Vtuberだけどリスナーに暴言吐いてもいいですか?

天宮暁

#1 画面の向こうとこっち側

 世界最大の動画投稿サイト・MyTubeには、2万を超えると言われる数のVtuber――ヴァーチャルマイチューバーが存在する。


 風呂から上がった俺は、スマホのアラームに気がついた。

 フォローしてるライバーが配信を始めた通知だな。

 つけっぱなしだったパソコンのブラウザでマイチューブを開く。


「今日は……チカちゃんの配信か」


 Vtuberグループ「MAGIC/CAST|(マジックキャスト)」所属の人気ライバー、天海あまみチカ。

 開場直後だというのに、コメント欄は沸騰していた。

 目が追いつかないほどの速さで、視聴者リスナーたちのコメントが流れていく。

 

『チカちゃーん!』『待ってました!』『やった今日は生で見れる!』『今週も生きててよかった』『闇鍋コラボってどういうこと?』『遅くなったけど登録者数20万人突破おめでとう!!』……


 画面の中央に、アニメ調の美少女キャラクターが現れた。

 肩で揃えられた藍色の髪。

 すみれ色の瞳。

 クールな中に、あどけなさを絶妙に残した美少女だ。

 ブルーグレーの美少女は、流れるコメントを小さくうなずきながら見つめてる。


「うん、やっぱかわいいよな」


 ただそこにいるだけで、天海チカは人の目を惹きつけて離さない。

 自然なまばたき。

 目線の動き。

 呼吸に合わせて膨らむ胸。

 無表情のまま、つや消しの瞳をこちらに向ける少女に、コメント欄がますますヒートアップする。


 最初の勢いが収まったところで、天海チカはかすかな笑みを浮かべて口を開く。

 

「こんばんは、先輩がた。はぁ……まったく。先輩はしかたのない人ですね。そんなにわたしの配信が見たかったんですか?」


『ひゃっほー! 生チカちゃんだぜ!』『チカちゃん後輩マジ後輩』『こんなかわいい後輩がいてたまるか』『チカちゃんに耳元で先輩って言われたいんじゃぁ!』『もっと罵って!』……


 天海チカへの愛に溢れたコメントが、すさまじい勢いで流れていく。

 その中にはハイパーチャット――配信者への投げ銭付きのチャットがいくつもあった。

 この一分たらずの間に、天海チカは数十万円を稼ぎ出したことになる。


「あいかわらず、すげーな。同じ世界の人間とは思えねえ」


 リアルタイムに表情を変え、リスナーのコメントに反応するVtuber。

 その距離感の近さは、テレビの芸能人や創作物のキャラクターとは一線を画す。


 テレビに登場する芸能人は、放送作家の用意した台本に沿って動く。

 アニメのキャラは、脚本家の書いたシナリオに則って行動する。

 彼らと視聴者のあいだには、製作者、番組、放送局、テレビカメラ、電波塔、アンテナ、テレビモニター……等々、さまざまな「もの」が挟まっている。

 芸能人にせよ、アニメのキャラにせよ、一般人にとってははるか遠くにいる存在だ。


 Vtuberはそうじゃない。

 ライバーが自分のパソコン(やスマホ)で配信開始のボタンを押せば、その瞬間、音と映像が全世界に向かって配信される。

 ライバーとリスナーのあいだに挟まっているのは、ネット回線とマイチューブだけだ。


 そんなこともあってか、リスナーは、自分のスマホやディスプレイのすぐ「向こう」に、彼女らがいるように錯覚する。


 だから、リスナーは熱狂する。

 熱狂して、応援したいと渇望する。

 その熱量が、コメントやいいねやハイパーチャットとなって、ヴァーチャル空間を席巻する。

 リスナーたちは、自分の「推し」たちが繰り広げるお祭り騒ぎを、その一員となって楽しむのだ。

 かくいう俺も、そんなヴァーチャルな熱に浮かされたうちの一人である。

 

 だが。

 冷静になってみると、俺と彼女たちとのあいだには、絶対に飛び越えられない谷がある。

 かたや、ヴァーチャル空間にしか存在できないVtuber。

 かたや、現実世界にしか存在できない、ただのユルオタ高校生。

 紙の上に引かれた平行線のように、どこまで行っても、俺と彼女たちが交わることはない。


 どんなに彼女たちに恋い焦がれても。

 どんなに彼女たちに憧れても。

 ディスプレイの「向こう」へ行くことはできないのだ。

 

 リスナーとしては、抱くべき感情ではないのかもしれないな。

 いくらVtuberに憧れたって、近づくことなんてできないんだ。

 仮にできたとしても、するべきじゃない。

 現実でもネットでも、俺はストーカーになんかなりたくない。

 憧れの存在に迷惑をかけたいなんて、これっぽっちも思わないさ。

 

 彼女たちを見て、応援したいと思うのは本当だ。


 でも、俺の場合はそれだけじゃない。


 こんなにも彼女たちのことが好きなのに――


 なぜ、配信を見るたびに、心の奥に消化できないもやもやが溜まってくんだろう?


 その答えは、とっくにわかっているような気もするし、絶対にわかりたくないような気もしてる。


 その答えを直視してしまうと、いろんなものが壊れてしまうから。

 彼女たちへの憧れが、別の歪な感情に置き換わってしまいそうだから。

 そうなったら、俺はもう、彼女たちの配信を素直に楽しめなくなってしまいそうだから。


 だから、今夜も俺は、自分の心のうずきに蓋をする。

 彼女たちの配信を楽しむために。

 

 だが、俺の推してる「あいつ」は、俺の事情なんてお構いなしに、今日も空気を読まずに現れた。

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