第3話 ソウル・デバイス
エマはインデックスリングをそっと擦った。イヤーカフから声がする。
〈どうかしましたか、エマ〉
「ううん、なんでもないわ」
現在、エマが使用しているリングとイヤーカフのセットデバイスは第三世代、そしてシンが使用している人体に直接装着出来るタイプはその第四世代だった。
そして、第五世代ウェアラブルデバイスが発表される直前に事件は起きた。
第三世代からデバイスを使用しているヘビーユーザーの中から「当初の仕様には無いデバイスの表現形が確認された」という事例が多く報告されたのである。
その表現形を「まさに自分が求めていたものはこれだ」と驚喜する者も多くいたが「こんなものはいらない。今まで培った自己との対話情報をどうしてくれるんだ」とクレームを寄せるユーザーも当然いた。
慌てたメーカー側が独自にデバイスの解析を行った結果、デレーシステム内にブラックボックス化された領域が存在する事が判明した。
しかし、開発者のデレー博士は第四世代デバイスが発表された直後から消息不明となっていたのである。
デレーシステム内に問題があると判ったメーカーは更に焦ることとなる。
それは開発者であるサイモン・デレー博士はニューロサイエンスの研究者であると同時に応用脳科学者でもあったからだ。
応用脳科学を利用した「ニューロマーケティング」を行っていたのではないか、という指摘をユーザーから受ける可能性が出てきてしまったのである。
ニューロマーケティングによって得られる「無意識のデータ」と呼ばれる情報は「脳の本音」ともいわれ、そのバイアスのかかっていない良質なデータは、メーカー側としては喉から手が出るほど欲しいとされる情報だった。
しかし超高度情報化社会において、顧客の深層心理にまで迫った個人情報を商用目的で仕様することは、法律によって固く禁じられていた。
もしもそうした事実が仮にあったのであれば、多額の賠償と制裁措置が取られるのは目に見えていた。
そこでこの「デレーシステム」の構造解析を依頼されたのが、エマ・コラナとシン・カハールのいる「極東ニューロサイエンス総合研究所」だったのである。
エマは「神経工学及び理論神経科学」そしてシンは「システム神経科学」をそれぞれ専門としていた。
シンの食や感覚に対するこだわりはここに由来するのではないかとエマは考えていた。
「ねえ、シン。このソウル・デバイスというのは何なの」
「それはもともとデバイスのヘビーユーザー達がつけた名称だ。発動条件はまだ解明されていないのだけれど、おそらく僕の予想では使用時間やそのデバイスへのアクセス頻度、インプットの内容なんかが絡んでいるんだろう、と思う」
「この"レベル"というのは──」
「ああ、それはデレーシステムの解析結果とユーザーの使用デバイス、そして彼ら彼女らの証言から得た情報をもとに算出したんだが、およそ次の様なものだよ。これらはさっき見てもらった、感情表現形が完全に発現した後にデバイスが到達する、さらに高次元とも呼べる状態をレベル化したものだ」
シンからテキストが送られてくる。
──file.4──
『第三世代ウェアラブルデバイス内〈デレーシステム〉に於ける高次発現形態及びその覚醒レベル』
lv.1 S「ソウル」
lv.2 SR「ソウル・リーディング」
lv.3 SSR「シークレット・ソウル・リーディング」
lv.4 SSR+ 詳細不明領域「シークレット・ソウル・リーディング・プラス」
シンは説明を加える。
「レベル4のSSR+については、その詳細はまだ不明な点が多いのだけれど、デバイスの最上位に位置するデレーシステムの覚醒状態らしい。レベルが上がるにつれて自分自身のソウル、つまりは"魂"に触れているような感覚が増していくらしい。そのプラスに至っては、原初から続くすべての事象、想念、感情の記録、つまり"アカシックレコード"から直接情報を引き出しているような感覚になるそうだよ」
エマは考えを巡らせていたのか、しばらくしてからシンに言った。
「やはりニューロコンピューターだわ」
「ニューロコンピューターだって──」
シンは、おうむ返しに言った。
「そうよ、ニューロコンピューター。あなたが説明してくれたこの相反する複雑な感情表現を使用者とのコミュニケーションの中で瞬時に発揮するには、既存のソフトウェアでは不可能だわ。人間がそのタスクを行うよりもはるかに多くの時間とパワーを必要としてしまう。
ウェアラブルデバイスはただでさえ駆動時間にいまだに問題をかかえているの。もし仮に既存システムで情報を処理出来たとしてもおそらくバッテリーが持たないのよ。でも、人工ニューロンによってシナプスを毎秒10億回以上発火させることが可能なら、必要なエネルギーは有機的なシナプスと比べても1万分の1で済むわ」
「なるほど──」
「それに加えて、神経形態学的なハードウェアを使用すれば人間のニューロンのように異なるタイプの信号を作り出し必要に応じて発火を起こす。つまり複数のソースから得た小さな情報を蓄積して、少ないエネルギーでソフトウェアを動かすことも理論上は可能になるはずよ」
「そうか、それが第五世代ウェアラブルデバイス、という訳だ」
「おそらくは。でもこのデレーシステムの構造解析が終わらない以上は先には進めないわね」
「しかし、そうだとしたら第五世代デバイスを開発したメーカーはデレーシステムのブラックボックス化した領域のにあるニューロコンピューターの存在を既に知っているはずだよね。知っている上で僕らの研究所に構造解析を依頼してきたということは、まだ他に何かあるのかも知れない」
シンはそう言うと、考え込んでしまった。
「シン、今夜はありがとう。とても美味しかったわ」
エマは携帯型ディスプレイをバッグにしまいながら、今からもう一度ラボに戻ることを伝えた。
「あ、ああ、こちらこそ。また一緒に食事してくれよな」
シンはエマの突然の発言に少し驚いていたが別れ際にこう言った。
「エマ、言うのを忘れていたんだけど、実は今日デレー博士が在籍していたラボへ行って来たんだ。当時からいるメンバーの一人がさっきのデータを見て興味深いことを言っていたよ。あの中の表現形の一つを博士が"ツーンデレー"と呼んでいたそうだ。博士はこの国の古典コンテンツに特に造詣が深かったそうだから、そっち方面もチェックしてみたらどうか、と言っていたよ」
「そうなの、早速観てみるわ。今夜はありがとう、シン、また明日ね」
エマはそう別れを告げてネオ・カイセキ料理店にシンを1人残し研究所へと向かった。
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