第一章 ジンとヘール

 貴族の次男坊に生まれたって、良いことなんてなにもない、格式ばかり重んじるような家で窮屈に暮らし、長男ほどの才覚も見せられず、ただ騎士として埋もれていくだけなのだ――と、ジン=アドルフは本気で思っていた。

 その日も父親のゼナーゼから「それで、覚悟は決まったか? ジン」と訊ねられて、ジンは少々腹を立てていた。ジンの隣でこんなときばかり従順な顔をしている、金髪と翡翠色の目が美しい幼馴染の侍女にも、ジンは心の中で悪態をつく。

「俺はその話、嫌だって何度も言っているんだけど」

「覚悟は決まったか、と訊いているんだ、私は。お前のような次男に、そのほかにどんな将来があるんだ?」

 痛いところを突かれ、ジンはますます表情を強張らせる。椅子から尻を浮かせたジンの服の裾を、侍女が咎めるように軽く引いた。

 それで、ジンも嫌々ながら、椅子に座りなおす。

「どんな将来もないよ」

 不貞腐れてジンが答えると、ゼナーゼは皿に向かって伏せていた目を上げた。

 肉類が苦手なゼナーゼは、今日もまた野菜ばかり食べている。フォークを置いて、彼はワインを口に含んだ。そういう父の勿体ぶった態度も、ジンの苛立ちに拍車をかけるのだ。

「ヘール叔父さんの従騎士になりなさい、ジン。これは命令だ」

「今日の父さんはどうも本気らしい」と、ジンはこれみよがしに大きなため息を吐いた。

 部屋に戻るとすぐに、ジンは侍女のフレアと一緒に、叔父のもとへいくための荷造りを始めることになり、不機嫌を隠すのも億劫になってベッドに寝転がっていた。

「荷物をつめるのは侍女の役目だろう」とジンが言わなくても、フレアにはその考えが伝わっているらしい。

 彼女の忙しくはためくスカートの裾を、ジンはぼんやりベッドの上から見ていた。

「ジン様。あまりへそを曲げているのもおかしいですよ」

 ひとりで荷をつめるのに飽きたフレアがそういうと、ジンは寝転がった体勢のまま、頬杖をつく。

「お前に俺の気持ちがわかるものか」

「わかりません。せっかく御父上がジン様に将来を与えてくださったのですよ。こんな放蕩息子に!」

 幼馴染だからこその遠慮のなさを発揮するフレアから目を逸らし、ジンは枕に顔を埋めた。

 はああ、と深いため息が、ジンの口からもれる。

「叔父さんなんて、ほとんど会ったこともないっていうのに」

「見ず知らずの親戚に嫁ぐ、少女みたいな台詞……」

「フレア!」

 フレアのからかいに対して、ジンが真っ赤になって短くその名を叫ぶ。フレアは朗らかに笑い「赤旗騎士団長にして、美形の英雄、ヘール=キャリスの従騎士。物語みたいだわ」

「じゃあ俺と代わろう、フレア」

「それは御免……」

 歌うように呟いて、ジンに背を向け、荷造りを再開したフレアの揺れる長い髪を見ながら、ジンはうつ伏せから仰向けに体勢を変えた。

 見慣れた自室の天井を見上げ「この部屋もあとすこしで出ていくのだな」と思っても、口うるさい父のことを思い出して「それはまあいいかな」などと思うのだから、不思議なものである。

 ――それでもやはり、英雄の従騎士なんて得体の知れないものになるのは……

 赤旗ヘルト騎士団、というのは、王国の騎士団、その頂点のことである。赤旗ヘルト黄旗ノブレッス青旗マクラン緑旗メディクス桃旗シェーン紫旗シェルタにわかれた騎士団たちは、それぞれの名称ごとにそれぞれの役割があり、そのなかでも地を駆け前線で戦う赤旗ヘルト黄旗ノブレッスは、少年たちにとってあこがれのものでもあった。

