名前の無い王国

15.オークとエルフの女騎士

 目覚めるとそこには見知らぬ天井があった。

 いや、天井と呼ぶのもおこがましい。壁紙が剥がれて鉄骨が剥き出しになったその一角を見るだけで、ここが人をくつろがせるための空間でないことが理解できた。


 目覚めたばかりのおぼろげな意識の中でも真っ先に思い浮かんだのは更紗の安否である。

 寝かされていたボロボロのベッドから体を起こすと、椅子に腰かけたままベッドに上半身を預けた状態の更紗が寝息を立てていた。

 見たところ身体に異常は無く、手足に多少の擦り傷が見えるがこの程度ならかんざしに付与した再生効果ですぐに治るだろう。

 

 安心したところでベッドから出ようとすると、右手に嵌められた鉄製の手枷がベッドと鎖で繋がれていたことに気付く。

 それだけで僕たちをここに収容した者がプレイヤーではないことが窺い知れた。

 

「構成は鉄か……錬成:形状変化」


 開いている手で手枷に触れると鉄製のそれは発光し、粘土のように形状を変化させ、あっという間にペーパーナイフサイズの短剣へと形を変える。

 プレイヤーならば誰もが初期スキルとして持っている能力で、熟練度により効果幅は異なるが、単純な形状変化程度ならレベル1でも問題は無い。

 ペーパーナイフ程度の大きさなのは単純に質量の問題だ。

 ちなみにベッドの枠はアルミ製らしく、合成できないこともないが強度に問題が生じる。

 

 アイテム、武器類はすべて没収されたらしいので、とりあえずの急造武器として鉄製ナイフを腰のベルトに挟み込む。

 とにかく状況を把握すべく、眠っている更紗を軽くゆすって目覚めてもらう。

 

「んぅ…………とと様?」


 そう言われて炎王が殺された瞬間をまざまざと思い出し、悔恨の念に襲われる。

 もっと何か上手い手段があったのではないか、選択次第では誰も死なせない結果を得られたのではないか。

 そんな僕の考えを読み取ったのか、目覚めた更紗はすぐに居住まいを正して言葉を訂正する。

 

「薬師さま……失礼しました。お身体はもう大丈夫なのですか?」


「うん、更紗も痛むところは無い?」


「はい、地下で目を覚ましたときには歩ける程度まで回復していました。薬師さまのぽーしょんのおかげですね」


 スカーレットの重力魔法にかかったときにポーション瓶は全て割れてしまっていた。

 だからこそ更紗の重体さに焦ったのだが、どうやらオーガというのは思ったより丈夫らしく、致命傷には至っていなかったらしい。

 おかげでその後の再生効果で容体を持ち直せたのだろう。

 

「ところでここがどこだか分かるかい? どうやらあまり安心できる状況でもなさそうだけど」


 周囲はコンクリートに囲まれた密室で、窓も無いので時間も分からない。

 唯一外へと続く扉は金属製で、のぞき窓は鉄格子で塞がれている。

 どう考えても人を閉じ込めておくためとしか思えない場所だ。

 

「正確な場所は解りませんが、ここは文京区、亜人の領地です。更紗たちをここに閉じ込めたのも亜人種たちでした」


 予想はしていたが捕まったのがプレイヤー相手出ないのは幸いだった。

 円卓の一席を殺してしまった以上、インペリアルを敵に回してしまったのは確実だろう。

 彼らならプレイヤー相手にはまずはキルしてから話を聞くというのが常道だろう。

 装備やスキルで戦闘状態にあるプレイヤーをそのまま捕らえるより、一度リスポーンさせて状態をリセットさせた後の方がより安全で確実だからだ。

 しかし夢うつつに聞いたラヴレスの話が本当なら、僕は死んだら次は無いことになる。

 

 そんなことを考えていると不意に閉ざされていたドアが開かれ、外から甲冑を踏み鳴らす音を響かせながら人が入ってくる。

 

「ふん、やっと目覚めたか蛮族め。もっとも目覚めないのならその方が幸せだったかもしれないがな」


 開口一番そう罵ってきたのは凛々しい顔立ちの女性騎士だった。

 後ろに結った長い金髪に青い眼、およそ実戦向きとは言えない美華なライトアーマーとロングスカートは彼女がそれなりの地位にあることを窺わせる。

 そして何より人間と違う長く尖った耳は、亜人種の中でもとりわけ魔力と知力に優れた妖精族――――エルフだと主張していた。

 

