロの芸人でさえ、ときにさじ加減をまちがえてしまうような、めっちゃ難しい問題なんだよな。
最悪、それはいじめにまで発展しかねない。
俺はただのユルオタ高校生だけど……いや、だからこそか。そういうイヤな実例は、幼稚園・小学校・中学校と、枚挙にいとまがないほど見聞きしてきた。
「イジり」って言葉自体、ちょっと抵抗を感じるくらいなんだけど、他に適切な言葉もないから使ってる。
「エリカはいじめとかは嫌いなタイプだよな。正義感が強いっていうか。ただ、言葉がキツくて空気が読めないってだけで……」
……いや、それがVtuberとしてはわりと致命的なのかもしれないけどな。
その意味では、今日のチカちゃんとのコラボは試金石になりそうだ。
当意即妙の返しと限界スレスレの毒舌を持つチカちゃんはその手の愛あるイジりの天才だ。
チカちゃんになら、七星エリカの暴走を止められるかもしれない。
止めてほしいなー。
止めてくれるかな。
止めてくれるといいな……。
……ダメだ、俺が弱気になってどうするんだ。
あぜんとしてたチカちゃんが、なんとかフォローの言葉をひねり出す。
「ええと……このコラボをきっかけに、エリカお姉ちゃんの配信に興味を持ってくれる人が増えるといいですね」
だが、その言葉はどこかそらぞらしい。
いまのを見て、七星エリカの配信を見に行こうと思うやつなんているわけがない。
もちろん、七星エリカは、そんなことには気づかない。
「そうね! この際チカちゃんの先輩たちでも歓迎だわ! わたしの配信、見にきてね!」
七星エリカが、空気を読まずにさらにアピール。
チカちゃんが、エリカに何かを言いかけ呑み込んだ。
……俺の背中を、冷たい汗がつたっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます