第十章 裏切りの騎士
1
国王からの勅命で王城にやってきていたジンを、まず出迎えたのは桃旗騎士団の団長であるユリアであった。彼女はジンを見るなり、麗しく笑って「君がジン=アドルフか。赤旗の紋章が出たと聞いたのだけれど、見せてもらうことは可能かな?」
「い、いや、見せるのは……」と顔を赤くするジンが考えたことを察して、ユリアはずいとジンに一歩近づく。
「私が殿方の腹部に恥じ入るように見えるか?」
「ユリア、そこまでにしておけ」
ユリアに困惑するジンと、そんなジンをからかっている様子のユリアの間にはいったのは、緑旗騎士団長であるドグ=ヘイオールである。ドグは、ずれた眼鏡を直しながら、ジンをじろりと睨みつけ「我ら団長格には、それぞれ旗の紋章が浮かんでいる。私は右腕、ユリアは……」
「私は腰骨のど真ん中さ。見てみるかい? ジン=アドルフ」
ユリアが顔を近づけてそんなことをいうので、ジンは「い、いえ、俺は」と慌てふためいた。ユリアは笑ってジンからようやく離れ「赤旗の紋章は脇腹だったかな?」
ユリアの問いかけにジンが答える間もなく、ドグがジンに畳みかける。
「ジン=アドルフ、お前も青旗騎士団長の頬に表れている青旗の紋章を見たことがあるだろう。あれや、私たちの持つ紋章は、すべて、儀式を行ったうえで継承している由緒正しいものだ。お前のそれはどうやって得た」
ドグがジンを責める口調に、ユリアも少々、同情を禁じえなかったらしく、今度はドグとジンの間にはいって「万病の森にいったときいたけどね……ヘールを生き返らせようとしたとか。涙ぐましいとは思わないかい、ドグ」と言葉をはさんだが、ドグとしては「だから何だというのだ」であったらしく、彼は鼻を鳴らし「あの男が生き返っていたら、アドルフ一族が打ち首になるところだった。それなのに生き返らせようとしただって? その結果、万病の森で紋章を受け取ってしまったと? 意味が分からない。
「俺は……一族のことは知らなくって……」
「――知らなかっただと? 存じないで済む程度なのか、アドルフ一族の首というものは? あの男も無駄なことをしたものだな。こんな子供の尻ぬぐいで死んだのに、本人は存ぜぬなど!」
ドグの言葉に、ジンはなにも言い返せず、口を堅く閉ざした。ドグを睨むことも、恨むこともお門違いだとわかっているからこそ、ジンは黙り込むしかなかったのだ。
――アドルフ家を守るため、司教の首を刎ね、そのあとすぐに討たれて死んだヘール=キャリス……英雄たるにふさわしい死に方をした男の従騎士は、そんな彼のあっぱれな死にざまも、邪魔立てしたのだ……
ジンは、自分の今回の行動をそう考えており、自身の本心は、話したところで誰にも理解してもらえないことも、重々に承知していたのだった。
ジンは、ヘールに憧れを抱いていた。だからこそ彼が
しかし、その英雄が、ほかならぬジンのせいでむごい死に方をし、喪に服すこともできずにその輝かしい生涯を閉じたことを思うと、もしかしてジンは悪魔かなにかであって、ヘールはその餌食になったのではとしか、ジンには考えることができない。
そんなことあるはずはない、と思っても、悪魔の自分が不相応にも――しかも敵方の――女神に近づこうとしてしっぺ返しを食らっただけだと考えれば、つじつまが合うようにも思えるのであった。
謁見の間に入って、ジンは言われるがまま、国王に頭を垂れ、膝をついていた。それはヘールが生前にしていたのとまったく同じ光景であったが、この団長たちがおし並ぶ謁見の間のなかで、当のジンだけがそれを知らないでいる。
「ジン=アドルフ、だったか。気分はどうだ」と王はまず尋ねたが、ジンに発言は許されておらず、この少年は顔を上げることもできずにうつむいて体を震わせている。
「お前は主人を裏切ったそうではないか。主人を、ひいてはこの私すらも。……そんなお前にぴったりの命を下してやろう」
王はたのしそうに笑っている――
「――祈師を裏切るのだ。お前であればあれの懐に入るのもたやすい。なにも殺せとはいわない。護衛を殺すのはここに並ぶ団長格たちに任せるさ……お前の任は、祈師の懐に入り、油断させて彼奴を捕えること。どうだ、嫌か? 答えろ」
体が震えてしまって、ジンは答えることができずにいる。王は笑った。冷酷ながら響く笑い声だった。
「嫌なはずがないだろうな? お前の特技だろう、裏切りの騎士よ! 祈師を裏切り、彼奴を捕えることに成功すれば、お前には英雄の座をやってもいい。得意な裏切りで昇格できることに、何の不満もないだろう?」
ジンは、国王の言葉で頭に血が上るよりも、どんどんと体が冷え切っていくのを感じていた。
――裏切りの騎士。裏切りが得意……それで英雄になるなんて……