 育成に努めている黄旗に対して、赤旗は本物の戦士たちの集いである。

 そしてその赤旗の頂点であるヘール=キャリスは、王から寵愛を受け、自身も王に無二の忠誠を誓っている、この国の英雄たるに相応しい人物だと噂されていた。

 ジンだって、少なからず、彼にあこがれたことはあるが、それでも「自分の未来が、否応なしに誰それの冴えない従騎士なのだ」と気が付いた時点で、騎士への憧憬は霧散していたし「君はその英雄の従騎士になれるのだよ」と言われても、それに対して「面倒だ」という気持ちしかわかない程度には、ジンは夢を忘れていたのであった。

 十五歳になったばかりのジン=アドルフは、貴族に生まれたというだけで、長男ではなかったために、自分の家からお払い箱、厄介払いされるだけの存在であった。その鬱屈を「なんとか爆発させないでいよう」と必死になっているジンに対して、傷口に塩を塗り込むように、世界は退屈に向かってとんとん拍子に進んでいくのである。

 叔父のヘール=キャリスの屋敷に到着し、ジンはまず自分の部屋に通された。その屋敷は質素な木造の建物で、しかしその大きさや内装は、さすが赤旗の団長を務めている英雄のものである。

 ジンが、自室だという小さな部屋で渋々荷ほどきをしていると、扉を誰かがノックした。

 どうぞ、と言い終わるより早く扉が開いたことに、ジンは驚いて非難の言葉を飲み込んだ。

「ジンか」と不愛想にジンを呼び捨てしたその赤髪の青年こそ、ヘールその人である。

「ついてこい」と言ってジンに背を向けた叔父に、ジンはなぜか逆らえず、その背についていく形で部屋を出た。

 叔父のヘールはゼナーゼとまったく似ていない男で、驚くほどの赤い髪に橙色の瞳が烈火のようである。

 ゼナーゼに見せられた肖像画そのままの姿で、ヘールはジンの前を行く。時折ちらりとこちらを見て、一言二言、ジンに問いかけるのだが、それもここで暮らすために必要最低限の質問ばかりだった。

 すっと通った鼻筋に、唇は薄く、その目は切れ長。涼やかな顔だと言えば聞こえは良いが、その纏う空気に隙がなく、まだ騎士になってもいないジンにさえわかるほどに、その緊張が伝わってくる――それが英雄と謳われる、ジンの叔父であるらしい。

 ヘールがジンを連れて部屋の外に出たのは、この屋敷内の構造を教えるためだったらしく、あらかた屋敷を紹介し終えると、彼は「仕事がある」と言ってジンを置き去りにしてしまった。

 渋々、迷いながらも屋敷の端から自室まで戻ったジンは、緊張やらなんやらでぐったりベッドに身を投げた。

「自分に割り当てられた部屋は、まるで侍従用のそれだ」とジンは思っていたのだが、屋敷を見て回って分かったのは、その部屋は「まるで」ではなく「まさしく」だということであった。

 豪華な客室やヘールの執務室と比べると、ジンの部屋はマッチの小箱、そのものだったのだ。

「とんでもないところにきたよな……」

 ――従騎士、というだけあって、まるで本当の従者みたいに、叔父さんは俺のことを扱っている……

「いや、従者よりは少し上の身分だろうか」とジンはその思考を訂正しながら寝返りを打つ。主人が屋敷の案内をするくらいなのだから、一応、ジンはヘールの中でも甥かなにかの括りではあるのだろう。しかし……