「不穏な挨拶はともかく、助けてくれたことにはお礼を言います。彼らに捕まっていたら、僕も更紗も死んでいたでしょうから」


「なっ!?」


 素直に礼を言っただけのつもりだが、エルフは信じられないものを見たような表情で絶句した。

 

「言った通りでしょう姉萌え…………アネモネさま。更紗は嘘はつきません」


 どうやらエルフの騎士はアネモネと言うらしい。相変わらず横文字発音の苦手そうな更紗は、意味不明なセリフを正してそう呼んだ。

 

「本当に異界人が我々の言葉を解するとは……いいや騙されんぞ蛮族め! おおかた諜報のために我らの同胞から学び取ったのだろう! 攫った者はどうした!? もしすでにこの世に無いと言うなら、貴様の首を手向けとして捧げてやろう!!」


 アネモネはレイピアを抜き放ち、切っ先を僕に突き付け脅してくる。

 

「薬師さまへの侮辱はおやめ下さい。この方は鬼族の長、鬼人きじん炎王と共に戦った盟友であり、更紗の命の恩人です。それに剣を向けるのは鬼族への宣戦布告と見なします」


「くっ…………だが炎王殿は脱領した罪人だ! 鬼族とはもはや関係あるまい!」


「長の座は剥奪されていません。それでも納得がいかないなら、先に更紗をお切りください」


 そこまで言われてようやく諦めたようにアネモネはレイピアを収めた。

 しかし炎王がオーガ――――ここは彼らに倣って鬼族と言うべきか――――の長だったとは意外だった。

 たしかに人を引き付ける魅力のようなものはありそうだったが、一族の長を務めるほどの人物とは考えなかった。

 僕は思った以上に人を見る目が無いのかもしれない。

 

「分かった。ここは私が退こう。感謝するんだな異界人、更紗殿が瀕死の貴様をここまで運んでこなければ今頃はモンスター共の餌だったぞ」


 更紗の容体を確認したとき、大きな怪我は治っている割に小さな擦り傷が残っていると感じたのは、その小さな体で僕を担いで逃げてきたからだったようだ。

 彼女は僕を恩人だと言うが、その恩はとっくに利子を付けて返してもらっていたらしい。

 

「ありがとう更紗。このお礼は必ずするよ」


「薬師さまは更紗やとと様のために戦って下さったのです。なにも恩を感じるようなことはありませんよ」


 僕たちのやり取りを見て多少は敵愾心が薄れたのか、睨みつけるような視線を緩めたアネモネが歩み寄ってくる。

 

「おい、異界人。貴様の名は?」


 異界人と言うのはプレイヤーの事だろう。

 しかし名前を問われて思わず答えに窮してしまう。

 今の僕は何と答えるのが相応しいのだろうか。

 

「……ネームレス。それが僕の名前だ」


 迷いながらも自然と口をついてその名前が飛び出していた。

 呼び名としてはともかく、ラヴレスの付けたこの名前は僕を表す言葉としてはとてもしっくりきていたらしい。

 

「薬師さま……? そのお名前は…………」


 突然知らない名前を名乗った僕に更紗が戸惑うのは解る。

 しかし初耳のはずのアネモネの方は、今度こそ怒り心頭と言った様子で再び剣の柄に手をかけた。

 

「貴様……よもや我らが神の使徒の名を騙るとは…………。いくら鬼族の所縁があるとは言え、その罪、万死に値する!!」

 

 言い放った勢いのまま剣を抜いて切りつけてくる。いち早くそれに気づいて割って入ろうとする更紗を押しのけ、僕は隠し持っていた鉄製ナイフでその軌道を逸らす。

 

「ひゃうっ!?」

 

 一撃に全体重を乗せていたアネモネは逸らされた勢いに逆らいきれず、そのままの盛大に地面に突っ込んでしまった。

 解析スキルと儀礼用と思しき装備からわかってはいたが、この女騎士――――――弱い。

 亜人の文化体系は知らないが、恐らく貴族のような身分で形だけのお飾り騎士か何かなのだろう。

 

「き、貴様! いま私の事を馬鹿にしたな! 殺す! 絶対に殺してやる!」


 言葉にすると仰々しいが、その顔は少し擦り剝いて目尻にうっすらと涙まで浮かべている。

 再び剣を構え直そうとするアネモネに対して、ドアの傍から低い男の声が届いてきた。


「その辺にしておくんだな、神官騎士様。手枷を外されてることに気付かなかった時点でお前さんの負けだよ」


 気配もさせずにいつの間にか部屋に入り込んでいた男は余裕の態度でアネモネを制止する。

 トレンチコートを着てドアに背中を預けた渋い声の主はオーク――――つまり豚だった。

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