ジンは、口を開いた。断るのも受けるのも考えていなかった。しかし、ジンはジンが思う以上に朗々とした声で「陛下の
2
――陛下の御心のままに……
ジンは、発言してからはっと我に返った。それは、まるで自分じゃないような声で、自分では考えられないような言の葉であった。
その返事を受けた国王は「なるほど」と頷いている。
「赤旗の紋章が継がれているのだったか。成程、その返事は聞き覚えがある……」
ジンが不思議そうに顔を上げる。国王はそれきりその話は打ち止め「その返事、ゆめゆめ忘れるなよ」とマントを翻し、謁見の間から出て行った。
すぐに横合いから出てきたのは、ジンにとってなじんだ顔であるトランであったが、彼が常にジンへ見せている様子とは違い、彼は厳しい表情で「ジン=アドルフ」とジンを呼んだ。
「一度しか言わないから、よく聞けよ。作戦はこうだ。お前が祈師のところへ赴き、うまく聖堂へ誘導しろ。そして聖堂の中に祈師がやってきたら、こう言え……祈師様、俺の友達が祈師様に会って祈りを捧げたがっているのです。だから、一瞬だけ、絶対守護力を解除してください、とな」
「……絶対守護力?」
「祈師の神通力は絶対守護力と呼ばれる。なにもかもを寄せ付けない、転移の力だよ」
「転移」と繰り返すジンに、トランは「とにかく」とさらに声を潜め、ジンの耳に口を寄せる。
「裏切りの騎士らしく、祈師を裏切って陛下に勝利をもたらすこと。それこそがお前の役目だよ、ジン=アドルフ。逆らえばヘールの死は
――ヘールさんの死が水の泡に……
「アドルフを根絶やしにすると……?」
「呑み込みがはやくてなにより」とトランは口元を襟で覆い隠す。その唇が、ジンには歪んでいるように見えたのだった。
3
カインが動いたのは、その日の夜であった。
黒旗としての仕事を進めながらも、この騎士は腹の底にずっと怒りを燃やしており、それはもちろん、一度でも情を分かちあったヘール=キャリスの首を取った聖騎士への憤怒であった。
カインがほかの団長格とちがうのは、カインにはヘールの従騎士であるジンへの怒りはほとんどなく、間接的な原因よりも直接的な原因のほうが――つまり、首を討った敵方の聖騎士のほうが――カインにはどうしても腹に据えかねた、ということであった。
カインは、ヘールを討った聖騎士の情報を手に入れると、それをすぐさまにヘールの友であったトランに売った。
トランも、ジンにというよりも、聖騎士に対しての怒りを持っていた輩のひとりであり「侵入するのも、殺すのも、この男のほうが自分より簡単だろう」とカインは考えたのだ。
「ひとりで討つにはもったいない」という底意地の悪い気持ちも、もちろんカインにはある。
情報を売るときになって、トランから動機をあけすけに指摘されたカインは、胸をそった。形のいい唇が「それのなにが悪いのかしら」とはっきり問い返したのを、先に問いかけた側であるトランが至極ゆかいそうに見ている。
「いや? 悪くはないさ。ただ、珍しいお客様だなと思っていれば、こんな血なまぐさい情報を売るときたものだから」
「いらないのなら帰るわよ」
「いらないということはない。こちらとしては、ただ一緒にどうだ、と、こういうわけだ」
トランの言葉に、カインもトランと同様に目を細めて笑う。
「ひとりでは怖いの? 坊主」
「売り言葉にもならないな。そっくりそのままお返ししようか?」
カインは聖騎士の所在地を書いた紙をトランの懐に突っ込み「あなたがいくべきでしょう? 腹にすえかねている
「それはありがたき幸せ、とでもいうべきか?」
カインが入れた懐の紙片を握りつぶし、トランは笑う。
背後の窓から、丸い月がぼんやりと青旗団長室を照らしている。団長室にはたくさんのがらくたが転がっており、トランはそのなかのひとつに
ちりちりと鳴る縫い目があらわになっている人形に手を触れ「魔術を使うのももったいないな。そうだろう」と笑った。
トランが笑いかけたその人形も、彼のその笑顔に反応したかのようにうっすらと微笑む。
「あいつが殺されたのと同じように殺してやるさ。そうでなければ復讐とは言えない」
新月の闇に身をひそめ、トランは仇の聖騎士の家に侵入した。魔術を使う彼にとって、一般的な住居に入り込むことはとてもたやすく、夜があける前には、すでにトランは聖騎士の首を持ってでてくる寸法であった。
トランはあえて、青旗の騎士や赤旗の騎士などをひとりもつけず、単独で聖騎士のもとにのりこんだ。
「寝首をかくのも良いが、どうせならば」と、トランはわざと寝ていた聖騎士を起こし、自分の命を狙うものへの恐怖で聖騎士が家中を駆けまわるのを見ていた。端から端へ走り回る彼が、ついに地下室へ入り込んだのを最後に、トランは彼を地下の壁際に追いつめて、口元だけを歪ませる。