「侍女の一人くらい、つけてくれないかな」

 片付けに慣れていないために、荷をほどいただけで散らかった部屋を見回し、ジンはため息を吐いた。

 その日の夕刻、ヘールのもとに客人が訪ねてきた。ジンがそれを知ったのは、従騎士としての仕事を教わるため、ヘールの執務室ばかりを出入りするはめになっていたからだ。

 執務室に通されたその中年の騎士は、ジンを見てまず薄っすら微笑み、低い声で「君が、団長が引き受けた従騎士か」

「はあ、あなたは」とジンが言うと、その騎士は「先に、私に名乗らせるのか」と不遜な態度で問い返した。

「ジン、まずお前が名乗れ」

 ヘールが書類から顔を上げて、退屈そうにジンに指図する。ジンは一瞬戸惑ったあと、渋々「……ジン=アドルフです」と名乗った。

「アドルフ……男爵家かな? 団長の生家ではありませんでしたか」

「俺の甥だよ。面倒を見てやれ、グレイル」

 男性――グレイル=デマンドは「心得ました」と頷いて、ジンに一歩近づいた。

 ジンはその一歩の分だけ、後ろに下がりそうになる。そんなジンの様子を見ていたグレイルは、ジンからすぐに顔を反らしてヘールに話しかけた。

「これは、これは。お守が大変そうですね」

 お守、と言われて、ジンは思い切り頬を引きつらせる。そんなジンをちらりと見たのはヘールで、グレイルはといえば、ジンを視界にいれようともしない。

「まあ」とグレイルが言葉を切り「団長の従騎士なのですから、悪いようにはいたしません」

「こいつの訓練は、俺が直に見る。グレイル、お前は仕事を教えてやれ」とヘールが言うと、グレイルは目を丸くして「……? 団長が、直に?」

 そのグレイルの反応に、ヘールは少々、不機嫌に眉を顰める。グレイルは面白そうに「珍しいですね」と呟いた。

 二、三日、グレイルに従騎士としての説明を受けるうち、ジンは彼が赤旗の副団長で、ヘールの右腕であるのだと知った。

 それに対してジンは「そうなのですか」と頷いただけである。

「そうなのですか」以外の言葉が浮かばなかったのは、驚きもあるが、それ以上に、騎士や従騎士というものに対して、あまり興味が持てなかったからで、それでも、ジンは従騎士の仕事を覚えるのはわりあい出来ていたのだった。

 それもこれも、ジンは「自分がここにいるためにしなければならない役目」というものを察することだけ、得意であったのだ。

 ジンは、次男として生まれたときから「役目」を察しなければならない立場だった。

 ――長男のノースより目立たないように気を配り、問題視されない程度に活発で、それなりに不良なこともする次男坊……

 それらはすべて、周囲から望まれたジンの像を、彼なりに酌んだ結果であり、だからこそあんなに嫌だった、父から引導のように渡された従騎士の役目も、ジンは最終的に飲んだのだ。

 ヘールの屋敷にきて一週間が経過し、ジンは少しずつではあるが、必要最低限の仕事を覚えてきていた。

 しかし依然として、意欲といえるようなものはジンにはなく、ジンは家に捨てられた気持ちでヘールの仕事を手伝っていた。

 その日、ヘールはいつも以上に不機嫌に仕事をこなしており、彼はジンの顔をちらりと見て深いため息を吐いた。ジンが首を傾げるのと同じタイミングで、ヘールが強い口調で「ジン」と名を呼ぶ。

「やる気がないなら、いつでも出ていけ」

 ヘールの言葉に、ジンはたしかに、一瞬、時が止まった。ゆっくりその言葉の意味を考えて「……は?」

 情けない声がジンの口から洩れる。

「俺は暇じゃないんだ。お前のような従騎士なら、要らない」

 ジンは眉間に皺を寄せる。心臓がぎしぎしと痛み、我知らずジンは拳を握りしめていた。

「そんな、だって、あんたが俺を呼んだんだろう」

 咄嗟に言い返した、何の意味もないような言葉が、くうを切る。

 ヘールは鼻から息を吐き「俺が呼んだから、適当に仕事をするということか? ますます必要がない人間だな、お前は」

「どこかの従者でもやれば良い。それなりに家柄は良いんだ、どこかの貴族の家にでもなんでも、お前の父親ならつてがあるだろうし、な」

 ヘールの言葉に、ジンはつい「馬鹿に……!」と声を荒げたが、そんなジンの前にすっと立ち上がり、ヘールは激しく机を叩いた。

 その剣幕に驚いたジンが、とっさに言葉を飲み込むと、ヘールはジンに冷たく「馬鹿にしているのは、お前のほうだよ、ジン=アドルフ」と言い放った。

「アドルフ男爵家も落ちぶれたな。こんな尻の青いガキしか寄越せないなんて」

 冷笑するヘールに、ジンはなにも言えなかった。

 心の中で「あんたになにがわかるんだよ」「俺の気持ちなんて、これっぽっちも知らないだろう」と散々にののしっていたのに、そのどれもが喉に詰まる。

「出ていけ」と短くヘールが言ったのを皮切りに、ジンは自分の服と金だけを掴んで、馬小屋に荒い足取りで向かった。

 馬を走らせるにも、自分にはその馬すらいないことに気が付いて、悪態をつく。そんなジンと出くわしたのは、赤旗の副団長、グレイル=デマンドだった。

 グレイルはどうも「馬小屋のほうが騒がしいな」と覗いただけだったらしい。ジンの様子に少し目を丸くし、それから「ああ」とうなずき、グレイルから逃げるように馬小屋を出ようとするジンの行く手を塞いで「悔しくないのか?」と、グレイルは静かにジンに尋ねる。

 ジンは顔を上げ、グレイルを睨みつける。それが答えになったらしく、グレイルは「団長に叱られたようだな」と笑った。

「出ていくなら、それまでのこと」

 グレイルはジンに冷たい目を向ける。

「お前は、根性がないな」

 ヘールの言葉通りに家に帰るのにも、グレイルの言葉がジンの邪魔をする。

 仕方なく、ジンはヘールの屋敷近辺の森の中、湖の傍でうずくまっていた。

 湖に惹かれるようにやってきたのは良いものの、ここは少しだけ肌寒い。

 ――このままおぼれて死ぬのも、良いかもしれない……

「……なにをやっているんだろうな、俺」

 呟き、深いため息が落ちる。

 ――なぜ、自分はこんな目にあっているのだろう?

「理由は沢山ある」のだと、ジンもよくわかっているのだ。

 やる気も、根性もない従騎士など、自分がヘールの立場だったとしても、同じように怒鳴りつけて追い返すだろう。

 ――家に捨てられたことへの苛立ちがあるからといって、叔父さんにすがりつくことも、できなかったのだ

「宙ぶらりんだったからこそ、情けない醜態をさらしていたのだ」とはわかっていても、ジンは立てた膝に顔を埋めて、その場にじっと座り込んでいる。

 ――叔父さんのほうから、そういう俺をわかってくれたって……

 それこそ、ジンがヘールに甘えている証拠であるのだと、いまのジンは知っている。それでも何度も考えてしまうのだ。

 ジンのことを、ヘールは「尻の青いガキ」と罵ったが、それにかっときたジンだって、自分が子どもだと重々に承知していた。

 屋敷に呼んでくれた――それが本当かどうかは分からずとも――叔父に甘えるばかりで、仕事に精を出せなかった、子供っぽい自分。

 そんな自分が見限られただけであって、そこに矛盾などひとつもない。

 不意に茂みが揺れ、ジンが驚いて顔を上げると、茂みの中から、黒髪の精悍な少年が、虚を突かれた顔でこちらを見ていた。

「……あっ、びっくりした。獣かと思っただろう」

 少年はそうジンに言うと、詫びるように頭を下げてから、腰に帯びているなにかから手を離した。

 茂みをかき分けながらこちらに来て、彼はジンの顔をじろじろと眺める。

「あんた、もしかして赤旗団長の従騎士?」

 ジンは、とっさに「いや、俺は」と彼の言葉を否定した。

 彼がなぜそれを知っているのか、という疑問以上に「自分はもはや従騎士ではない」とジンがいまぐるぐると考えていたことのほうが、先に口から出たのだ。

 彼は「うん?」と首をひねり、顎に手をやる。

「でも、ヘール=キャリスの面影があるというか……たしか、従騎士は甥だとかって訊いていたんだけど」

「まあ、あんたが違うっていうなら、違うんだな。ごめん」と言って、彼は爽やかな笑みを浮かべる。腰に下げている武器を見て、ようやくジンは「ああ」と彼の身分を察することができた。