「殺さないでくれ、戦争だったんだ、彼のことだろう。俺は好きであの鬼神を討ったのではない」と泣く聖騎士を見ながら、トランは口の端だけで笑んで「好きで討ったわけではなかったのか。そうだよなあ、戦争なのだから、そうかもしれない。だが、その嫌々討った男の首で、どれほどの甘い汁を吸ったんだ? 最期に教えてくれないか?」
「報酬をたんまりともらったときいたのだけどなあ……はて、俺の聞き間違いだったのか……」
「そ、そうだ、聞き間違いだ」と、トランの言葉を繰り返し、男は
男に対して、トランはいまも笑っている。
「仕方がない、戦争だったのだ。だから仕方がないんだよ……俺が、お前を殺すのも」
トランは男が使った武器とおなじ形状の剣を取り出す。男がのどを鳴らす音を最後に、男の首を
4
作戦の決行日、ジンは心ここにあらずではあったが、ジンの意志に反して、ジンの体は淡々と任務をこなしていた。
司教のいなくなった教会は統率がとれておらず、王国軍の騎士たちが入り込むのはいたって簡単であり、祈師をうまく誘導する必要もなかった。
祈師は自分のからに入り込むように聖堂にいて、残った聖騎士たちのために神通力を使い続けているようであったからだ。
ジンは顔なじみであったため、当たり前の顔をして聖堂に入り込み、その中心で祈りをささげる祈師に、トランに言われたそのままの言葉を投げかけた。
「祈師様、俺の友達が、祈師様に祈りたいというのです。なので、その……神通力を、一瞬だけ解除してほしいのですが……」
そのジンの言葉に、祈師はにっこりと笑った。いつも通りに、美しい女神の顔であった。
「いいわよ、ほかならぬ、私の騎士様の頼みですもの!」
奥でオルガンを弾いていた聖女が、そんな祈師とジンに首をかしげているのをよそに、聖堂を包んでいた光がゆるやかに消えていく。きらきらと陽光のように輝いていた光が落ち着いてから、ジンは一瞬、たしかに、緊張からつばを呑んだのであった。
扉が激しく壊される音、祈師が目を見開くより早く――祈師を反射的に庇ったカルカの背中に――突き刺さった矢、滴る血を見ても、ジンは声ひとつ、指ひとつ出せなかった。
身をていして自分を守り、散っていくカルカに、なにが起こったのか理解できない祈師が、驚きと恐怖で泣き叫ぶ。
「カルカ、カルカ!」とカルカの名を呼んで、その体を胸に抱く祈師の姿を見て、ジンははっきりと、ヘールの「それでいい、よくやった。これで陛下もお前を許してくださる」という声を聴いたのだった。
王国軍の騎士たちが、カルカの亡骸を抱く祈師を取り囲む。
もはや祈師は神通力を使うことも思いつかないほどに取り乱しており、周囲を眺めてから、彼女はそんな彼女を見下ろす、ジンを見上げた。あの美しい翡翠の目と表情が、ありありと絶望を表しているのを、ジンも見ている。
「ジン」と、彼女は、ジンが自分に言い訳をするのを求めて彼の名を呼んだ。この一瞬、騎士たちに取り囲まれ、墜落した彼女に差し伸べたジンの手は、彼女にとっての英雄の手でなければならなかった。
ジンは口を開ける。彼は祈師に対して手を差しだしている。祈師がその手を取ったとき、彼は笑みもせず、しっかりと涙のあとをつけた祈師の頬を見ていたのだ。
「祈師様。ご同行願います」
ジンの言葉に、騎士たちが一斉に、祈師に対して槍や剣の矛先を向けた。拒絶を考えつかないほどに、祈師はその瞬間、たしかに、自身の心が壊れたのを知ったのである。
ジン=アドルフは、その一週間後には身分を格上げされ、王に勝利を与えた英雄として赤旗の副団長の補佐となった。
補佐、という身分に対してよりも、ジンは、あの日に耳元で聞こえた久しい主人の声の、その残酷さを思っていた。
――ヘールさんは、俺の中にいる
ジンのその予感を決定づけるものは、彼自身の武勲であった。
いままでではありえないほどの判断の速さと、それに見合わない自身の武術も、陛下からの勅命をまったくもって断れなくなった自分の空っぽさも……ジンは知らず知らずのうちに、ヘールに手を引かれ、外面だけのむなしい英雄になっていく気がしていたのだ。
そのうち、ジンは感情を失っていった。感じる心を持っているだけ、自身が疲れてしまうことを知りすぎたのである。
その代わり、祈師が幽閉されている、王城の小さな聖堂には足しげく通ってしまっており、しかしそこで祈師と会うわけでもなく、ジンは遠くから、祈師の居るその小さな窓を眺めていたのだった。
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