 ――剣を差しているということは、こいつも騎士なのか……

 彼の外見から「同い年くらいだろうか、ということは従騎士かな」と思ったジンは、気が付くと「俺はジン。ジン=アドルフ。お前は?」と彼に名乗っていた。

「ああ、まだ名乗ってなかったな。りゅうりゅう阿國あくにというんだ、よろしくな、ジン」

「ヒリュウ、アクニ?」とジンが首を傾げたのを見て「不思議な名前だろう。まあ、名前の話はまた今度にしよう」と飛竜は笑った。

 飛竜=阿國と名乗った彼を、ジンはようやく落ち着いて眺めた。

 黒髪をひとつに結い、それがうさぎのしっぽのように丸く跳ねている。眉が太く、顔立ちはこの国ではなく、どこか別の国のものであるようにジンには思われた……どんぐりのような目がきらきらと輝いている、少年らしい少年である。

「……ん、待て、アドルフ? アドルフ男爵家か?」

 飛竜がなにかに気が付いて、そうジンに問うと、ジンは「そうだけど」と返す。すると飛竜は、ジンの肩を強く叩き「お前! やっぱりヘール団長の甥だろう!? グレイル様がずっとその話を……あっ、いや」

 ぱっと口を手で押さえた飛竜に、ジンは「グレイル? 赤旗副団長のか」と問い返した。

 飛竜は目を逸らし「……そうだよ、グレイル様のことは訊かないでくれ。主人に怒られる……俺は気が良いのに、大事なところで口が軽いんだってさ」

 そう口をすぼめた飛竜に「グレイルが飛竜の主人なのか」とジンが問うと「違うよ、俺の主人はまた別だ。グレイル様なんて偉いお人じゃないし、ジンみたいな立派な主人の従騎士に聞かせたらきっと笑われる」と飛竜は照れたように笑った。

「笑われるって」と、飛竜の、主人に対する人物評に、ジンはつい苦笑する。

 飛竜は「いや、まあ、ちょっと冴えないだけで、すごく良い人なんだけどさ……」とうなじを掻いた。

「それにしても、どうしてジンはこんなところに? 森の中に丸腰でいるなんて。獣だって出るのに」

「ああ、それは……」

「あ、なるほど。もしかして、ヘール様に叱られたか?」と、飛竜に悪びれもせず図星を突かれ、ジンは真っ赤になった。

 そんなジンを見て、飛竜は笑い声をたてて「よくある、よくある。俺も時々、ジンみたいに屋敷を飛び出すもんなあ。でも、そういうときって、すぐに謝ったほうが良いんだよな。だいたい、こっちが悪かったりするし、そうじゃなくても……情けない話、俺にはもうほかに行く場所もないし、な」

 その言葉に、ジンはびっくりして瞬きをした。

 ――でも……そんな風にあっさりと叔父さんに謝ったって、何の解決にも……いや、一応、いまは解決するけれど……

「……あのさ」と、ジンは目線を地面の草花に落とし「あんたは、従騎士になったとき、なんていうのか……家に捨てられたなって、思わなかったか……自分が情けなくならなかったか。俺は次男として頑張ってきたのに、突然家から出されてしまって、いままであんなに、父さんや母さんのために、自分を偽ってきた俺はなんだったんだって、気分が悪くなって」

 飛竜は、ジンの言葉に黙り込む。ジンは知らず知らずのうちに、視線を落としたまま上げられなくなっていた。

「それはさ」と飛竜は言葉を区切り「ジンの事情はよくわからないけど、家の為にそうやって、自分を作れていたなら、ヘール様の為になるような従騎士になるって覚悟を決めることだって、ジンだったらできるんじゃないのか?」と、ジンに真摯に問いかける。

「ううんと、自分でもなに言っているのか、わかんなくなるなあ。でもさあ、なんていうのかな……発想の転換ってやつ、俺は結構好きでさ。いまこうだからつらい、より、ならこうしたら変わるかも、って思うのが好きで。だから人のために自分を作れるなら、今度は従騎士として立派な自分になろうって思えるんじゃないかって」

 飛竜の言葉に、ジンは驚いて顔を上げた。

 ジンにとって、誰かの基準に当てはめて自分を偽るのは情けないことであって、自分の一番悪いところだった。

 しかし、飛竜はそれを「人のために」と言った。

「そんなジンなら、主人のための従騎士にだってなれるのではないか」と。

「三点」と、ヘールはジンに向かって言い放った。

 ジンはあのあと、ようやく屋敷に戻り、ヘールに謝ったのだが、戻ってきた理由を問われ、渋々、飛竜に言われたことをそのまま伝えたのであった。

 それをきいたヘールの返事が、百点満点中の三点だという。

「三点……」とジンが脱力すると、「まあ」とヘールは言葉を続ける。

「殊勝な考え方だが、身を潰すぞ」

 ヘールの辛辣な物言いに、ジンは「なら、どうすれば?」

「時間ならいくらでもやるから、自分で考えろ。人に訊ねるのではなく、自分で気付かなければ、身にはつかない」

「俺の従騎士に、根性のない奴は要らないからな」とヘールはジン向かって口角を上げる。

「はあ……」とジンは、やや考えたのちに「物凄くわかりにくい人だな、この人は」と少々呆れてしまったのだった。

 仕事をこなすヘールに並び、手伝いをしているジンをまじまじ見て、グレイルは「まさか戻ってくるとは思わなかった」と笑った。

 昼間の光に、部屋に飾られた赤いマントの甲冑が煌めいている。それを見ながら仕事をしていたジンは、グレイルの言葉に目を瞬かせた。

「どういう意味ですか」とジンは唇を尖らせる。

「自分で考えろと言われたのだろう」とグレイルに言い返されると、ジンだって何も言えなくなる。グレイルは笑った。

「生意気なところも、根性のないところも、私が叩きなおしましょう。これは腕が鳴るというもの」とジンを見ながら、グレイルは呟く。

「お前はこいつのこと、気に入らなかったみたいだけどな、グレイル」とヘールがいうと「団長がお気に召したようなので。いや、気に召した、というのは言いすぎでしたね」とグレイルも返事をする。

「言いすぎだな。俺は様子を見ても良いと思っただけだ」と言い捨てたヘールに「まあ、まさかここに自分から戻ってくるとは、私も思いませんでしたから」とグレイルも微笑んだ。

 ジンは、その上司たちの会話をききながら、つい「あのまま逃げたって、居場所なんてなかったのだから仕方ないだろう」と拗ねてしまう。

 この二人はどうも「ジンはこの屋敷には戻ってこないだろう」と思っていたらしい。

「戻ってきたということは、それくらいの気持ちは持っていたのだ」ということを、ジン本人だけが知らない。

「これからよろしく、ジン=アドルフ。お前が王国騎士団に入れるかどうかは、これからの働き次第だから、よく覚えておくんだぞ」

 グレイルがそう言って、ジンの肩を強く叩く。その力の強さにジンは目を剥いて体を折り曲げた。

 その痛みに声を上げなかった自分を、ジンはこっそり心の中で褒める。

 そんなジンを見ていたヘールが、頬杖をついたまま目を細めていた。

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